よい種子さえ撒いておけば、いつか必ずよい芽が出てきます。
悪い種子を撒いておくと、悪い芽が忘れた頃にちゃんと出てくるんです。
人間というのは、かならず何かの縁によって生きているものです。
自分の撒いた種は、刈り取らなくてはいけません。いい種も、悪い種も。
たいていの人は、雑草だらけのままになって後悔しておりますが・・・。
お釈迦様はダンマパダ(中村 元氏訳より)でこう説かれております。
「悪いことをした人は、この世で憂え、来世でも憂え、ふたつのところで共に憂える。
かれは、自分の行為が汚れているのを見て、憂え、悩む。」
「善いことをした人は、この世で喜び、来世でも喜び、ふたつのところで共に喜ぶ。
かれは、自分の行為が淨らかなのを見て、喜び、楽しむ。」
「悪いことをなす者は、この世で悔いに悩み、来世でも悔いに悩み、ふたつのところで悔いに悩む。
『わたくしは悪いことをしました』といって悔いに悩み、苦悩のところ(=地獄など)におもむいて(罪のむくいを受けて)さらに悩む。」
「善いことをなす者は、この世で歓喜し、来世でも歓喜し、ふたつのところで共に歓喜する。
『わたくしは善いことをしました』といって歓喜し、幸あるところ(=天の世界)におもむいて、さらに喜ぶ。
一日一善という言葉があります。
毎日、善いことをするのが難しければ、一日に一つ、喜びの種を見つけましょう。
合掌