貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

福島市: 飯坂温泉駅前 十綱橋を背に芭蕉像と色々な記念碑!

2024-12-13 14:14:36 | 日記
令和6年12月13日(金)
福島市: 飯坂温泉駅前             
 数年前の駅前は、
特産の品を売る出店があったり、
花鉢がいっぱい並び、
花屋の出店が並んでいたり・・・。
<飯坂温泉駅前>

 やっぱり駅前は
すっきりしているのがいいなあ!
 「鶴沢小百周年祈念碑」
が駅前にあり。
 少子化の寂しさが募る・・・!
 十(と)綱(つな)橋(ばし)の説明等
歴史と郷土愛が吐露されている。
<駅前の色々な碑と芭蕉立像>

「ぶらーりんぐ飯坂」
という茶の半円形の石碑もある。

「ぶらり湯のさと 坂のまち 
 ぶらぶら歩いて
ひと風呂あびて」
という声かけの
直方体の石碑も面白し!
 また、
飯坂は、「日本初のラジウム発見の地」
でもある。
<日本初のラジウム発見記念碑>

 その記念碑もある。
 芭蕉の立像は、
雨に濡れた姿。
<芭蕉像>

「一風呂浴びていこうか」
と声かけたが・・・・・。
 十綱橋を背にして・・・
<十綱橋>

応対は無言!                                                 


福島市文字摺・普門院前⑤子規の句碑、多宝塔、蓮池も堪能

2024-12-12 15:32:30 | 日記
令和6年12月12日(木)
福島市文字摺・普門院前⑤
 観音堂で、
住職のお経を聴くことができる。
<観音堂>
 
 その後、住職とすれ違い、
「どうぞ、お参りを」
と声をかけられ、
心地よいお参りをする。 
 そして、
子規の句碑を堪能する。 
<子規の句碑>

子規の句は、
「涼しさの 
  昔をかたれ 
   しのぶ摺」
である。

 蓮池では、
水面が葉っぱですっかり覆われる中、
小花の白蓮が
ここぞとばかり顔を出している。
<蓮池>

 その後、
多宝塔を参拝し、
<スリムな多宝塔>

若草栄える観音様の
いろいろな道を楽しく徘徊する。


 お茶室かと思わせるような
休憩所もあるが、
外から様子を見ただけにとどめる。


福島市文字摺・普門院前④人肌石の歌碑に出合う!

2024-12-10 14:41:02 | 日記
令和6年12月10日(火)
福島市文字摺・普門院前④
 近くに、
人肌の温もりを持つという
人肌石の歌碑もある。

「若緑 
  志のぶの丘に 
    上り見れば   
   人肌石は 
    雨にぬれいり」
       小川芋銭

 観音堂で、
住職のお経を聴くことができる。 
 その後、
住職とすれ違い、
「どうぞ、お参りを」
と声をかけられ、
心地よいお参りをする。 
 そして、子規の句碑を堪能する。 

~つづく。










福島市文字摺・普門院前③芭蕉の句碑!

2024-12-09 15:07:04 | 日記
令和6年12月9日(月)
福島市文字摺・普門院前③

 元禄2(1689)年、
芭蕉と曾良は福島町に宿をとる。
 翌朝二人は岡部の渡しを渡り、
文知摺観音を訪れる。 
<芭蕉句碑>

 この地で
芭蕉は一句詠んでいることが、
曾良の「日記」でわかる。
「五月女に 
  しかた望ん 
   しのぶ摺り」
(この句はふくしま南幼稚園南側
の句碑に残っている)
とあり、それが
「早苗とる 
  手もとや昔 
   しのぶ摺り」
となり、
「ほそ道」の句になったという。
 若々しい芭蕉の立像も
生きているようだったが、

周囲が工事中で
ゆっくり偲ぶことはできず。
 残念!
~つづく。

福島市文字摺・普門院②虎女と融の悲話と歌!

2024-12-08 15:35:40 | 日記
令和6年12月8日(日)
福島市文字摺・普門院②

 その悲恋物語とは!
 「遠い昔の貞観年中
(9世紀半ば過ぎ)のこと。
 陸奥の地を訪れた源融は、
村の長者の娘・虎女と出会う。
 日ごとに二人の情愛は深まり、
融公の滞留はひと月にも及び、
再会を約し、
遂に都へと戻る日がやってくる。
 再開を待ちわびた虎女は、
慕情やるかたなく
「もちずり観音」に
百日参りの願をかけた。
 満願の日を迎えたが、
都からの便りはなし。
 嘆き悲しんだ虎女が
ふと目を遣ると、
「もちずり石」に慕わしい
融公の面影が彷彿と
浮かんで見える。
 しかし、
近づくとそれはすぐに消えてしまう。
 虎女は遂に病の床につく。
 その後、
一辺の歌が都の使いの者により
虎女のもとに届けられる。
 届いた歌には
「みちのくの
  忍ぶもちずり
     誰ゆえに 
  みだれ染めにし
   我ならなくに」
と、
融が遠く都で恋の思いに
心乱れている様子が記されていた。 
<甲剛碑等>
   
 故事にちなんでもちずり石は、
別名「鏡石」とも呼ばれている。 
 境内の奥には
虎所と源融
(京都嵯峨の清涼寺より土を移す)
の墓が建立され、
当時の歴史を今に伝えている。 
 元禄2(1689)年、
芭蕉と曾良は福島町に宿をとる。
翌朝二人は岡部の渡しを渡り、
文知摺観音を訪れる。 
<芭蕉立像>

~つづく。