令和5年2月3日(金)
新潟市: 護国神社
鳥羽・伏見の戦いから
鳥羽・伏見の戦いから
始まった戊辰戦争は、
新潟市も例外なく
激しい戦場と化した。
西軍(薩摩、長州ら新政府軍)
西軍(薩摩、長州ら新政府軍)
と東軍(米沢、会津、庄内)の
両軍に多数の戦死者が出て
尊い命が失われた。
1868年(明治元年)の
1868年(明治元年)の
10月に新政府軍(西軍)側
戦死者の墓碑を
常磐ケ岡(旧新潟大学本部の跡地)に
設置され、
戊辰戦争の戦没者415柱を祀って
社殿を造立し新潟招魂社として
祭られた。
1941年(昭和16)7月
1941年(昭和16)7月
新潟招魂社から護國神社と改称し、
1945年(昭和20)5月に
西船見町に移転、
1985年(昭和60)
旧新潟大学本部跡地から
東軍戦死者のものと思われる
92体分の遺骨を発見、
護國神社敷地内の
「戊辰役殉難者墓苑」に埋葬され、
1987年(昭和62)に、
1987年(昭和62)に、
「戊辰役東軍慰霊碑」を建てる。