令和5年2月28日(火)
糸魚川市能生: 白山神社
早朝3時に出発。
上里SAで朝食。
1時間余運転しては休憩。
能生に9時過ぎ着。
白山信仰を開いたと云われる
白山信仰を開いたと云われる
泰澄大師の神社に直行。
奈良時代に加賀白山などを
基地として両部習合を行った際、
能生白山神社に仏像を安置し、
白山信仰を布教し、
社号を白山権現に改めたと
伝えられている。
社殿は明応年間(1492~1501)に
火災で焼失。
永正12年(1515)、
能登守護畠山義元寄進により
再興される。
その建築様式は、
その建築様式は、
三間社流造の前面に
一間の向拝を付けたもので
室町時代の特色を示しており、
国の重要文化財にも指定されている。
<社殿>
ここの阿吽狛犬は
ユーモアたっぷり!
好感度抜群である。
元禄2年7月11日、
元禄2年7月11日、
奥の細道の際に、
芭蕉は髄行僧曾良とともに
能生に宿泊。
<汐路の鐘>
その際に当社の「汐路の鐘」を詠んだ。
芭蕉の句は、
曙や
霧にうつまく
鐘の聲」 。
~つづく。