真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

12月31日

2010年12月31日 23時56分43秒 | Weblog
5,540位 / 1,514,841
昨日   :221歩
起床時間 :7時30分
血圧   :123    70
脈拍   :63
体温   :35.5℃
体重   :67.2㎏
晴れ
布団に入ったのは良いが、眠れなかった、韓国ドラマのDVDもほとんど見たし、と、ケーブルのチャンネルを回している。
コマーシャルが、入るたび、いらいらするのは、歳のせい、ばかりではない、と思う。
 未整理のDVDを調べていて、黒澤作品が、残っていたのを、思い出す。VHSを見られなくなるからと、DVDに撮り直しておいたもの。
「どですかでん」であった。それをセットしてみる事にする。想像していた以上に、画質が劣化していた。つまらない作品なら、破棄するべきものであた。4時になっていた、何回か居眠りが始まっていた。DVDを停めて、寝た。
 雨戸の少し開けておいた、隙間からの日差しで、目を覚ました。テレビのスイッチを入れて時間を見ると、まだ、7時半であった。あまり寝ていないのに、眼が覚めてしまうのは、これは歳のせい、だと思う。噛んでしまった舌のせいで、口の中が、不機嫌である。下に行き、歯を磨いてくる。寒い、というより、冷たいので、顔は洗わず、部屋に戻り、布団に入る。しばらくして体が温まったところで、続きの「どですかでん」を最後まで見た。

 終わったあとはケーブルテレビに切り替え、チャンネルを回す。面白かったのは、必ず、放送していないチャンネルで真ん中に四角で「ご加入のケーブルテレビ局へ連絡してください。 (E205)」で寝ていることであった。
12時半過ぎ目を覚ましていた。「BlackJack]秋田書店版10巻目を見る
13時になると、妻が「お昼で来たよ」と下で呼んでいる。寝巻きに、上着を引っ掛けて下に行き、コタツに入り、新聞を見ながらスパゲティーミートソースで昼食を済ます。手間がテレビをつけ、ケーブルの番組を見ている。
13時30分部屋に戻りまた布団に入っている。「小説手塚学校」2の続きを読む。
見終わってしばらくした、14時40分パソコンの電源を入れる。

 ブログに「小説手塚学校」2の最後の解説までを読み終わり、メモを書いておこうと、体重表やアマゾンランキング表など記録したあと書き始める。
メモ
 先ずは
「こだま」について
大坂まで6時間以上かかって、とあったが、私は7時間はかかると思っていた。そこで調べてみると。
昭和33年に東京と大阪間の日帰り可能な「ビジネス特急」新設で国鉄では一般公募した。
9万3千票もの応募で、1位は「はやぶさ」で、2位「平和」3位「さくら」「こだま」は374票だった。
しかし「1日で行って帰ってくることができる」ことから「こだま」(やまびこ、だから)に決定されたらしい。
使用されたのは特急形車両の151系電車。
東京 大阪間を、機関車牽引による客車特急「つばめ」・「はと」が7時間30分で結んでいたのに対し、
電車特急「こだま」は当初6時間50分で結んだ。
昭和34年7月に所要時間を6時間40分
昭和35年6月には6時間30分にまで短縮した。
だから東京駅までの時間など考えると7時間はかかっていたことになる。

16時過ぎ妻が呼びに来る、私が前に「年末ならぎりぎりの所で売り筑紫をやるかもしれない安くなるぞ、ジャパンに来るか」といっていたものと、内緒だが、長男を誘えばという妻の下心があって呼びに来た。
家族全員を乗せて、東村山の、ジャパンミートへ行く。かなりの買い物をする、蜜柑の箱もいつもは手の出ない高価なものなどなど、そしてやはり妻の思惑通り長男の懐狙いとなったようだ。少しはましな正月となりそう。それでも物足りなく、オザムに寄ってと言う。年越しそば用に贈答のsetを買って置いたのに面倒だからとカップのそばを買い、私にも茹でるだけ野を買っていこうという。自分はそばは嫌いなのでカップうどん、狐みたいなのに狸だって。その他いろいろの買い物となる。妻がレジに並んでいる頃なんとなく冷凍食品のところにいる、すると普段500円ぐらいする、冷凍うどんが160円で特売している。ならば、おそばも有るのではないかと、スキンを検索、するとそう、遠くない所で発見。値段も同じ、すぐに妻の所に行き、どう思うか尋ねると、説明書を読んでこっちのほうが簡単と取り替える。それを、返してくる。レジを済ませ車に戻ると、出口近くで待っていた子らが居ない、車に妻を残し店内意を検索しに行く。次男が迎に来る、「出口に居たのに」
17時50分家に戻る
19時50分夕食鍋であった。年越しそばが有るので軽めに。
(私だけ一人用の鍋でキムチ味)
20時10分部屋に戻る、パソコンをつけてテレビも点ける。紅白、小林さんが歌い始めた、気がつくと歌い終わっていた肝心の所を見ていない。21時50分パソコンの電源を切り一度下に行く。
部屋に戻りまたパソコンの電源を入れる。
23時30分妻が上がってきて「そろそろ食べようか」と呼びに来る。長男がテレビの画面をダブルにしてあった。それぞれの年越しそばを食べる。物足りなく「これだけ」と妻に聞くと、簡単だからすぐ出来いるから作ってくるねといって立っていく。「良い」と言う勇気は出ないで、作ってもらったものを汁が薄くなったといって汁を足してもらって全て食べてしまった。ダブルの場面の打ち一つがカウントダウン、時報と共に家族で新年の挨拶をする。「氷川神社へ行こうか」と言う次男に「もういっぱい人が並んでおまいりできないよ」と言う妻に全員が賛同し、暖かいコタツから出ようとはしなかった。

私は年が変わった所で画像を投稿しようと、準備をしておいて、時報と共に投稿するをクリックする。
1月1日は0時0分1秒にアップした。
パソコンをしていると妻がきて「全員入ったよ」だって。1時50分風呂に入り風呂場の電源とストーブを消して部屋に戻り、すぐにパソコンを辞め布団に入り見るとはなしに、チャンネルを回しながら(ふるいね、いまは切り替えながらと言うべきか)4時過ぎ寝たようである。
コメント
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