明治乳業社長から、明治HD子会社・株式会社 明治の代表取締役社長を務めてきた浅野茂太郎氏の時代から見えてくるものは。
第一、製品不祥事・不正・食品衛生法違反・乳等省令違反などが、2000年の雪印乳業大量食中毒事件以降、23件も発生を繰り返してきている。背景には、消費者・取引先に分からなければそれでよし。その沿線上の結末を招いたのが、乳児用の主食とされる明治粉ミルク「明治ステップ」から放射線セシウム30.8ベクレル/㎏汚染が発覚しました。
浅野社長は、基準値の低い数値ではありますが、乳児をお持ちのお母さまに安心していただくため無償交換をさせていただきました。と、答えています。無害だと言わんばかりの応えには、程々あきれ返るばかりです。
これまで社会的要求になっている製品検査を徹底し、その結果数値を公表することであります。
しかし明治HDは、株主総会への質問に対し、行政のモニタリング検査で安全性が確認されていますと言う見地から、「検査はしません」と放置してきた挙句の果てです。
本来ならば、消費者の疑問や不安にいかに迅速に応えていくべきで、それらが出来ない見識は、社会的責任の意識が欠如していることでないでしょうか。まさに、営利主義そのものが浮き彫りになりました。
この様に、国民・消費者ならびにマスコミからの指摘や告発に対しても、「聞く耳持たず」を貫き通しています。明治HDの姿勢は、国が定めた基準の範囲で企業活動を行いますと答えています。これでは、消費者の求める放射性物質のゼロに近い商品を作り出すことは到底望めません。
いずれも、消費者離れを引き起こす経営姿勢です。
第二、1996年(平成7年)に取締役に就任した以後、2002年守谷工場(茨城県)で、新入社員19歳の青年労働者が、機械トラブル発生修復作業中に、機械構造など未教育のままシリンダーと機械枠に頭部を挟まれ死亡。2010年関東工場(埼玉県)にまたもや21歳の非正規女性従業員が、製品積み込み昇降機のメンテナンス作業中に下敷きとなり圧殺死の状態で発見。同年、明治の子会社・明治ロジスティック(埼玉県関東工場の近く)で、非正規の51歳女性従業員がフォークリフトと壁の間に挟まれ死亡。これらの重大災害は、会社が行うべき安全教育や労働環境への安全配慮義務の欠如が背景にあるものの、どれ一つ、浅野社長はじめ誰も社会的責任を問われていない。
第三、最たる問題は、1960年代から労働争議が絶えない明治乳業。東京高裁から、長期にわたる争議解決の最後のチャンスとして、民事5部小林克己裁判長の強い意志の「和解勧告」が出されましたが、浅野社長は判断を仰ぎ見るのみと話し合い解決を拒否しました。
明治製菓と経営統合するさい、新生される企業活動の発展を顧みたときに、長期にわたる労働争議の清算を図れと話し合いを一貫して求めてきましたが、浅野社長はその決断すらできなかったのであります。
第四、明治乳業の歴史をひも解いたとき、要求を掲げ組合活動を行っている全国の組合支部活動を根こそぎ支配した以降、労働組合中央役員を務めあげた者を経営人事に参入させる経営方針でした。
浅野茂太郎氏は、労働組合市川支部役員選挙で、会社支配のインフォーマル組織「明朋会」から支部長になった経歴で社長に栄転をしました。
前任の社長は中山悠氏です。中山悠氏も明治乳業労働組合中央執行委員長を経歴し、1989年から03年まで長期わたり明治乳業の社長を務めました。
昭和30年に明治乳業労働組合中央執行委員長を経歴した菅野祐吉氏は、昭和50年に取締役に栄転です。
昭和31年に明治乳業労働組合中央執行委員長を経歴した中沢末吉氏は、昭和49年に取締役に栄転です。
昭和32年に明治乳業労働組合中央執行委員長を経歴した吉田恒夫氏は、昭和49年に取締役に栄転です。
昭和36年に明治乳業労働組合中央執行委員長を経歴した斉藤一三氏は、昭和50年に取締役に栄転です。
昭和37年に明治乳業労働組合中央執行委員長を経歴した師尾尚氏は、昭和50年に取締役に栄転です
2012年に株式会社明治の浅野茂太郎社長の後任の川村和夫氏も、明治乳業労働組合中央書記長から1990年中央執行委員長を経歴し、この度社長に栄転しました。
このように明治乳業労働組合の幹部が会社の首脳部になるという歴史は連綿として続いています。
親会社明治HDと子会社(株)明治の関係は、この度も浅野社長が選択した体制は、後任に労働組合中央執行委員長歴任者を据えたことです。
この間、放射性物質による汚染が社会的に追及されている中でも、労働組合としてのコメントが何一つなかったことは、かつての、雪印乳業の食中毒事件の際、マスコミから労働組合としてのチェック機能が果たされていないと痛烈な批判がされていました。
「ヒラメ」的経営体制では将来はありません。いまこそ国民・消費者の目線に立ち、食の安全・安心を提供する思考の改革を行い、3つの異常と歴代経営体制を見たときに、浅野社長は相応しくない。即、退陣すべき環境だった筈です。
