この冬は雪の積もる時期が早い。気温も低いし。
え、と書いて週間予報を見てみると明日はプラス6度となっている。
で明後日はまた真冬日。
気温の急降下はヒートテックで耐え忍ぶけど、滑りそうで怖いなぁ。
では、いつものように、この10日間(今回はそれに限らず)に読んだ本の17ページの6行目をアタマから書き写し、
あとは感想にも紹介にもならない雑文です。
おろしや国酔夢譚/井上靖
6行目は空行。
大黒屋光太夫(上)/吉村昭
光太夫をふくめて船乗りは十六名で、それに紀州藩米の運搬責任者である上乗りの
大黒屋光太夫(下)/吉村昭
願ってもない存在で、帰国などはもってのほかであり、がんじがらめにして放そう
大黒屋光太夫絡みで3冊まとめて。
少し前に読んだ米原万理さんの「マイナス50℃の世界」。
井上靖著の「おろしや国酔夢譚」を元に大黒屋光太夫が流れ着いた道のりを辿る「シベリヤ大紀行」という番組で、
米原さんは椎名誠氏の同時通訳者として同行、そのときの様子が彼女の死後一冊の本となったのですが、
寒すぎて気温が低すぎて氷が全然滑らない(摩擦熱すらお手上げの世界)という、
結局私は極地物に惹かれる傾向が強くて、さらに漂流というのも関心があって、
それでは「おろしや国酔夢譚」を読んでみようと調べてみたところ、
同じく大黒屋光太夫の話を吉村昭氏も書いているのを知り、
私吉村ファンでもあるので、いやぁどっちを読もう、いいや、両方読んでみるかと強欲な選択をし、
さらに動画「シベリヤ大紀行」を観て雰囲気をあじわい、どっぷり3冊読んでみたのでした。
1782年12月13日、紀州藩領白子港を出航した神昌丸は駿河湾沖で大時化にあって遭難、破船、海上を漂流、
1783年7月20日、ロシア辺境アレウト列島アムチトカ島に漂着。
アムチトカ島からカムチャッカ半島、オホーツク、ヤクーツク、イルクーツク、ペテルブルグ、
女帝エテカリナに謁見、帰国の道が開かれるまでおよそ10年。
17名だった神昌丸の乗組員は寒さや飢えにつぎつぎと倒れ、イルクーツクに落ち着いた頃には5名となり、
うち2名は日本にはもう帰れないと諦めたのか、ギリシャ正教の洗礼を受けており、
帰国許可を女帝から得られたものの、キリシタン禁制の日本に帰ることはできず、
2名がロシアの地に残ることになる。これが読んでて一番つらかったな。
3名でロシアを出航、根室に着くもそこで足止め。
鎖国政策をとる幕府は、たとえ海難事故でも日本をはなれ異国の地に行ったものは国法をおかした罪人として扱われ、
引き受けずに追い払うこともあったそうで、
根室までついたものの江戸とのやりとりの間に3名のうち1名が死亡。
結局江戸まで戻って来れたのは光太夫と磯吉のふたりだけだった。
で、井上本と吉村本を読んでみると、いくつか違う部分がでてきます。
どちらも同じ人物の漂浪の話なのに何故。
とくに日本に戻ってきてからの話がかなり違う。
光太夫のその後は、日本に戻ったものの江戸の薬草植場で幽閉され、
故郷の土を踏むことはなかったというのが定説となっていて、
井上本ではせっかく日本に帰ってきたのに…となんとも気の毒な終わりかたになっています。
『北槎聞略』という、光太夫から聴取した記録書が基本となっており、
井上本ではその後の光太夫の記録が残っている資料をみつけることができなかったのに対し、
吉村本では、あとからでてきた磯吉からの聞書記録2冊の内容も織り込まれ、
ふたりのその後、終わり方はいくぶん明るくなっています。
江戸の薬草植場に住んではいたけれど、幽閉よりもっとゆるい状態まで改善、磯吉も光太夫もその後結婚しています。
光太夫45歳、お嫁さんは18歳。亀二郎という息子が生まれています。
光太夫も磯吉も帰郷を許され、短期間ではあるけれど帰省し、親類縁者との再会を果たせたそうです。
78歳で死没。
光太夫がロシアから帰還できたのは、運もそうですが、彼の勤勉さと性格、そして援助者に恵まれたことでしょか。
帰りたい、みんなを連れて帰らなければならない一心で、言葉を覚えていったんですね。
簡単な日常会話から読み書き、意思の疎通を図れるようになると、
自分たちの身も守れるし、協力してくれる人たちもでてくる。
ただ、当時の漂流者たち(光太夫の他にもロシアに漂着した日本人は記録されている)は、
そのままロシアに残され日本語教師をさせられるのが決まりだったようです。
たまたま光太夫はロシアが日本との通商を求める政策をとったため、帰国の道が開けた。
