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昨日の歩数:334歩
起床時間:7時15分
血圧 :103 73
脈拍 :57
体温 :35.6℃
体重 :65.9kg
--------------------- /
東京の観測史上最も遅い降雪記録とやら。
41年前虫プロ時代1969年(昭和44年)あの忌まわしい年をおもいださずにはいられない。
前年10月私は24歳になり厄年であったがあまり気にしてはいなかった。
をんパク探偵団が終わった後同じ3スタの佐武と市捕物帳控班に居た、
それが急遽NHKの「ワンダー君の初夢宇宙旅行」の制作助手を命じられた。
アニメと実写の合成で楽しんでやれた作品であった。12月10日に東京都府中市で3億円強奪事件発生があり 池袋駅西口山手通り手前の坂道で検問を受け車内を見るという厳しい検問であったのを覚えている。
12月30日にはNHKに正月2日放送の「ワンダー君の初夢宇宙旅行」のフィルムを届けに行って、当時厳しいガードマンとも顔馴染みになっておりフリーパスで中に入り、紅白歌合戦のリハーサルを一日中自由に見ていることが出来た。
だから悪い兆候はなく良い年で終わった。
南浦和駅はすでに出来ており、赤羽駅乗り換えで池袋へ出て西武線で虫プロに通っていた。
そんなことも有りいつごろからか、初詣は原宿の明治神宮に行くのが毎年であった。
この年例によってものすごい人並みの中ゆっくりと人並みに押され神殿に向かって歩いていた。まだ2~30メートルあろうかと言うところで前に居た男性がいきなりお賽銭を投げようと振りかぶった。人並みに押されて避けることが出来ずもろに顔面に拳が当たりメガネが吹っ飛んでいくのが見えた、そして鮮血がシャツのえりを染めていった。警備の警察官が筆をつかんでまるで犯人を連行するように救護班のテントに連れていかれた。メガネを届けてくれた親切な人がいたが、そのメガネは完全に壊れていた。給料なんヶ月か分の気に入っていたドイツ製のフレーム。ケガを負わせた男は大学生で母親と一緒、メガネを弁償すると言ってくれた。当時はそれだけでもマシ。興奮していた私は1万円ですと答えたが遥かに安く行った事に作り直す段になって思い出した。
もちろん初詣は無しで包帯を巻いて家に戻った。
その後明治神宮に初詣に行っていない。
そんな出だしが昭和44年であった。
無事2日に「ワンダー君の初夢宇宙旅行」が終わり
正月明けからは千夜一夜班の進行の一人として編入された。例によって手塚先生にひっついたがなかなか校閲が終わらなく貫徹が続いた。待つだけの辛い仕事。胃痙攣が起き体調を崩して良く。1月10日にはテスト版の千夜一夜のプリントや11日にはそのりテークなどもしている。だかアラもう少しで本格的に作業は始めると思い込んでいた。
12日朝起きようとしたが目眩がする、2時間で休み起きようとしたが目眩と吐き気がひどく代休をとった。ストレスから来る体の変調と思い休めば治ると思った。
次の日も起きれなかった。
そして2月19日数時間寝ておき、仕事場に行くが、腹が痛み脂汗が流れる。我慢して仕事をしているが、真っ青な顔になっている、見かねた同僚が、とりあえず病院に行ってみるように言う。虫プロには会社の専門医の町医者がいたそこで見てもらうとその年取った先生はすぐに盲腸だといった。しかしもう自分は手術はできないと言う。
紹介状を書いてもらい盲腸なら一週間もすれば復帰できると慰められた。
熊五郎さんあたりが浦和の自宅まで車で送ってくれたと思っている。そして母が務めていた近くの小学校の給食室へ行き母を読んでもらって「盲腸だ」と説明どこか病院へといったが、誰も大病などしたことが無いので病院をしらなくて困った。
南浦和学習院と言う学習塾が有った。そこの院長と高校生時代からとても仲良くしていた。その院長に相談するとすぐに車で迎えに来てくれて九里病院へ連れていってくれた。
すべて上手くいくハズであったが、あいにくそこの院長先生が回診時間。午後3時まで散らす駐車と痛み止めで待つ事になる。
痛い脊髄注射に耐え手術が始まる。すぐ終わえうハズが先生が一言だめだこりゃと言い感覚の亡くなったお腹にメスが切り開かれるのを感じた。
手術後説明があり腹膜を起こしたと言う。傷を縫ってなく膿を出すのでガーゼを入れて有る。~省略~
この年入院中3月も終わる頃東京では珍しく大雪が降った。そんな中丸山さんがお見舞いに来てくれた。最近になって熊吾郎さんの運転で北ということが知れたが、自転車にも乗れないマルタンが、どのようにして見舞いに来てくれたのか謎であった。
