令和3年9月24日(金)
家はみな
杖にしら髪の
墓参
前書き「甲戌(かふじゆつ)の夏、大津に
前書き「甲戌(かふじゆつ)の夏、大津に
侍しを、このかみのもとより消息せら
れければ、旧里(ふるさと)に帰りて
盆会をいとなむとて」。
この家に縁のある者はみな年をとり、
この家に縁のある者はみな年をとり、
杖に白髪頭の墓参という次第だ、
の意。
「甲戌」・・・元禄七年(1694)の干支。
「このかみの」・・・兄の半左衛門から手紙
「甲戌」・・・元禄七年(1694)の干支。
「このかみの」・・・兄の半左衛門から手紙
があり、帰郷して盂蘭盆会に列したことを
いう。
一族が集まるお盆の行事に、自分や一同の
一族が集まるお盆の行事に、自分や一同の
老いを改めて実感したもので、
『陸奥(むつ)鵆(ちどり)』等の上・中
「一家みな白髪に秋や」が初案
『和漢文操』所収「白髪ノ吟并序」に
『和漢文操』所収「白髪ノ吟并序」に
見える俳諧歌
「一家みな杖にしら髪の墓まいりまいる
こゝろのかたみながらに」
は、支考の創作とされる。
◎ 兄の手配で、故郷の墓の法会に出た
◎ 兄の手配で、故郷の墓の法会に出た
芭蕉は、若い時から顔見知りの親戚の人
たちが、白髪に杖の老人になっているので、
無常の感慨が心に迫ってきた。
今昔の感に堪えなかったのである。
しかも、かつての愛人寿貞の死を悲しむ
しかも、かつての愛人寿貞の死を悲しむ
身には、この親戚たちの老化の有様は、
自分自身のこととして、さらに深い人生
無常の感を覚えたのだった。