毎日が夏休み

LEAVES THAT ARE GREEN TURN TO BROWN

ジャンプ台放浪記 アルファシャンツェ編

2010-04-10 23:46:46 | ジャンプ台放浪記関連



えへへっ。







早速作ってしまいましたわ,エア新書(笑)。
脱力脱力っ。
一昨日の札幌シャンツェ編も貼っておきました(笑)。






さぁ今日はアルファシャンツェ編を。


このアルファシャンツェも悩み多きシャンツェでした。
シルバーシャンツェと違い場所はある程度しっかりしていたのですが、
お山の呼び名で混乱いたしましたっ。


だってね(笑)。
目の前にあるお山とその呼び名を基準に探し始めましたから。









これが私が毎日見て暮らしている大なまこ山です。
我が家からこの角度で、
ちょうど大なまこの背から腰のどんづまりを斜めから見てるのかな?(笑)。








これは西高のグラウンドから見た大なまこ山。
イメージ違うって、三角屋根だって…
大胆に言えばなまこのおケツを下からどんと見ている角度。
建物も道路もほとんどない状態なら…
今とは全然違ったのではと。


大倉山で昔のここら辺のスキー場の映像を見せてもらいましたが、
ほんと見事になにもないなだらかなスロープでして。
牧場だからでしょね、
あのハイジの丘みたいでした。
山に『なまこ』とつけるくらいですから。


なまこ山、木野山、馬場山、馬の背。
初めのころは泣きましたわ(笑)。
今では「ふんふん」で済ませちゃうっ(爆)。



さてと。



4月2日に北海道新聞社閲覧室に行きまして。
あまりの多さに動揺し、
シルバーシャンツェを調べるつもりが、
アルファシャンツェの年代を調べてしまいまして…(汗)。


よって手元に数枚の当時の新聞記事のコピーがありますので載せます。








1923年(大正12年)11月18日(日曜日) 北海タイムス


スキーぢゃう(笑)。

もう上の記事だけで謎解きでしょ(笑)。
理解&把握してないともう訳わからんちんでブン投げたくなるっ。
もう学習あるのみでして。
今読めばわかるんです。
4月2日にこれ見たときはオーマイガーッでしたわ。


北海道山岳会が…←アルファシャンツェ
札幌市←札幌シャンツェ
北海道大学←仮設&新設シルバーシャンツェ

これをアタマにインプットしないと混乱します。
逆にこの持ち主?が分かっているとシャンツェ名が出てなくても行き着くわけです。
つまり上の記事はアルファシャンツェに関して報じているわけです。


で、
記事なかほどの「北大のジャンプ台」とはシルバーシャンツェ。
これとT字形をするような位置に出来、、
北大のそれほど高級なものではない。
…このT字形ってのがひっかけでして。
頭の中には札幌シャンツェの画像がありますから、
えらい混乱するわけです。
札幌シャンツェは昭和ですからまだ存在しない。
アルファがなまこならシルバーはどこなのよとね。

初歩の人々の練習用を兼ねたもの…
アルファシャンツェのアルファはここからきてるんです。
ということは、
シルバーは逆に初心者向けではなかったことが想像できるかと。







1923年(大正12年)12月22日(土曜日) 北海タイムス


約一ヵ月後の新聞記事です。
なんだか無茶な位置というか、
写真と記事が離れて同じ紙面に載っていますわ。
こちらの都合上、別々に。












この写真は見たことないでしょ?
私も閲覧室で「うぉぉぉぉっ」と小さく叫んでしまいましたもの(笑)。


記事では北海道山岳会となってるでしょ?
この札幌スキージャムプ台とはアルファシャンツェ。
円山神社の北の方の奥で馬場牧場の西南方に当たり北大ジルバーシャンツェとT字形に相対して居る
…考えたらね、
今みたいに何条何丁目の枝番いくつみたいなものないか(笑)。
こういう場所表現になっちゃうんでしょね、新聞記事でも。


それにしても、
その後の文がすごいって。
読めば構造や当時の様子が分かるでしょ?









アルファシャンツェ





大正5年の地図




一昨日と同じですが、
昭和4年1月18日 北海タイムス 札幌シャンツェとアルファシャンツェの記号





昭和25年の地図





1961年(昭和36年) 国土地理院空中写真





現在







山の手南小学校裏の公園から



「ジャンプの友」と、
もう少し上(三角山側)の大なまこ寄りで話が一致いたしました。
この古い写真の撮影場所は掴んでいるのですが、
おそらく行っても住宅に阻まれ見えないのではと…

ちなみにこのジャンプの友は、
一昨日出の大なまこからの画像よりもっといい位置を見つけております。
座布団一枚進呈いたします…




もう一枚。
昭和4年1月18日付けの北海タイムスの記事を探しに行ったのですけど、
同じ日の新聞一面写真ってのがありまして。







これです、拡大しますね。







ど、どこのシャンツェじゃ?
昭和4年ならシルバー、アルファ、札幌と出揃っているっ。


記事の説明を読めって?
はいっ。
ラジャ~っ、了解いたしましたっ。


【殿下御台覧遊ばされる札幌郊外雪のシャンツェ】


どっひゃぁ~でしょ(笑)。
確かに高松宮殿下は三角山ね。
この櫓は札幌シャンツェかな?
次回シルバーの櫓の踏み切り部分の写真載せますけど、
そことは違うような気がします…
まぁなんといってもこの画質。
解けた方はご一報くださいっ。助かりますっ。







