真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

深夜に売れるの?

2009年07月18日 22時12分24秒 | Weblog
昨日の歩数:2175歩
起床時間:7時45分
血圧  :109  64 
脈拍  :60
体温  :35.8℃
体重  :65.9㎏
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パソコンの電源を入れる、
遅れた作業を始める。

9時過ぎ妻が来て少し雨が降っていると言って来る。

寝巻きを着替えておく。
バナナを食べておく。
9時半長男を送るため急いで車に行く。昨日と同じで道路が混んでいた。
 昨日説明できなかった事をお話ししようと蝉丸へ寄る。


「振っていないのに」の河井先輩に「向こう(東久留米)は土砂降り」とうそをつく。
改めて黒川先生に会ってきた話などをする。
手塚先生の奥様に合った話を切り出そうかどうか迷っている。
話せばたぶんこうなると言う河井先輩の性格がおぼろげながら理解できるからである。
 義を持って忠を成し恩を持っ孝を成す、順を持ってガクを制する人
無法松のような行動を取ることは火を見るより明らか。
そのことによって河井先輩の奥様に多大な迷惑をかける事となる。

言わなければ後で言わなかったことで恨まれそうだし、言ったら絶対直ぐに行動に移り、多大な迷惑を斯けることになるだろう。
 話しをしていてもそのことを考えていて上の空。
決心して話し出す。「実は、昨日手塚先生の奥様にお会いした話をしたよね。それでね、奥様が困っている」と切り出し一気に話した。
「俺やる」間髪を居れず叫ぶ先輩。思ったとおりの答え。
とうとう言ってしまった。
今から行くので一緒に連れて行ってという。
 こちらは帰りたいのでそのまま帰るからおのおの車で行こうといったが、頑として俺の車で行こうといわれた。
車の中で奥様に電話を押して似るがお留守のよう「そういえば今日から夏休み、お孫さんの顔を見に行っているのかもしれない。
 それでも行ってみようと言う。
河井先輩は行ったことがまだないようで口でお屋敷の様子を説明しても想像が出来ないようす。
 庭木はそこの家のみたいな」とか高い木はあそこの木ぐらい」などと説明。
言って驚かさないようにと少しオーバーに庭だけで300坪そこは山になっていて頂上にお屋敷があるが木々に隠れて下からお屋敷を見ることが出来ない、見ることが出来るのは冬に木々の葉が落ちたときぐらいナ度と説明。
東久留米に山などない」「と言われ「マア小さな丘かな」と訂正「先輩が実際にいって驚かないようにとオーバーに言っているのだ」と言ってやった。
 手塚邸に付き再度電話をしてみる。車戻しまで門を歩いて入り邸宅の入り口のインターホンを押してみる。やはりお留守の用である。河井先輩が外から庭の様子を覗き込む。「シモヤンはうそはつかないや」

帰り所沢のおそばやさんに入りお昼をご馳走になる。
(インターホンを押すとき気が付いたがそこにあった手塚と言う表札、富士見台に在ったあの表札であった。
 桃太郎作戦の打ち合わせをして13時30分蝉丸に戻る。
14時30分家に帰ることにし、15時帰宅する。
15時30分歩いて中央図書館まで行く。
家に戻ってパソコンの電源を入れる。
作業をしていても居眠りばかり。長男迎えで事故でも起こさないようにと少し寝る。
18時パソコンの前に座る。
19時16分長男から連絡が入り迎えに行く。ハンドフリーで河井さんに電話を入れる。
20時家に戻る。夕食風呂
「誰も知らない手塚治虫」はアニメ一般で16時に30位まであがっていたがその後は21時半48位まで下がる。23時半65位とあがる
パソコン作業を終えて
2時パソコンを切る前に様子を見ると18位、何かの間違え過渡この一ヶ月の売れ筋商品のランキングで確認する。
 また寝かせてくれない。
3時半の24位までなだめていて何とか寝た。
コメント
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