今年は閏年ではなかったので、2月19日以来の17ページシリーズとなりますが、
まるっきり冊数はいっていません。
例の「小説フランス革命」にひぃひぃ言いつつも断念できず、
飛ばしに飛ばして読んでいるのに、飛ばしても飛ばしても飛ばしても終わりが見えない。
永遠にこのループから抜け出せないのではないかという日々でした。
それでもなんとか全12巻中10巻まで読み終え、
残り2冊は私が利用している図書館に蔵書がないため、取り寄せとなり、
その合間にちょっと一息、結局関連本になってしまうのだけれど、
「小説フランス革命」から離れ、というか、佐藤賢一節からやっと逃れられる口実をみつけ浸っています。
ではいつものように、この期間(2月19日~3月9日)に読み終えた本の17ページの6行目をアタマから書き写し、
あとは感想にも紹介にもならない雑文です。
ジロンド派の興亡 小説フランス革命7/佐藤賢一
ロラン夫人は譲ろうとは思わないのだ。
共和政の樹立 小説フランス革命8/佐藤賢一
「フレロン夫人とロベール夫人は」
(槍の先の首はアントワネットではなくランバル大公妃。興味のある方は検索してみてください。
どれだけ当時パリが残虐で暴徒化していたかがわかります)
ジャコバン派の独裁 小説フランス革命9/佐藤賢一
エベールの場合、サン・キュロットへの共感は感傷的な理想論ではなく、また人権思想の論理的帰
粛清の嵐 小説フランス革命10/佐藤賢一
それこそ寝る間も惜しんで、人民に呼びかけたんです。だって、協力してもらおうと思ったら、こち
大胆にも4冊まとめて。
前にも書きましたが、フランス革命というと、バスチーユ陥落に始まり、ヴェルサイユ大行進、
王一家のヴァレンヌ逃亡事件、そしてギロチンと浮かぶのですが、
即処刑ではなくこのギロチンまでずいぶん長いですし、
ギロチン後も延々と続くんですね、もうフランスわやくちゃな時代です。
飛ばし読みしながらですが、内憂外患という言葉を習ったよなと思い出しました。
国内暴徒化、外国は攻め込んでくる。
ついつい現代の感覚で読んでしまうのですが、この時代にはこの時代なりのものさしというものがあり、
また市民階級の大部分の識字率が低かった。
テレビもなければラジオもない。
出来事は新聞や雑誌で世間に出回るけれど、字が読めない人が多いため、
わかりやすく漫画劇画でデフォルメされたものが巷にあふれ、激情し、
怒りの矛先、落しどころ、憎しみの渦で押さえが利かなくなる。
その民衆を利用して煽り、新たな権力を手に入れようとする者、派閥間の争い、そして死刑。
フランスって、こんな歴史から学んできた国なんですね。
まぁこの本は小説ですから、人物像にはいろいろ云々あるでしょうけれど、
小説といえど史実には忠実でしょうし(ルイ16世は死刑になりませんでしたなんて通じないわけで)、
ぐずぐずぐだぐだ長すぎるくらい長いけれど(佐藤さんごめんなさい)、
知らずに読まずに棺桶に入らなくてよかったよなと。まぁ知らなくてもそれはそれでいいのだけれどね。
勉強になるというより、国の歴史、成り立ちってすごいよなと。
それと、佐藤さんはルイ16世がきっと好きなんだろな。あとミラボーも。
ルイ16世といえば愚王、鈍い、優柔不断と悪いイメージが強いけれど、この本のなかでは違っている。
逆にマリー・アントワネットに関してはあまりよく思ってないんだろうなと感じるし、
フェルセンはもうぼろくそに書かれている。
まぁ小説なのだけれど、そこらへんってどうなのかな。
リチャード三世もそうだけど、どうなんでしょね、本当のとこは。
ルイ十七世の謎 フランス革命に消えた王子/桐生操
二人の武装警吏が同乗し、サンテール将軍が一行の先頭に立った。おびただしい歩兵部隊、騎兵
図書館に本の返却に行き、ぱっと背表紙だけで借りてきてしまった。
あれですね、これは大失敗でした。
まず申し訳ないけれど桐生操さんの本は敬遠していたのと、書かれた時期が古かったこと。
ご存知の方もいらっしゃるとおもいますが、
タンプル塔で死んだ少年はルイ17世(ルイ16世とアントワネットの息子)なのか、すりかえられた偽物だったのか、
これってDNA鑑定の結果が出たんですよ、あれは何年だったか、調べればでてくるはずだけど。
そのタンプル塔で亡くなった少年の心臓と、
ハプスブルグ家の女系の子孫の遺伝子とアントワネットの実姉の毛髪の遺伝子を調べた結果、
心臓はルイ17世のものという結果がでています。
ルイ17世=ノーンドルフ説が有力だったのですが、鑑定の結果 違うとでた。
で、この本はそのDNA鑑定以前に書かれていて、まぁ、その、すりかえられた説方向をさしているというか。
鑑定結果が出ていることを知らずに読むと、あらたなミステリーとして読めたのかもしれませんが。
本って、こうやって残ってもしまうんですね。
25年目の「ただいま」5歳で迷子になったボクと家族の物語/サルー・ブライアリー 舩山むつみ訳
から養子としてやって来た子どもたちに会った。自分と同じ境遇の子どもたちとヒンディー
合間に読んだ、通常の迷子レベルからかけ離れた桁違いの迷子になってしまった少年サルー5歳。
インドの貧困の底辺の生活をしていて、自分の名前すら間違えて覚えていた。
サルーではなくシェルウ、覚えている地名もジネストレイではなくガネッシュ・タライ。
保護されたものの、身元がわからず、施設入所、オーストラリアの家庭へ養子となる。
その後、25歳のときグーグルアースで自分の記憶をもとに、駅、鉄路を調べることをはじめ、
5年後にやっと自分が住んでいた町をパソコンの画面のなかに発見する。
我慢できずにインドに渡り、その町を訪ねると、母親が一人でその土地にまだ暮らしていた。
再会。
再会出来たのは喜ばしいことなのだけれど、余計なことをあれこれと考えてしまい、
今頃彼はインドの家族はオーストラリアの養父母はどうなったのだろうと。
そろそろ「小説フランス革命」の11巻12巻を取り寄せてもらわなければ。
苦しいけれど、最後まで読むぞ。けど、先延ばしにしたいぞ(笑)。
以上、229回目でした。