一昨日と似てるけど違うアルファシャンツェ&札幌シャンツェ


記事の説明文は、
【三角山スキー場】


…なんだかロマンでしょ。
ロマン漫遊記(笑)。


あったのよ、
ね?
あったでしょ、夢のジャンプ台がまず二つ






アルファシャンツェ 断面図と平面図

本当、小屋の屋根からスタートだっ。



【アルファシャンツェ】
大正12年(1923)、北海道山岳会がスキー奨励のため、
札幌近郊にシャンツェを建設したいと北大スキー部に場所の選定、設計を委嘱した。
それを受けて、北大は先に調査したデータをもとに、
三角山に固定シャンツェの第二号を建設することになった。
その場所は頂上から見て南東方向に張り出した尾根上の鞍部小丘である。
…このシャンツェは、アプローチ約23㍍、ランディングバーン約25㍍、アウトライン20㍍という小規模なものであった。
すでに建設されていたシルバーシャンツェに対して初級者用としていたので
アルファベットの最初の文字をとってアルファシャンツェと名づけられた。
最初のこけら落としは大正13年(1924年)1月27日のジャンプ大会   
                         ~さっぽろ文庫96 大倉山物語より




いかがでしょ。


でもね、
疑問点もあるのです。
上出の大正12年12月22日の記事の中で、
『北大スキー部のジルバーシャンツェ』という言葉がすでに使われているのですわ。
あの大野精七さんの『北海道のスキーと共に』では、
大正13年10月、ジャンピングヒルを改造、ジルバーシャンツェと命名となっているんですわ。
う~ん、どっちが正しいというより、
本の信憑性が…ぐらぐらと…
で、ジルバーでしょ。
私は銀雪のシルバーだと最初から思い込んでいたのですけど、
もっと楽しい意味が含まれていたのでしょか…



さらに。







おおっでしょ。
ただし、思い出して書くですから。



ご近所拡大いたしますと、








ジルバシャンツェの下にアルファシャンツェの絵が。
右↓隅の大なまこの木野山にもジャンプ台が。
大ナマコの三角部分ね。
これはアルファシャンツェよりも新しい時代のものなのではと思うのです。


おそらくこの方のこの絵は、
山の位置とジャンプ台の配置を考慮して書いたと思うのです。
となると。
フルヤシャンツェって??
これは何処を指している??
同じ山でダブったのを、
たとえばアルファと木野山みたいに別に書いているとしたならば…。?。
この山の形、尾根の流れ、
彼は何処を指してフルヤシャンツェを書いたんだい??

閃いた方、ご存知の方ご一報ください。

そして一番の疑問なのですが…
この絵の中に札幌シャンツェがないんですわ…
ジルバが札幌で寺口山がシルバー?
いや、違うと思う…


ね、
この絵を書いた人にお聞きしたいです。


調べ初めの頃はね、
『ジャンプ台が三つもっ』だったのですけど、
今じゃいくらでもあったんだなとね。
櫓のものからスコップで雪を固めたものまで。


最初の三つ(シルバーの仮設&新設を分けて数えると四つ)は間違いないんですけどね。
シルバー、アルファ、札幌。
その次に荒井山、大倉山。


私の知りたかったことは場所なんです。
大雑把でいいから、
ここらへんにジャンプ台があったんだよってね。
何故ってね。
私の窓から全てのジャンプ台が見えていたのではないかとね。
そう考えたらぞくぞくわくわくでして。


ただそう簡単には…
シルバーです。
シルバーが動く歩くのっしのっしとね(笑)。


かなりアタマを使ったので(笑)、
明日チカラが残っていればシルバーを。
疲れて崩壊していたらなんかばかちんネタで。


ジャンプ台放浪記 アルファシャンツェの報告でした。











ジャンプ台放浪記 札幌シャンツェ編

2010-04-08 22:53:53 | ジャンプ台放浪記関連





気持ちのいい場所を見つけました。








ここからシルバーシャンツェ、アルファシャンツェ、札幌シャンツェ。
三つのジャンプ台が見えていたなんて想像できます?
私の目にはね、
幻のジャンプ台といわれている三つのジャンプ台が、
なんだか幻じゃなくてね、
この山肌に浮かび上がってきちゃいまして。
…重症(笑)。




いい場所でしょ。








三角山の右手には寺口山越しに手稲山。
ひょっとして銭天?春香山も??
え?そこまで見えるの??
きっちり同定できる方いらっしゃいます?
眺めのいいことだけは確かなんですけど。










三角山左手はお馴染みの山山が藻岩山まで続いております。
え~と、
なんだったっけ、
スカイライン・プロムナード。
昔、藻岩山から尾根伝いに三角山まで歩いていたという話。



なんだかいろいろな話にぶつかりました。



さぁ。
やりましょうっ。
分かったことを書きましょうっ。


レトロスペースさんはそのうち。
結構悩み画像多々でして(笑)。


まず札幌シャンツェから。
順番から行くとこれが三つの内の一番最後なんですけどね。






昭和4年1月18日 北海タイムス




大正5年地図




昭和25年地図



まぁまぁ見えんと言わずに。
ちゃんと拡大いたしますから。


三種の神器じゃないですけど、
地図と文献と人との関わりがどれほど大きな決め手となったことか。


記録なら出てくるんです。
いつ出来てどれくらいの大きさでとかね。
でも何処にあったのか何処に造ったのかはこれが出てこないんですわ。


この札幌シャンツェも何処に造られたという記載は見ておりません。
三角山という言葉だけ。麓とか山麓とかね。
ただ、
論より証拠のくっきり写真が残っておりまして。


あと三角山の文化人、
あのすっぴんで出かけた溜め息の館のI氏から、
『宮の森病院のところにジャンプ台があったそうです。
 今は後欠片もありません。』
この情報はいただいておりました。


