昨日の歩数:189歩
起床時間 :8時23分
血圧 :115 70
脈拍 :68
体温 :35.7℃
体重 :65.9kg
----------------------- /
昨夜も寝たのが5時を廻っていた。コメントに気がついたのが運のつき、2時から書き始め、覚えていることが出来ないので、そのたびパソコンの中をあちこち引っ掻き回しては、難しい横文字なんかを捜し回るものだから時間ばかり食ってしまうのだ、
だからまたまた起きられなかった。まあ、午後7時30分という手もあるか。
(でも結局は気がついたのが7時50分、まだ大丈夫の気で居たが、45分までだよ)
雨模様が続き、むしむしと蒸し暑い日が続く。非妻は扇風機だけで過ごすのだが夜ねるときばかりはエアコンを入れ、扇風機をかけ、どちらも1時間と2時間のタイマーを入れて寝ようとしている。
しかし寝付かれず、夜が明けてしまう。
せっかくのLX40U このままではただの、不用品のゴミ、なんとか活かしたいと、ない頭で考えを巡らす。どうせならXPのホームではなくプロの方をインストールしたい。しかしアップグレードではインストールが出来ない。
そこで考えたのが同じ富士通の2004年モデル。FMV CD620 のリカバリーディスク。
同じメーカーならインストール出来るだろうという、乱暴な考え。
長男を送っていかなくて済んだので、パソコンの電源を入れた。
10時我復元を試見也。リカバリーディスクのCD3枚を準備する。手順はFMV-C620 CX620取り扱い説明書の リカバリー概要 手順にしたがって試みる。
約30分との表示。その間別のパソコンで黒澤明の「一番美しく」を見る。
月刊広場のアンケートの為也。ト言ウノガ私自身ヘノ言ヒ訳。
約90分也。この映画は黒澤明第2作と言われている。1944年作品だから戦時中の作品。
討ち手し止まぬの時代、鬼畜英米なのである。今の北朝鮮を彷彿させる。また少し前の中華人民共和国然りである。
出演の女優達は実際に女子挺身隊員として光学工場に入所、実生産に従事し寮生活を送りながら撮影したという。
そんな戦前の映画、戦後直ぐの生まれの私では見ていないはず、しかし姿三四郎と言いこの作品といい、見覚えのある場面、鼓笛隊のシーン等うる覚えている場面があった。
母が映画好きであった。物心ついた小学生時代上映が替わるたび(一週間ごと)映画に連れていかれた。今考えるとションベンくさい映画館で多分空気も悪くなり、酸素不足のため頭が痛くなるのであまり映画館は好きではなかった。それでもお菓子など買ってもらえるので着いて行ったんだと思う。
浦和には映画館が幾つかあった。浦和劇場と、浦和パレス座、月の宮劇場などであった。浦和東映が出来て、浦和劇場が大映、パレス座が日活、月宮劇場が東方、新東宝、となり一週間剛体で3本立てであったと思う。あれ!パレス座って洋画専門の方だっけ?高校生の頃駅の側に洋画館ができその頃から日本映画を見なくなった。
家の母は策士である、映画を見るため、親戚の子を送り込んだ、切符売り場にである、だから私も石原裕次郎の映画など見るときにはお金を払う必要がなかった。映画はお金を払ってみるものだとは考えていなかった。高校時代は洋画となったがこれも近所の家が毎回映画のポスターを張っていた。すると招待券が貰えるのであるが、それが回って私のところに来る運命になっていた。だからお金を払って映画を観るようになったのは高校を卒業して、虫プロに入り給料をもらってからだったと思う。しかし、みんなは知らなかったが、映画代は虫プロでは教養費として請求すれば貰えたのであった。
横道にそれた。
だから多分田舎だから1947年の放映ではなくその後あとに放映されていたのだと思う。
そうであれば5、6歳の時なので少しはお覚えていてもおかしくないと思う。
手塚治虫先生が宝塚にお母さんに連れられて同じ年頃に行っている、出し物のことを書いている。ある人が、手塚先生が見たと言っている出し物は、まだ小さすぎる頃のものなので覚えているのがおかしいとの指摘があったが、私もその様に心が動かされていたが、今回の事で、やはり手塚先生が見たというのはほうとうだったと思うようになった。それに思い出話としてお母様から何度か聞かされていれば、想像力の豊かな手塚幼児なら覚えていても不思議はないように思える。
WindousXPをインストールしました。多分支障は出るとは思いますが、粗大ごみとして捨てなくても済みそうである。
11時15分終了ス。
この日長男3時帰り。やはり眠れずにいた。もう今日は小平へ行かねばならぬ。雨が降らなければよいが。
起床時間 :8時23分
