令和3年9月17日(金)
撞鐘も
ひゞくやうなり
蟬の声
前書き「稲葉山」。
響き渡る蟬の声に応じて、寺の釣り鐘も
前書き「稲葉山」。
響き渡る蟬の声に応じて、寺の釣り鐘も
まさに鳴り出しそうである、
の意。
貞享五年(1688)の作。
「撞鐘」・・・撞(しゆ)木(もく)で、
貞享五年(1688)の作。
「撞鐘」・・・撞(しゆ)木(もく)で、
撞きならす釣り鐘。
蟬の声に鐘が共鳴するという発想が面白く、
蟬の声に鐘が共鳴するという発想が面白く、
稲葉山山麓には、妙照寺などいくつかの寺
がある。
◎ 蟬の鳴き声がうるさいほどに響いて
◎ 蟬の鳴き声がうるさいほどに響いて
いる。すると、蟬の鳴き声に共鳴したか
のように、稲葉山の麓の鐘が鳴り出して
きそうだ。
もちろん、そのようなことはあり得ないが、
もちろん、そのようなことはあり得ないが、
芭蕉の耳には、そのように老いた響きで
啼いているように思えたのだ。
本当に蟬と鐘との共鳴などあり得ないが、
本当に蟬と鐘との共鳴などあり得ないが、
山と森とに満ちている蟬の声は、
うるさいと思うより見事だと、
芭蕉は感じている。
この夥しい鳴き声もやがて全部が死に
この夥しい鳴き声もやがて全部が死に
至ることを、句にしたのはずっと後。
その句は、明日。
その句は、明日。