ただそれが真実なのかはわかりません。
本当にそこにあったのか、
別の場所なのか。







中央アルファシャンツェ 右札幌シャンツェ




三角山公園




大なまこ山




古い写真を片手に撮影場所を探して歩いたのが3月14日の大なまこ山へです。
札幌シャンツェの頃の写真は採石で道が作られる前ですので、
今現在とは地形は多少変わっているはずです。
宅地化で斜面は削られ大なまこも分断されてしまってますが、
上の三角山公園写真の場所がアルファシャンツェのスタート付近、
現在の宮の森病院の場所に札幌シャンツェ。


これでほぼ決定と思っていたのですが。
違う情報が入ってきまして。
もうジャンプ台探しは放り投げてしまいましょかとヘタれたのですが。


このヘタれが新たな展開となりまして。


緊急要請をかけ、
地図地形地質の鉄人my同期のK氏←ばればれ→に資料を見て貰ったのですが、
その地図に札幌シャンツェを示す記号というか図と文字を発見してくれまして。
(文字は私でも読めたのですが、あの長いX記号がジャンプ台だとは考え及びませんでして)
さらにシルバースロープも載っておりまして。


I氏の証言(と言っていいのか?)・写真・地図。


では先ほどの昭和4年北海タイムスの記事地図の拡大を。






いかがでしょ。
札幌シャンツェの文字と、
その上にあるジャンプ台の向きと位置を表す書き込み記号。
今2,3名『おおっ』と言ってくれました?(笑)。


さらに次回とカブってしまうのですが、
文字と記号の間に小さくアルファシャンツェと思われる記号も見つけた人はエラいっ。
向きがもうちょいと傾いてますけどね。





札幌シャンツェ断面図と平面図




【札幌シャンツェ】
アプローチの65㍍は地上10㍍の櫓を組んだ。理想的なランディングバーンで
35㍍の飛距離が可能とされ、当時の新聞は「東洋一の大シャンツェ」と報じていた。
大正15年12月(1926)に着手し、翌年1月(1927)、大正天皇の崩御により年号がかわって昭和2年(1927)1月に竣工、
札幌シャンツェとよばれた。    ~さっぽろ文庫96 大倉山物語より


大正15~昭和1~昭和2と年号のマジックですが上であっています。







2010年4月1日


ね?見えるでしょ??
え?私だけだって??(笑)。


札幌シャンツェの他の写真、出てこないのです。
あの古い写真とほぼ同じのしかまだ見ていない。
情報も札幌シャンツェは少なかったのに。


逆に写真も情報も多いのに足が生えて歩き回ったのがシルバーシャンツェでして。
いえ、
歩かず鎮座してたんでしょけどね。


あくまでも私の考えでの札幌シャンツェですので、
本当にあった場所は違うのかもしれません。


「それは大間違いだよ、君っ。」という方は、
どうぞソフトタッチでご指摘ください。
新しい情報や修正点があれば訂正&加筆してゆきます。







*4月10日追加





ジャンプ台放浪記 札幌シャンツェの報告でした。








ジャンプ台放浪記 なんちゃって編

2010-04-02 20:19:19 | ジャンプ台放浪記関連




す、すみませんっ。
今日は一人笑わせてください。







午後から道新本社に行ってきたのですが…


ここね、
古い新聞記事を閲覧できるのですわ。
私過去に一度昭和19年の新聞を調べたことがありまして。
マイクロフィルムに記録してあるんです。


ただね…
何年何月何日ときちんと調べる対象が確定しているときはばっちこなんですけど、
あやふやというか、
大正11年ごろなんて指定するとわやなことが起こります。


そして長時間閲覧できません。


昭和4年1月18日付 北海タイムス。


これはあっさりもう楽勝だったんですけどね。
その他がまぁ…
大正12年でいくつかは見つけてきましたけど、
なんだかミドリニリンソウ探すより大変っ(笑)。


粘ってみたけれど時間足りませんわ。


朝から食料持参で中央図書館で粘るか、
もう、
ほどほどのところで手を打つかっ。











さぁここから壊れて笑おうぞよっ。



駆け足で、なんちゃってジャンプ台大通り編。









Do you know it?






札幌シャンテ(笑)。









なまこ壁(笑)。









時計台。ぷっ。




以上。
壊れかけたおっばはぁ~んが報告いたしましたっ。
顔が痒ぃ~っ。






現地入り 新たなジャンプ台

2010-03-30 23:55:55 | ジャンプ台放浪記関連





がらがらごごごごごっ…

今まで築き上げてきたシャンツェと自信と確信が惨くも崩れる音。





のっしのっしどすんどすんっ…

歩くジャンプ台の音。





しゅっしゅっしゃきんしゃっき~んっ。

己の再構築の音。



昨日は激しく物事が動いた一日でした。
もう投げ出しちゃおうかなとね。
そこまで参りました状態に。


でもね、
不屈のおっばはぁ~んですから(笑)。






さて。
ここには書いてませんでしたけど、
私の元にありがたいメールが届いていたのです。
それは昔三角山のジャンプ台を飛んだことがあるという方からで。
正確にはジャンパーの息子さんのお嫁さんからです。



もうご厚意にどっぷり甘えさせていただきまして、
記憶の場所とその年代を教えてくださいとメールいたしましたら、
詳しく場所を示した地図と詳細を送ってくださいまして。