手塚先生が当然来れるはずも無かった。そんな中先生のお母さんが遠路お見舞いに着て頂いた。梅画咲いてまた雪がふった。
そして4月自宅療養となった。会社に通い始め「千夜一夜物語」が休む前と何ら進行していないことがわかった。17日また雪がふった。4月に雪だなんて。すでに貫徹をしていた。それが41年前の今日、その後の地獄。
行はミゾレになりやがて雨になる。
石油が残り少ないのでストーブをつけられない。したは寒い
8時20体重を計る。
8時45分下に行く、妻が起きている、電気ストーブを付けていた。私の部屋では電気ストーブを使っていない。それを持ってきて二つつける。
トーストで朝食をすませる。
卵がなくなってきている。ヨーカドーが98円で出ているしかし長男を送っていかなければならない。マルフジでも98円しかし8個入り赤玉。8時55分着替えて車で買いに行く。
2回並んで2パックを買い9時10分家に戻る。
9時28分家を出る。道路はゆっくり走る車で混んでいる。新青梅街道も混んでおり旧青梅に回っていく。
10時を少し回って長男を会社に送る。
10時40分家に戻る。
部屋で寝ている。
12時30分お昼だと呼ばれる。
中央図書館へ行き昨日借りたのを返却。その足で手塚邸に行く。黒目川で東部図書館。
アニメの「指輪物語」「雪の女王」「図書館戦争」を借りる。
東久留米駅方面、ディスカウントショップへ寄る。
たこ焼きを買う。
駅を通り向けて憩いの広場、氷川神社へお参り。空模様が悪く急いで帰宅。
洗濯物を取り込む。
妻帰宅
次男釣りに出かける。
20時前夕食。
次男一度かえって釣り道具を起き遊びにいくとまた出かける
21時23分したで妻とテレビを見ていると長男から電話。迎えに行く。
50分到着。ガソリンを入れようとスタンドを探すが終わっていたそのためシチズンのとおりから帰ってくる大回り。22時40分帰宅
45分風呂に入る。23時風呂から出る。そしてパソコンの電源を入れる。DVD作業。
0時ブログを書く。1時50分終わらせよう。湯冷めしたのかくしゃみと鼻水が止まらない。ティッシュを使い切いり下に取りに行く。もう寝よう。
昨日の歩数:334歩
起床時間:7時15分
血圧 :103 73
脈拍 :57
体温 :35.6℃
体重 :65.9kg
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東京の観測史上最も遅い降雪記録とやら。
41年前虫プロ時代1969年(昭和44年)あの忌まわしい年をおもいださずにはいられない。
前年10月私は24歳になり厄年であったがあまり気にしてはいなかった。
をんパク探偵団が終わった後同じ3スタの佐武と市捕物帳控班に居た、
それが急遽NHKの「ワンダー君の初夢宇宙旅行」の制作助手を命じられた。
アニメと実写の合成で楽しんでやれた作品であった。12月10日に東京都府中市で3億円強奪事件発生があり 池袋駅西口山手通り手前の坂道で検問を受け車内を見るという厳しい検問であったのを覚えている。
12月30日にはNHKに正月2日放送の「ワンダー君の初夢宇宙旅行」のフィルムを届けに行って、当時厳しいガードマンとも顔馴染みになっておりフリーパスで中に入り、紅白歌合戦のリハーサルを一日中自由に見ていることが出来た。
だから悪い兆候はなく良い年で終わった。
南浦和駅はすでに出来ており、赤羽駅乗り換えで池袋へ出て西武線で虫プロに通っていた。
そんなことも有りいつごろからか、初詣は原宿の明治神宮に行くのが毎年であった。
この年例によってものすごい人並みの中ゆっくりと人並みに押され神殿に向かって歩いていた。まだ2~30メートルあろうかと言うところで前に居た男性がいきなりお賽銭を投げようと振りかぶった。人並みに押されて避けることが出来ずもろに顔面に拳が当たりメガネが吹っ飛んでいくのが見えた、そして鮮血がシャツのえりを染めていった。警備の警察官が筆をつかんでまるで犯人を連行するように救護班のテントに連れていかれた。メガネを届けてくれた親切な人がいたが、そのメガネは完全に壊れていた。給料なんヶ月か分の気に入っていたドイツ製のフレーム。ケガを負わせた男は大学生で母親と一緒、メガネを弁償すると言ってくれた。当時はそれだけでもマシ。興奮していた私は1万円ですと答えたが遥かに安く行った事に作り直す段になって思い出した。
