「知る」ということと「わかる」ということは違います。
知ってはいても、実行されなければわかったことになりません。
薬の効能書きを読んだだけでは、病気は治りません。
仏の教えも実行(実践)してはじめて、わかるのです。
合掌
「知る」ということと「わかる」ということは違います。
知ってはいても、実行されなければわかったことになりません。
薬の効能書きを読んだだけでは、病気は治りません。
仏の教えも実行(実践)してはじめて、わかるのです。
合掌
生まれ変わりは、仏教では輪廻転生とよばれ日本でも古くから仏教思想の中に取り入れられています。
真言宗を開かれたお大師様の誕生にまつわるお話です。
お大師様のお母様はインドの偉いお坊さまが体の中に入ってきた夢を見て、身ごもったと言われています。
そのため、ご両親は「この子は前世、仏に仕える人であったに違いない、将来はお坊さんにしよう」
と話し合ったそうです。
その偉いお坊さんとはお大師様が唐で師事された恵果阿闍梨の師であられる不空三蔵法師だと言われています。
不空師は死の直前に弟子の恵果にこう言い残しました。
「わしは来世は東の国で生まれ、そちの弟子になるだろう」
お大師様は遣唐使の留学僧として唐に渡り恵果師を訪ねました。
恵果師は後にお大師様をご自分の後継者に選びましたが、その理由の一つに
自分の師であった不空三蔵法師の生まれ変わりだと信じていたからだと言います。
霊魂は永遠不滅でこの世とあの世を何回も往復します。
この世は修行の場で魂をみがくこと、すなわち善い行いをして自分を高める勉強をする場なのです。
あの世では、仏さまから指導を受け、修行が足りない時には何度も生まれ変わりを繰り返し、足りてるときは
仏さまの仲間入りをするそうです。
お釈迦さまは何度も何度も生まれ変わり、それぞれの人生の中で善行を積み、修行を重ねました。
そのような過去世があったから最後の生で悟りを得て解脱したと伝えられています。
合掌
仕事を辞めるときや悪いことから身を引くときに「足を洗う」といいますが、
足を洗えば気分が新たになります。
「足を洗う」の語源は、仏教からきていると言われます。
昔の僧は、修行のために裸足で外を歩いていました。仏教の思想では、お寺の中を救いの世界、
お寺の外を迷いの世界としていますので、裸足で修行に歩いた僧は、お寺に入る前に足を洗うことで
俗世間の煩悩を洗い清めていたとされています。
このような習慣から、悪い行いをやめる意味の言葉になったとされています。
現代ではそれが派生して、善悪関係なく何かをやめるときに使われるようになっています。
英語では wash one's hands つまり 「手を洗う」と言うそうです。
英語だけに限らず、中国でも手を洗うというそうです。
ちなみに気持ちを新たにの「新たに」というのは「洗った」という言葉が語源のようですね。
足も手もきれいに洗い、そして心もきれいに洗って、日々新たな気持ちで精進いたしましょう。
合掌