で。


その場所と呼ばれていたジャンプ台の名前は初めてでして。
検索かけたら数件ヒットいたしまして。


北大シャンツェ。


ヒットした記事も、
情報提供してくださった地図も、
大倉山の駐車場付近と共通しておりまして。


これは行くしかないっ。
駐車場近辺山肌谷沢探るしかないっ。


でもね、
ちょいと冷静でもまぁないのですが、
この時期いきなり現地入りしてもとね。
その前に大倉山に聞いてみましょうかと。
本当に駐車場に何か昔の形跡が残っているのなら、
天下の大倉山さんですもの、
把握しているに違いないとね。



で、
大倉山に電話いたしまして。
ってお山にもちもちではありませんから←わかってるよってね。


ここから私の持つ星の運でしょか(爆)。
いえ、
メールをいただいた、
あるいは三角山のジャンプ台が気になった、
もっと言えば三角山の近くに居を構えたとこから始まっていたのかもね。


ズレましたが、
電話は思いがけぬ方向に人物に回されまして。
最後に繋がったのは、
大倉山の研究員の方でして。
(私は正直駐車場に繋がると思っておりました)



事情を説明すると、
ありますと。
この研究員さんも昔のジャンプ台を追っていると。
資料を見せてくださると。


…興奮のあまり私得意の勘違いの思い込みをいたしまして。
もうここで私のジャンプ台放浪記にピリオドが打てる、
ついに最終章&完だぜっとね。


もう鼻息荒荒意気揚々でして。
大倉山行くのに三角山の下コースを突っ切りまして、
まぁ慌てて出かけていったのです。


で。


私の早とちりでして。
資料や書物は山ほどあるのですが、
三角山の幻のジャンプ台は幻のままで。
これだけある書物に目を通している研究員さんでさえ、
正しい位置・場所は把握していないと。


さらに「北大シャンツェ」は初めて聞く名前だと…
アルファシャンツェか札幌シャンツェかもしれませんと。
これは私が地図を持参しなかったのがいけなかったのですが、
解決するはずのジャンプ台がさらに謎となりまして…


でもね、
ここはひょっとしたら札幌で一番ジャンプ関連の資料があるかも知れません。
研究員さんもそう言っておりましたし、
北大や中央図書館に無い本も揃っていると。
そして、
いつでもお見せしますよと。


うわぁぁぁぃっ。


おまけで三角山&なまこ山近辺の昔のスキー場の映像、
動く古~い映像を見せてもらいまして。
いやぁ、びっくり。
牧場だったこともあるのでしょうけど、
なだらかな丘陵地帯で周りに何も無いっ。
のどかでした~。



さらにっ。


前から引っかかっていたシルバースロープ、
ここのことを聞いてみましたら…
ごそごそ資料を出してくださいまして。
初めて地図上にシルバースロープと書き込まれているコピーをいただきました。
残念ながらこれは公開禁止となっております。



予定外の情報をいただけたのは嬉しくって嬉しくってなんですけどね。
肝心のジャンプ台、
シルバーシャンツェはまた崩れたし、
札幌・アルファも違う場所、
あるいは北大シャンツェなのかもしれないし…


どうして場所が変わるんだい?
飽きて歩いて移動しているのかい??


結構放心状態に陥りまして。









さすが大倉山は歩いたり動いたりしないっ。


あ、
今日も画像の色へんです。
ご了承くださいっ。







大野精七さんっ。
よみがえってご教示して下されっ。
…あとでまた出てきますからぁ。









放心ながらも調査じゃ、調査っ。

左手端が大倉山。
小さく大なまこと小なまこ。
ピンクのバスが駐車場。
右手が荒井山。







送ってくださった地図には、
この駐車場右半分あたりから下の沢にかけて印がついておりまして。
記入してくださった川は現在はありませんが、
○印、
つまりジャンプ台があった位置は現在ある川の上に印がついておりまして。


…送っていただいた地図を載せれば、
リアリティ&とってもわかりやすいし説明しやすいのですが、
載せてもいいですか?と聞き忘れてしまいましたので…
私の説明で脳をフル回転させてください。



駐車場到着。
係員さんに崖の端まで行くけど心配するなと声をかけ(笑)、
いやだってね、
こりゃ怪しいし心配しますってね。







かなりの急勾配っ。
確かに下に川の気配がするっ。







もっとバスよりから一枚。



でね。
『北大シャンツェのてっぺんから、
荒井山にあるジャンプ台のてっぺんが見えたことを覚えている』


確かにそうなんです。
証言のとおり立っている位置から荒井山ジャンプ台のてっぺんがぽこっと見えている。
地図と証言が合致するんですわ。
削られて地形は変わっているけれど、
きっとここに間違いないっ。



下りよう。
川まで下りて斜面を見上げようっ。
ご安心を。
無茶いたしません。
ちゃんと車道を歩きましたから(笑)。







????。
これだいぶ前に載せたことが。
あの時も???でしたけど現在も???。
ご存知の方教えてください。
遊具?
それともロープのリフトみたいなやつ??