第一、製品不祥事・不正・食品衛生法違反・乳等省令違反などが、2000年の雪印乳業大量食中毒事件以降、23件も発生を繰り返してきている。背景には、消費者・取引先に分からなければそれでよし。その沿線上の結末を招いたのが、乳児用の主食とされる明治粉ミルク「明治ステップ」から放射線セシウム30.8ベクレル/㎏汚染が発覚しました。
浅野社長は、基準値の低い数値ではありますが、乳児をお持ちのお母さまに安心していただくため無償交換をさせていただきました。と、答えています。無害だと言わんばかりの応えには、程々あきれ返るばかりです。
これまで社会的要求になっている製品検査を徹底し、その結果数値を公表することであります。
しかし明治HDは、株主総会への質問に対し、行政のモニタリング検査で安全性が確認されていますと言う見地から、「検査はしません」と放置してきた挙句の果てです。
本来ならば、消費者の疑問や不安にいかに迅速に応えていくべきで、それらが出来ない見識は、社会的責任の意識が欠如していることでないでしょうか。まさに、営利主義そのものが浮き彫りになりました。
この様に、国民・消費者ならびにマスコミからの指摘や告発に対しても、「聞く耳持たず」を貫き通しています。明治HDの姿勢は、国が定めた基準の範囲で企業活動を行いますと答えています。これでは、消費者の求める放射性物質のゼロに近い商品を作り出すことは到底望めません。
いずれも、消費者離れを引き起こす経営姿勢です。
第二、1996年(平成7年)に取締役に就任した以後、2002年守谷工場(茨城県)で、新入社員19歳の青年労働者が、機械トラブル発生修復作業中に、機械構造など未教育のままシリンダーと機械枠に頭部を挟まれ死亡。2010年関東工場(埼玉県)にまたもや21歳の非正規女性従業員が、製品積み込み昇降機のメンテナンス作業中に下敷きとなり圧殺死の状態で発見。同年、明治の子会社・明治ロジスティック(埼玉県関東工場の近く)で、非正規の51歳女性従業員がフォークリフトと壁の間に挟まれ死亡。これらの重大災害は、会社が行うべき安全教育や労働環境への安全配慮義務の欠如が背景にあるものの、どれ一つ、浅野社長はじめ誰も社会的責任を問われていない。
第三、最たる問題は、1960年代から労働争議が絶えない明治乳業。東京高裁から、長期にわたる争議解決の最後のチャンスとして、民事5部小林克己裁判長の強い意志の「和解勧告」が出されましたが、浅野社長は判断を仰ぎ見るのみと話し合い解決を拒否しました。
明治製菓と経営統合するさい、新生される企業活動の発展を顧みたときに、長期にわたる労働争議の清算を図れと話し合いを一貫して求めてきましたが、浅野社長はその決断すらできなかったのであります。
第四、明治乳業の歴史をひも解いたとき、要求を掲げ組合活動を行っている全国の組合支部活動を根こそぎ支配した以降、労働組合中央役員を務めあげた者を経営人事に参入させる経営方針でした。
浅野茂太郎氏は、労働組合市川支部役員選挙で、会社支配のインフォーマル組織「明朋会」から支部長になった経歴で社長に栄転をしました。
前任の社長は中山悠氏です。中山悠氏も明治乳業労働組合中央執行委員長を経歴し、1989年から03年まで長期わたり明治乳業の社長を務めました。
昭和30年に明治乳業労働組合中央執行委員長を経歴した菅野祐吉氏は、昭和50年に取締役に栄転です。
昭和31年に明治乳業労働組合中央執行委員長を経歴した中沢末吉氏は、昭和49年に取締役に栄転です。
昭和32年に明治乳業労働組合中央執行委員長を経歴した吉田恒夫氏は、昭和49年に取締役に栄転です。
昭和36年に明治乳業労働組合中央執行委員長を経歴した斉藤一三氏は、昭和50年に取締役に栄転です。
昭和37年に明治乳業労働組合中央執行委員長を経歴した師尾尚氏は、昭和50年に取締役に栄転です
2012年に株式会社明治の浅野茂太郎社長の後任の川村和夫氏も、明治乳業労働組合中央書記長から1990年中央執行委員長を経歴し、この度社長に栄転しました。
このように明治乳業労働組合の幹部が会社の首脳部になるという歴史は連綿として続いています。
親会社明治HDと子会社(株)明治の関係は、この度も浅野社長が選択した体制は、後任に労働組合中央執行委員長歴任者を据えたことです。
この間、放射性物質による汚染が社会的に追及されている中でも、労働組合としてのコメントが何一つなかったことは、かつての、雪印乳業の食中毒事件の際、マスコミから労働組合としてのチェック機能が果たされていないと痛烈な批判がされていました。
「ヒラメ」的経営体制では将来はありません。いまこそ国民・消費者の目線に立ち、食の安全・安心を提供する思考の改革を行い、3つの異常と歴代経営体制を見たときに、浅野社長は相応しくない。即、退陣すべき環境だった筈です。