もちろん初詣は無しで包帯を巻いて家に戻った。
その後明治神宮に初詣に行っていない。
そんな出だしが昭和44年であった。
無事2日に「ワンダー君の初夢宇宙旅行」が終わり
正月明けからは千夜一夜班の進行の一人として編入された。例によって手塚先生にひっついたがなかなか校閲が終わらなく貫徹が続いた。待つだけの辛い仕事。胃痙攣が起き体調を崩して良く。1月10日にはテスト版の千夜一夜のプリントや11日にはそのりテークなどもしている。だかアラもう少しで本格的に作業は始めると思い込んでいた。
12日朝起きようとしたが目眩がする、2時間で休み起きようとしたが目眩と吐き気がひどく代休をとった。ストレスから来る体の変調と思い休めば治ると思った。
次の日も起きれなかった。
そして2月19日数時間寝ておき、仕事場に行くが、腹が痛み脂汗が流れる。我慢して仕事をしているが、真っ青な顔になっている、見かねた同僚が、とりあえず病院に行ってみるように言う。虫プロには会社の専門医の町医者がいたそこで見てもらうとその年取った先生はすぐに盲腸だといった。しかしもう自分は手術はできないと言う。
紹介状を書いてもらい盲腸なら一週間もすれば復帰できると慰められた。
熊五郎さんあたりが浦和の自宅まで車で送ってくれたと思っている。そして母が務めていた近くの小学校の給食室へ行き母を読んでもらって「盲腸だ」と説明どこか病院へといったが、誰も大病などしたことが無いので病院をしらなくて困った。
南浦和学習院と言う学習塾が有った。そこの院長と高校生時代からとても仲良くしていた。その院長に相談するとすぐに車で迎えに来てくれて九里病院へ連れていってくれた。
すべて上手くいくハズであったが、あいにくそこの院長先生が回診時間。午後3時まで散らす駐車と痛み止めで待つ事になる。
痛い脊髄注射に耐え手術が始まる。すぐ終わえうハズが先生が一言だめだこりゃと言い感覚の亡くなったお腹にメスが切り開かれるのを感じた。
手術後説明があり腹膜を起こしたと言う。傷を縫ってなく膿を出すのでガーゼを入れて有る。~省略~
この年入院中3月も終わる頃東京では珍しく大雪が降った。そんな中丸山さんがお見舞いに来てくれた。最近になって熊吾郎さんの運転で北ということが知れたが、自転車にも乗れないマルタンが、どのようにして見舞いに来てくれたのか謎であった。
手塚先生が当然来れるはずも無かった。そんな中先生のお母さんが遠路お見舞いに着て頂いた。梅画咲いてまた雪がふった。
そして4月自宅療養となった。会社に通い始め「千夜一夜物語」が休む前と何ら進行していないことがわかった。17日また雪がふった。4月に雪だなんて。すでに貫徹をしていた。それが41年前の今日、その後の地獄。
行はミゾレになりやがて雨になる。
石油が残り少ないのでストーブをつけられない。したは寒い
8時20体重を計る。
8時45分下に行く、妻が起きている、電気ストーブを付けていた。私の部屋では電気ストーブを使っていない。それを持ってきて二つつける。
トーストで朝食をすませる。
卵がなくなってきている。ヨーカドーが98円で出ているしかし長男を送っていかなければならない。マルフジでも98円しかし8個入り赤玉。8時55分着替えて車で買いに行く。
2回並んで2パックを買い9時10分家に戻る。
9時28分家を出る。道路はゆっくり走る車で混んでいる。新青梅街道も混んでおり旧青梅に回っていく。
10時を少し回って長男を会社に送る。
10時40分家に戻る。
部屋で寝ている。
12時30分お昼だと呼ばれる。
中央図書館へ行き昨日借りたのを返却。その足で手塚邸に行く。黒目川で東部図書館。
アニメの「指輪物語」「雪の女王」「図書館戦争」を借りる。
東久留米駅方面、ディスカウントショップへ寄る。
たこ焼きを買う。
駅を通り向けて憩いの広場、氷川神社へお参り。空模様が悪く急いで帰宅。
洗濯物を取り込む。
妻帰宅
次男釣りに出かける。
20時前夕食。
次男一度かえって釣り道具を起き遊びにいくとまた出かける
21時23分したで妻とテレビを見ていると長男から電話。迎えに行く。
50分到着。ガソリンを入れようとスタンドを探すが終わっていたそのためシチズンのとおりから帰ってくる大回り。22時40分帰宅
45分風呂に入る。23時風呂から出る。そしてパソコンの電源を入れる。DVD作業。
0時ブログを書く。1時50分終わらせよう。湯冷めしたのかくしゃみと鼻水が止まらない。ティッシュを使い切いり下に取りに行く。もう寝よう。