印で示された一番端まで下りてきました。
地図のとおり、川が流れております。







道路(おそらく雪でみえないけど橋)の向こう側、
私の背中側。
地図でいうなら宮の森4条13ー5エリア。








斜面を見上げてみる。








少し宮の森4条12側に移動。

…ここだ。
きっとここだ。
画面左に写っている先ほどのピンクのバス、
あそこの駐車場が削られる前の斜面のもっと上のほうから、
この急勾配を滑り踏み切り飛んでいたに違いない。

ここが、
『北大生がよく飛んでいた』北大シャンツェでは。
昭和26~27年に飛んだ記憶だそうです。


しっかりとした裏付けをとりたいのですけどね、
それを調べるとなるとまたかなりの時間と資料が必要となります。
これだけの記憶と現地の一致ですから、
私はここが北大シャンツェ跡なのだと思います。


後日、
何か違う資料が出てきたならその時にまた訂正なり加筆なりいたします。









でたっ、見つけたっ、12軒の文字。
ただし電信柱はコンクリート製。
となると、
そこまで古くないのかな??
S59?あ、これか。
1984年だから26年前。
なんだ、娘と歳近いってね(笑)。








でたっ、宮の森4条12丁目。
これもあとで出ますので。









嬉しいのと感激感動と、
それとはまるっきり逆方向の気持ちも動きましてね。
北大シャンツェ=札幌orアルファシャンツェだったとしたら…
今まで調べたのが音を立てて崩れてきましてね。


放心の余り何度ずぼぼしたことか…
まさに荒野を彷徨う図でして(笑)。








おまけにここを渡れとな。
プチ渡渉っ。
キーンは滲みないっ。ワンダホーっ。








waters of March
明日のあちらはこれだな。








踏んだっ。











花よりもりもと。
空腹過ぎて直行してしまいましたわ(笑)。
もうね、
歩きながら放心しているくせに『ちくわパン食べたい…』でして(笑)。
それも『ちくわパン2本並列一気食いしたい…』でして。
すっごい空腹でしたわ(笑)。
ザックから何か出すよりちくわパンっ。



でね…


帰宅して空腹を満たしてもね…
なんだか崩れたまんまの状態でして…
札幌シャンツェは何処行った?
アルファシャンツェは何処行った??
研究員さんはなんて言った??


シルバーは違うのは納得したけれど…


ここで協力要請を強制的にかけまして。
先ほどの4条12丁目。
以前ここが怪しいと言っていた人がいる…


さて名前を出してもいいのかな?
出さなくてもきっとみなさんご存知だと。


ほんと、
地形とか地質のプロでスーパーマンで私尊敬しているんです。
意外といい人だし。
いえ、
真面目に私は何度救ってもらっていることか。


まさに急襲なのに快く応じてくれまして。
集めた資料を持ち込み、
今日の経緯を説明し、
まぁプロですわ…

私が見てもちんぷんかんなやつをスラスラ解いてくれまして。
おまけに集めた資料から、
北大シャンツェは、
古い3つのジャンプ台とは別で、新たにできていたジャンプ台だろうと。
確かに時代が違いすぎるし、
木のやぐらのジャンプ台が30年近く残っていて使用可とは考え難いわよね。



これってね、
誰か他の人にうんと言ってもらえると、
すっごく自信が湧くんですわ。
やっぱり正しかったんだとね。








この大学シャンツェは北大シャンツェと同じでは。
ちなみにジルバシャンツェも出てきまして。
シルバーシャンツェと同じものだと思いたいのですけど(笑)。








深田久弥著 わが山山 雪の札幌付近

この中にちらっと三角山という言葉でてきます。
もちろん目の前の三角山ね。
で、
北大のシャンツェで飛ぶのを見たという一文が載っております。
昭和9年発行ですから、
北大シャンツェと決め付けるのは無茶かな(笑)。
「その次に大倉シャンツェに行ってみて驚いた。」と。
深田久弥さんの驚く姿、見てみたかったです(笑)。







先ほどのよみがえれの大野精七さんの本。
「北海道のスキーと共に」
これがいろいろと言葉が出てきております。
【スキー部大会、三角山頂上往復ディスタンスレースを行なう。
 スタート、ゴール共にシルバースロープでコースは自由であった】
大正10年のようです。
なんだかロマンだなぁ…


北大の本はこれから。
新しい本はもう同じことしか出てこないんですわ。
この2冊と今日借りてきた数冊。
これで区切りとしましょかなと。
あとは地図と古い新聞でしょね。



そこまで私の気力とモチベーションを維持できるかが問題なんですけど(笑)。


とことん長くなりました。
お付き合いくださりありがとうございます。


情報提供してくださったKさんとお嫁さん、
ありがとうございました。
あの画像見てもらえたら嬉しいのですけど。
場所、記憶と一致するでしょか。
今はこんな風になっております。
当時の面影は…いかがでしょうか。


それから緊急協力お願いした尊敬する私の友人。
昨夜はあのままだと潰れましたね、私。
何度救ってもらっていることか。
ありがとうございます。
その後も三日間頑張ってみるをおでこに貼ってます(笑)。





福寿草と雪とジャンプ台

2010-03-27 21:34:34 | ジャンプ台放浪記関連


なんだかすっごいお天気になっちゃいまして。


午後からあの雪の中を図書館ですわ…


一つ掘るでしょ。
で、
Aがでてきてね、
Aが決定ならいいのですが。
A’ってのもあったりして、
Bも出てきたらね。


じゃあいったいどれが正しいの?
A?A’?B?。
それを調べるためにまた別穴掘るってね(笑)。


きっちり「ココっ」ってのが知りたいわけではないのです。
アバウトでOK。
そのアバウトすらオーマイガーっでして。


でもね、
2年前に比べりゃすごいって。
ここ2週間はもっとすごいって。


文章で残っているのって意外とあやふやでして。
右の本と左の本では年代も場所も違っていたり??だったり。


画像です。
どぉんっ、これだっ、ここだっ、どうだってのが出てくれば…
ちらほら。
ちらほら出てきてるんですけどね。
あと地図。
せめて星印でもついた地図が欲しい。