血圧 :115 70
脈拍 :68
体温 :35.7℃
体重 :65.9kg
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昨夜も寝たのが5時を廻っていた。コメントに気がついたのが運のつき、2時から書き始め、覚えていることが出来ないので、そのたびパソコンの中をあちこち引っ掻き回しては、難しい横文字なんかを捜し回るものだから時間ばかり食ってしまうのだ、
だからまたまた起きられなかった。まあ、午後7時30分という手もあるか。
(でも結局は気がついたのが7時50分、まだ大丈夫の気で居たが、45分までだよ)
雨模様が続き、むしむしと蒸し暑い日が続く。非妻は扇風機だけで過ごすのだが夜ねるときばかりはエアコンを入れ、扇風機をかけ、どちらも1時間と2時間のタイマーを入れて寝ようとしている。
しかし寝付かれず、夜が明けてしまう。
せっかくのLX40U このままではただの、不用品のゴミ、なんとか活かしたいと、ない頭で考えを巡らす。どうせならXPのホームではなくプロの方をインストールしたい。しかしアップグレードではインストールが出来ない。
そこで考えたのが同じ富士通の2004年モデル。FMV CD620 のリカバリーディスク。
同じメーカーならインストール出来るだろうという、乱暴な考え。
長男を送っていかなくて済んだので、パソコンの電源を入れた。
10時我復元を試見也。リカバリーディスクのCD3枚を準備する。手順はFMV-C620 CX620取り扱い説明書の リカバリー概要 手順にしたがって試みる。
約30分との表示。その間別のパソコンで黒澤明の「一番美しく」を見る。
月刊広場のアンケートの為也。ト言ウノガ私自身ヘノ言ヒ訳。
約90分也。この映画は黒澤明第2作と言われている。1944年作品だから戦時中の作品。
討ち手し止まぬの時代、鬼畜英米なのである。今の北朝鮮を彷彿させる。また少し前の中華人民共和国然りである。
出演の女優達は実際に女子挺身隊員として光学工場に入所、実生産に従事し寮生活を送りながら撮影したという。
そんな戦前の映画、戦後直ぐの生まれの私では見ていないはず、しかし姿三四郎と言いこの作品といい、見覚えのある場面、鼓笛隊のシーン等うる覚えている場面があった。
母が映画好きであった。物心ついた小学生時代上映が替わるたび(一週間ごと)映画に連れていかれた。今考えるとションベンくさい映画館で多分空気も悪くなり、酸素不足のため頭が痛くなるのであまり映画館は好きではなかった。それでもお菓子など買ってもらえるので着いて行ったんだと思う。
浦和には映画館が幾つかあった。浦和劇場と、浦和パレス座、月の宮劇場などであった。浦和東映が出来て、浦和劇場が大映、パレス座が日活、月宮劇場が東方、新東宝、となり一週間剛体で3本立てであったと思う。あれ!パレス座って洋画専門の方だっけ?高校生の頃駅の側に洋画館ができその頃から日本映画を見なくなった。
家の母は策士である、映画を見るため、親戚の子を送り込んだ、切符売り場にである、だから私も石原裕次郎の映画など見るときにはお金を払う必要がなかった。映画はお金を払ってみるものだとは考えていなかった。高校時代は洋画となったがこれも近所の家が毎回映画のポスターを張っていた。すると招待券が貰えるのであるが、それが回って私のところに来る運命になっていた。だからお金を払って映画を観るようになったのは高校を卒業して、虫プロに入り給料をもらってからだったと思う。しかし、みんなは知らなかったが、映画代は虫プロでは教養費として請求すれば貰えたのであった。
横道にそれた。
だから多分田舎だから1947年の放映ではなくその後あとに放映されていたのだと思う。
そうであれば5、6歳の時なので少しはお覚えていてもおかしくないと思う。
手塚治虫先生が宝塚にお母さんに連れられて同じ年頃に行っている、出し物のことを書いている。ある人が、手塚先生が見たと言っている出し物は、まだ小さすぎる頃のものなので覚えているのがおかしいとの指摘があったが、私もその様に心が動かされていたが、今回の事で、やはり手塚先生が見たというのはほうとうだったと思うようになった。それに思い出話としてお母様から何度か聞かされていれば、想像力の豊かな手塚幼児なら覚えていても不思議はないように思える。
WindousXPをインストールしました。多分支障は出るとは思いますが、粗大ごみとして捨てなくても済みそうである。
11時15分終了ス。
この日長男3時帰り。やはり眠れずにいた。もう今日は小平へ行かねばならぬ。雨が降らなければよいが。