諦めずにアクションを起こし続けた結果でしょうし、その姿が多くの人を巻き込み力添えを得られるかたちとなった。
日本のシャクルトンか。シャクルトンは全員無事生還だったけれど。
それにしてもロシアに残った二人のことを想うとかわいそうで。
かなりの長文になりました。
読んだら忘れない読書術/樺沢紫苑
17ページは目次でした。
インプットしたらアウトプットする。ラインやマーカー、ページを折る。名言を書き写す。
いやぁ、「○○しなさい」って本、多いですよね。
1ページ目から「読んでも忘れてしまう読書」はやめなさいときて、
どうもそういう命令調って苦手です(笑)。
「やめたほうがいいよ」とか、「やめたら?」とかやんわりだったら効果ないのかな。
そういうところばかり記憶に残ってしまいそうな。
不安につけこむというか、
ぐいぐいと引っ張ってくれるような表現がいまは人気なのでしょか。
スクラップ・アンド・ビルド/羽田圭介
「どうせ私なんか、ブスだもん」
芥川賞受賞作という予備知識だけで読んだのですが、これ感想書きにくいなぁ。
「おそらく羽田さんって筋トレやってるな、それもかなりマニアックなレベル。たぶん筋肉愛の人」と、
読み始めてすぐ思ったのですがそのようで、これ、筋肉と向かい合っている人と筋トレなんて無縁という人では、
読む受け取り方がかなり違ってくるように思います。
スクラップ・アンド・ビルド。再構築のため、徹底的に破壊しろ。
上の6行目の「どうせ私なんか、ブスだもん」と口をとがらせる彼女の亜美の言葉のそのあとにこう書いてある。
改札を抜けると、階段やエスカレーターには目もくれず真っ先に身障者優先のエレベーターを使おうとする亜美に黙って従う。
冷ややか。
空いた座席に割り込むように座り、頑なに誰とも目を合わせず席を死守しようとする姿に、
とにかく肉体労働を嫌がり楽をしたがる彼女はこの先、太ったおばさん体型まっしぐらだ。実のところ健太はぽっちゃり体型自体はかイケる口だが、ぽっちゃりな身体を作ってしまう豚のようなメンタリティーは心底嫌いで、━以下略━
辛辣。この目線。
健太と同居する祖父は「早う死にたか」と毎日のようにぼやいている。健太の観察眼は鋭い。
使わない機能は衰える。
自分が手を貸すことは結局生きていくために必要な筋力をつくるチャンスを奪うことになるのではないか。
あまり注目されない存在の、祖父の実の娘でもある健太の母。
「お母さん、お皿、お願いします」
食べ終えた皿を祖父が差し出すと、母は舌打ちした。
「自分で台所まで運ぶって約束でしょ。ったく甘えんじゃないよ、楽ばっかしてると寝たきりになるよ」
一見鬼のようで、言い方はキツいけれど、実はそれが祖父が自分で歩き続けるための訓練になっていたりもする。
どっちがいいんだろ。
なんでもあれこれしてくれるのが優しさなのか、突き放すのが優しさなのか。
でも祖父は(だれでもそうだと思うけど)人から優しくして欲しいし、手を貸してもらいたいし、
楽をしたいし、口では死にたいといっててもエネルギーとなる甘くてやわらかいおやつが大好きで。
太字はすべてスクラップ・アンド・ビルドからの抜粋でした。
長いお別れ/中島京子
心に新しくできた複合施設の書店に併設するカフェでランチをした。
チャンドラーとおなじ「長いお別れ」ということでなんとなく手に取り、図書館から借りてきた。
こちらも偶然老人介護の話だけれど、羽田さんとは正反対。
評判はいいようだけど、私はダメだったなぁ。
他の人のレビューなどを読むと、私って冷たい最低の人間か?と思えてきます。
本日、東京ロマンチカ/中野翠
戦後六十一年にしてこういう映画が生まれたという事実に、(戦争を知らない世代の私ではあるけ
2006年11月~2007年11月まで『サンデー毎日』に掲載されたコラム集。
興味のあるところだけ(政治ネタはパスした)飛ばし読み。
って、ちょうど10年前なんですね、載っている話が。
ハンカチ王子、植木等さん逝去、赤ちゃんポスト、朝青龍八百長疑惑。
今ちょうど相撲界がごたごたしているけれど、10年前に中野さんが、
「白鵬のように(朝青龍のヒール横綱的な部分を)真似をする力士が増えて来る怖れもある」と書いていて、
あら。
苫小牧のミートホープの偽装疑惑、赤福、沢尻エリカ、亀田ファミリー。
10年前なんですねー。
以上、こんなに長文になってしまい自分でも驚いている222回でした。