断定する自信はまだなし。
もう少し時間をかけてでしょか。


ってね。
私一人じゃないんです。
私だけの力と能力ではここまで出来ましぇん。


コメント入れてくださる方、
表には出て無くても、
ウラ?あれ?なんて書けばいいんでしょ??
力を貸してくださる方がこれまた居るんですわ。



ありがたいです。





一昨日見つけ載せた福寿草。








この雪に打たれかわいそうだ…







頑張れ、おばさんが応援してるからなっ。
負けないで倒れないで可憐な花を咲かせくれっ。




もうひとつ。



ちょいと判明したことが。


いえ、
どうでもいいよなことなんですけどね(笑)。







3月23日、
ジャンプ台関連 2で載せたこの写真、記憶にありますでしょか?
なんとなく我が家のご近所なのは、
いくらばかちんこの私でも分かってはいたのですが…


図書館の帰り道、
気がつきました、私っ。


ひとりで片頬で笑ってしまいましたわ。
何故ってね、
ぷっなんですけどね、


1、の建物っ(爆)。
これ今カラーリング違うのよ(笑)。
塗装しなおしていて別色っ。
全然雰囲気違っておりまして。
いつも横を私歩いているってね(汗)。


これが分かればあとはするする楽勝でして。


2、フェンスを越えラグビーボールが空から降ってきて、
おまけにイレギュラーバウンドしたあの高校ですわ。


3、北1条宮の沢通


4、山の手通


5、今はここスーパーね。


分かってしまえばあっけないもんでして(笑)。
いやだぁ、
もろご近所エリアじゃないなんですけど(笑)。
30年近く前??
はぁ~っ。


なんだか嬉しいおまけだったのでした。


福寿草とジャンプ台

2010-03-25 21:56:56 | ジャンプ台放浪記関連



速報?ふたつ。


ひょっとしたらというか、
私みっつめのジャンプ台見つけたかもしれません。
かもしれない…
その通りでして。


もう少しウラをとってからじゃないと、
私のことですから得意のとんでもない勘違いしているかもしれませんので。



べランダから外に出て、
じっくり我が家から見えるお山を観察してみたんです。








大なまこ山。
ここにアルファシャンツェがあったのかも。
最有力候補地。







荒井山。
そういえばここのジャンプ台もうちから見えるんだった…
あまり意識していなかったので、
というか三角山のジャンプ台しか頭にありませんでしたので、
すっかり荒井山シャンツェ・ジャンプ台が見えていたことを忘れていましたわ。
荒井山さん、すみませんねぇ。
謝ります…お許しを…









元画像をトリミング。
ね、
中央に緑のジャンプ台見えてるでしょ。
左には宮の森シャンツェも写っているし。


これでアルファと札幌シャンツェが残っていたなら4つが揃ってさらに倍率どんっ。


あとはシルバーよ…
シルバーシャンツェ。







シルバーロッジ(ヒュッテ)なら見えているんです。








トリミング。
ね、
この近くにあったのではとね。



で。


今日も図書館でごそごそほじっていたんですけどね。
なんだか一冊見つけまして。
その中の写真、
初めて見る写真ではないんです。
ただ撮影範囲と荒さが違う。


これは、
この尾根は私の記憶のなかにあるラインと同じかも…


7割?おそらくシルバーシャンツェがよみがえるかもしれません。



もう一つの速報を。




本を抱えて帰る道。
強い風の中に雪が舞っております。
プチ吹雪ですわ。


地図で言うと琴似本通(栄町通)を三角山方向に向かって歩いておりますと。


歩道の街路樹の雪が融けた地面に、







福寿草を見つけました。
今年初めてのお外の花にちょいとぐしゅっとな(笑)。
しゃがみこみ、
福寿草と語らい?、
デジカメ構えまして。
白いぽつぽつは降っている雪です。







冷たい雪に負けずに咲いてくれよ。
明日もここに来てしまいそうです。




大正・昭和の三角山

2010-03-24 23:51:51 | ジャンプ台放浪記関連


ここ数日、
無い頭をフル活用いたしまして、
もうお疲れちゃんになっております…


調べていくにつれ、
必然的に古い写真も出てくるわけでして。
なかなか面白いっ。
…私は興奮鼻息荒荒になったんですけど。


このまま図書館の棚の奥で埃を被るのももったいないと。
ほんの少しですけどここで紹介いたしましょう。
興味をもたれた方は、
図書館で借りてくださいっ。











うっわぁぁでしょ(笑)。
これインパクトあったんですけど(笑)。








札幌神社は今の神宮さん。
周りに何もないっ。








今月いっぱいで閉鎖する円山市場。








あと一ヶ月もすれば同じようにお花見ね(笑)。
今年は密かに静かにどこかのお山の木の下で夜桜見たいなと。
お月様と乾杯っ。
ってやっぱり酒宴となる。


上4枚は全て昭和初期です。












ち、違いますわ、
今のシャンツェと確かに違っている。








どこの斜面なんでしょ。
手前にあったと聞いておりますが。
これは探しません(笑)。
いずれ出あうよな。








薄着。
寒かったでしょね。

タウシュベツでお話を聞いたジャンパーさん、
地面(着地面)が見えるほうが怖いとおっしゃってました。

ええっ?

