令和5年2月6日(月)
新潟市: 林 徳 寺
参拝の時、
帽子を脇に挟んだいたのを
落としたらしい。
墓参の年配のご夫婦が
車まで届けて下さる。
有難し!
鐘楼門も珍しい!
鐘楼門も珍しい!
親鸞上人像が何とも映えるお寺。
本堂左側の墓地を背に、
右側に新碑、
左側に旧碑の2基が立っている。
<手前が旧句碑、後ろが新句碑>
200年ほど前に建てられた
旧碑が風化し、
読みにくくなったため、
1988年の秋、
同じ句を右横に再建される。
句は、
芭蕉が『奥の細道』の途次、
林徳寺に立ち寄った際の作。
1803(享和3)年の火災で
1803(享和3)年の火災で
一切の資料が消失してしまったと
碑裏に記載。
新碑の文字は
新碑の文字は
もともと林徳寺にあったもので、
筆者は不明。
芭蕉の句は、
「稲妻や
芭蕉の句は、
「稲妻や
顔の処が
芒の穂」 。
※美しい姿で舞っていると
見るうちに、
稲妻が
一閃すれば
顔の所が芒の穂
(小野小町の骸骨が詠んだという歌を
ふまえている。)
だったという意。
「人生は髑髏(どくろ)の舞の如し」
「人生は髑髏(どくろ)の舞の如し」
という観念句。