お釈迦さまは、弟子たちに「死の瞑想」を強く勧められました。
この瞑想は、日常の生活の中でいつでも「間もなく死が訪れる」と心で念じるものです。
インドでは、「死」は悟りに至る為に欠かす事の出来ない最も伝統的な瞑想対象の一つとされていました。
死は、遠い将来、自分が年老いてから訪れるものだと考えているのですが、この行の目的は
「いつどんな瞬間にでも死ぬ可能性がある」という事実を日常に持っておくと言う事です。
この「死の瞑想」に熟達している弟子たちは、日常生活において欲に溺れて楽しみを得ようとはしなくなり
また死を恐れなくなるそうです。
死は生き物とって必然であり、その必然の結果をあえて意識する事によって生きていることの尊さ
生きている時間の短さ、生命のはかなさを覚え、そこから正しく生きて行こうという意欲が湧いてくるのでしょう。
川の流れとは止まることなく変化しつづける水のことですが、人の体も心も同じです。
生物学者によると人体を構成している細胞は日々入れ替わり、七年で全て入れ替わるといいます。
生まれては消えて行き、日々生と死が繰り返されているのです。
そういう意味で人間の存在とは、実態がないから、人間はあらゆるものに執着しなくてよいということになります。
私たちは死ぬときは死ぬ、そして病気になる時は病気になります。ですから、命の有る限りは
イキイキと生きて、寿命が尽きた時は明るく安らかに往きたいものですね。
合掌