本日二本差にございます。
お、鬼奴か…?
…ぁぁ。
私ってどうしてこうなんでしょ…。
ツツジ山が気になっていることはしつこく書きました。
体当たりすれば出るかも知れないのが4つあるんです。
その4つとも私には酷だなと。
もういい加減知らない人に突撃は…キツいよなと。
それで。
夫もいないし意を決して中央図書館に長居で踏ん張ってみようかと。
朝から閉館まで悶々とね(笑)。
その準備として、
私の手書きの年表(これは一応丁寧な字です)をごそごそとね。
コピーの大群に埋もれておりまして。
で。
その手書きの年表に私赤ペンチェック入れてる一文がありまして。
どれどれ、何引いてるんだとね。
で。
あ。
私とんでもない一文に線を入れているっ。
琴似のツツジ山の丘に…
オーマイガーっ。
ごそごそごそ。
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元文はこれです。
北海道のスキーと共に 大野精七著
P21 スキー駅伝競走(大正9年)
二月二十三日 一月下旬に琴似ツツジ山の丘に、幅四十センチ、
長さ四メートルの板三枚を使って造った仮設シャンツェで部内大会を開き、
十二メートルを記録する。
私が前に書いた記憶の文とは違います、これ。
あの文はこの「北海道のスキーと共に」を参考にして書いたのか、
それともその人の記憶で書いたのか。
まぁわかりませんけど、
確かにあの大野さんがこうやって書き残している。
これはやっぱり仮設ジャンプ台がツツジ山にあって、
ツツジ山があの地図の場所なら。
大野精七さんってね、
大倉山シャンツェに顕彰碑が建っていることから想像できると思いますが、
功労者?まず出てくる人なんです。
なんだか少し安心しました。
ツツジ山はもっときっちり知りたいけれど、
大野さんもツツジ山と言っていたっ。
…しっかし私っていったい。
もう一度振り出しに戻って読み返したら、
もっともっと分かることが出てきそう。
発寒川の昔の写真です。
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いつ頃、どこら辺なんでしょね、これ。
川幅は結構ある。
石は角があまりなく平べったい。
そう深そうにも見えない。
これ、
ツツジ山のあそこらへんだったらなんて考えたら楽しくありません?
あ~本当肩の荷が下りたといったら大袈裟ですけど、
少しツツジ山に関して気が楽になりました。
あとは何故その呼び名が今は無いのか、
ツツジ山は本当にあそこだったのか。
きっといつか分かるのでは。
忘れずにさえいれば。
その前にもう一度見直しなさいってね…(汗)。
追記。
【幅四十センチ、
長さ四メートルの板三枚を使って造った仮設シャンツェで】
これって縦に3枚並べて、
つまり幅40センチの長さ12メートル?
それとも横に3枚並べて、
幅120センチの長さ4メートル??
どっちなんでしょ?
幅40センチを12メートル滑るなんて絶対外れて落ちると思いません?
すっごくデンジャラスで、
一歩間違えば男子たるもの悲惨な運命が待ち構えていると思いません??
でも幅120の長さ4メートルなら加速も足りない?
やはり幅40の12メートルデンジャラスキラージャンピングだったのでしょか?
すっごいなぁ、北大生。
のです。
アプローチとランディングバーンは斜面をその
まま利用して踏み切り部分を幅120の長さ4メー
トルにしたのかと。
となると柱も必要だけどそこまで細かくは
書かなかったということかな。
私は40センチなんてすっごい技だと思ってしまいました(笑)。
北海タイムスの「ツツジ山」は尾根の上側に記載されてるような気がします。
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