見えないほうがいかにも怖そうだと質問したんです。
そうしたら、
地面が見える=着地時の衝撃大
地面が見えない=着地時スムーズ
角度の問題だと。
見えないほうが安心するとおっしゃっておりました。

わかったような、わからないような。
鳥人の世界でした。










見事に三角ですわ(笑)。








これが昭和6年頃ですって。








昭和30年代。

確かにね、
札幌から少し離れるでしょ、
小樽でもいいし私の実家でもいい。
帰りの車窓からこの三角がみえたらね、
あぁ帰ってきたんだって思いますもの。
もっと長期だったり、
もっと離れた遠い場所から戻ってきてこの姿を見つけたら、
きっと泣くだろな私とおもいます(笑)。
似たような一文が本にも載っていたけれど、
だれもが同じ心境になるのでは。








北2条通り




さて。



今日はあまりいじりたくないんですけど。
もうひとつのジャンプ台。
シルバーシャンツェ。
これの情報が少ないのです。
飛んでいる人の写真は出てくるのですが、
台、場所が出てこない。
想像でおそらく寺口山近辺、
北大ヒュッテあたりにあったのではと勝手に想像しているのですが。






三角山にできた日本最初の固定ジャンプ台(大正13年完成)


説明文をそのまま載せました。

大正7年 三角山北側 シルバースロープに仮設台

大正11年 シルバーシャンツェ北側斜面
      シルバースロープ東側斜面に固定第一号ジャンプ台 櫓あり

大正12年 アルファーシャンツェ 三角山南東尾根 固定第2号ジャンプ台


う~ん、
説明文とあわないのよね。
見る年表によってズレがあるのも事実でして。

どちらにしよ、
ジャンパーさんは両腕を広げて飛んでおります。
きっと空は青かったと。
そう思いたいんですけど。








その寺口山。

スキーが、学習??
どうも学習というイメージにはほど遠いおじさんなんですけど(笑)。
『あ、オレだっ』とか、
『あ、あれは、お、おやじだ…』って方いらしゃいません?(笑)。








どうもスキー苦手で知識の無い私には、
このあと人間ドミノが始まるような気がしてならないんですけど。
前の写真といい、
人で賑わっている様子が分かります。
楽しかったんでしょね、きっと。




それと。







昨日の宮様スキー大会のコース図。
あれが昭和40年で、
この写真は何年かは分からないのですけど、
なんとなく後ろの風景が勝手に興味をそそるんですけど。


2010年は第81回大会だったようで。







これが図書館本です。
札幌から見える山は私のですけど。
古い写真はでら面白いっ。
地図は小さくて細部がよくわからないのが悔しいっ。
円山、琴似はわりとあるんですけどね、
三角山は切れているっ。


興味のある方はぜひ。


さ、また借りに通わなくちゃ。
古本ばかりで顔が痒くなっております。
そこまでするかなんですけどね(笑)。
まぁもう少し、
気が済むまでぽちぽちと探してみましょか。




ジャンプ台関連 2

2010-03-23 23:57:57 | ジャンプ台放浪記関連

昨日の続きです。
もう何をどういう順番でどう載せるか。


こういうの苦手です(笑)。
どうか組み立てて読み進めてください(汗)。









三角山マガジンより


昨日載せた2枚です。




接写っ。








山頂にある【反射板】、
これ覚えておいてくださいね。

一本木って?
聞いたことない言葉が出てきました。
もう伐採されてないのか、
私が知らないだけなのか…
今度調べてみなくちゃですわ…
…みどりの一本気ならこれだってね。








三和山荘?
スキーの??
これも分かりませんわ。


この道路って今の三角山小学校のあれでしょか。
答えは出てこないってね。








この道は文化通りって言いましたっけ?
メモらなかったので間違いかもしれませんけど、
今の中央区と西区の境目のあの道路。


この地図は昭和40年の宮様スキー大会大回転競技コース図で、
三角山ではこの昭和40年の大会が最後だったそうです。
すでに宅地化が進んでいたんですって。



でね。


この図の『小屋』って言葉を見ながら閃き気がついたのですわ。
ここらへんは宮本スロープと呼ばれていて、
スキー客用に商売も行われていた…


昨日写真を握り締めて大なまこ山に行ったと書きました。
このとき二枚持っていたんです。
そのうちの一枚が山の手南小学校裏の公園からのアングルに酷似しておりまして。


ジャンプの友(爆)から送られた画像でして、
ちらりと出してもよいでしょか?
まずかったら削除しますので。








もっと西高寄りで奥なんでしょけど、
広くて眺めが写る場所といったらこの公園ぐらいでして…


手前左端に小屋が写っているでしょ?
昭和40年よりずっと前の写真でしょうけどね、
パンフレットの小屋は大会用の小屋の意味かもしれませんが。
商売の小屋ならそう簡単に場所を移したりしないのではと。


小屋があって道があって大なまこがあって、
その先にジャンプ台。
いかがでしょ?
そしてこのパンフレット作成時にジャンプ台はもう無くなっていて、
書き込まれることはなかった。
いかがでしょ?無理でしょか。



さて。



私の愛蔵本、
札幌から見える山 朝比奈英三・鮫島惇一郎編 北海道大学図書館刊行会

この本の三角山のページで気づいたことがありまして。

   







これってどこから写したのでしょ。
気になるわぁ。

いえ、
山頂付近をチェケラッチョーっ。←疲れて壊れてきたな…






ほら、
覚えておいての【反射板】ですっ。








大倉山のこれは旧大倉山でしょね。
撮影年月日が分からないんですわ。
裾野ははげている。








別の位置からもう一枚。
これも撮影場所はどこ?(笑)。



さぁ、ここからよっ。
(もう終わりにしたいんですけど、本心はね、脳がもう限界と叫んでおります)








さきほどの大回転競技のコース図と重なるでしょ?
反射板があって、
大なまこの横を通って、
西高目指してゴールっ。

反射板は大なまこの方を向いているでしょ?


私、
この反射板の残骸?遺物?遺構を二回写しているんですわ。
今年の3月10日に写しておりまして。







冬木立の隙間から大なまこ山の背がみえているでしょ。








ズーム。
この2本のコンクリート柱と、
もうひとつ何やらブツが今も残っているはずです。


前回2008年1月12日は下まで下りていって様子を写しております。
今回は根性筋力足りずで行きませんでしたけど。


三角山のコンクリート柱 興味のある方はどうぞ。


…しっかし。
2年前からジャンプ台探していたんだ、私。
読み直すと2年前からかわらぬ私。
笑っちまいましたわ、冷や汗ながしてね(笑)。











で。
写真中央下部が三角山小学校の校舎と体育館。
体育館の横が大なまこ山。
大なまこ山の先にある白っぽいブツは?何??
「軍人さん」だったという果樹園の方のお家?

この本の発行は1981年5月。
撮影はそれ以前でしょ。
前年の10月?10月だけは書いてあるんですわ(笑)。
宮の森病院開業が1983年。
三角山小学校開校が1977年。昭和52年ね。


今唸っているんですけど。
採石の痕が見えてない…
上手い具合に隠れてる?
山肌の黒い部分は?


この撮影場所ってどこなんでしょね。
きっと私が普段あまり歩かない場所なんでしょね。


いやぁエンドレスですわ(笑)。


おやすみなさいっ。
寝ます。


ジャンプ台関連 

2010-03-22 23:36:36 | ジャンプ台放浪記関連



…素っ気ないお題だなぁ。


さぁ今宵は大変ですわ(笑)。
歴史好き・地図が好きなかた、
ちょびっとうはうはして下さい。


私はもう脳がスパークリングしておりますわ(笑)。


では、どうぞ。








さっぽろ昨今 続大倉山のジャンプ台 橋本誠二 ~一部抜粋


札幌シャンツェが建造されたのは昭和2年。
アルファーシャンツェは大正12年。
シルバーシャンツェは大正11年。







三角山マガジンより


みなさん一本杖。シングルストック?
船よね、これって。
この斜面は寺口山でしょか。








三角山マガジンより

これは大正4年の写真ではなく、
大正4年に15㍍を岩内に近い妻神山にやぐらを組んで飛んでいたという話です。
で、
写真は大正10年、三角山のジャンプ台です。
さて、どこでしょ?
シルバーシャンツェしかまだないはずですから、
大正10年が正しいいのならこれはシルバーシャンツェですわ。
北大予科のスキー部生ならきっとシルバーでしょ。
大矢さんですって。







三角山マガジンより


私、これとほぼ同じ写真を握り締めて大なまこに行ったんです。
でね、
説明文が札幌シャンツェ付近となっているでしょ?
札幌シャンツェは昭和2年、
アルファーシャンツェは大正12年。
(この年号さえ確かなのか不安ですけれど)
これって札幌シャンツェを作っている最中??
この札幌シャンツェが今の宮の森病院のある場所と思っていたのですが…
いかが思われます??








さっぽろ文庫別冊より


同じ時代の琴似&三角山。
なんだかすんごいっ。







三角山マガジンより


うまのせ山って書いてあるのが、
私がいつも使っている大なまこ山です。






三角山マガジンより


この馬場牧場が小なまこ山付近です。







三角山マガジンより







三角山マガジンより


昭和15年の幻の第五回冬季オリンピックのポスター2枚。




三角山も会場になっております。
神社山はボブスレー。
この数年後に地下を掘りまくるんですから…

このポスターの三角山裾野のブツ気になりません?
荒井山シャンツェ??








三角山マガジンより








三角山マガジンより


これは明日にでもアップでちょいと他の写真と絡んで載せようと思っております。




三角山マガジンより


これって小なまこ山?
とんがっているっ(笑)。
どうも先入観かピンとこないんですわ。
大なまこかと思ってしまいます。

で、
この小なまこ山っていろいろ呼び名が出てきまして。
木野山(私が前に書いた木の山と同じでは)、
カラス山(神社山がカラス山と聞いたんですけど)、
馬場牧場、馬の背。

これってどうなのよなんですけど。


ちょいと横道写真のおまけ。





さっぽろ文庫別冊より








荒井山。
宮様スキー大会第一回は昭和5年。
奥に写っているのは??
建設中の大倉山シャンツェ??
大倉山シャンツェは昭和6年です。
それとも素直に荒井山シャンツェ??
こちらは昭和4年です。




うぉぉぉぉっ。
私は疲れたぞーっ。←逆切れしてどうする。







さっぽろ文庫別冊より


すごいっ、きたっ。
荒井山シャンツェ 木造40㍍級ジャンプ台。

…どうして三角山のシャンツェは出てこないのっ。
荒井山、大倉山両シャンツェは、
クリアな写真がでてくるのにね、
三角山のジャンプ台のお姿はなんだか見えてこない。
飛んでいる人の写真ならでてくるんですけど…








三角山マガジンより






新西区のおれたち、いえ、おいたちより






さっぽろ文庫別冊より


色分けしてあるとね、
なんだか削られた部分から元の姿を想像するとね、
より一層リアルで、
言葉に詰まってしまうんですけど。
でも私の家もその削った一部なんですわ。


…三角山のジャンプ台はどこ?
どういう風に消えていったのでしょう。
永遠の謎でしょか…解いて…