令和6年5月2日(木)
文京区: 慈 眼 院 ①
6時頃、我が家を出発。
6時頃、我が家を出発。
今日は、
文京区にある芭蕉句碑を探索。
新宿で東京メトロ大江戸線に
新宿で東京メトロ大江戸線に
乗り換える。
都庁前より春日まで。
初乗りである。
駅よりGPSの案内で、
駅よりGPSの案内で、
20分程で、小石川3丁目の
慈眼院に到着。
<慈眼院>
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消防の法被を着用した男衆
数名が見える。
慈眼院は、
慈眼院は、
伝通院中興開山廓山上人が
沢蔵司稲荷の別当として
元和6年(1620)創建。
<本堂>
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沢蔵司稲荷の澤蔵司は、
僅か三年で浄土宗の奥義を
極めたという秀才。
「澤蔵司
「澤蔵司
てんぷらそばが
お気に入り」
と川柳に読まれたほど著名な僧。
伝通院の学寮
(栴談林といって修行する処)に、
沢蔵司という修行僧がいた。
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僅か三年で浄土宗の奥義を極め、
元和6年(1620)5月7日の夜、
学寮長の極山和尚の夢枕に立つ。
「そもそも余は千代田城の内の
「そもそも余は千代田城の内の
稲荷大明神である。
かねて浄土宗の勉学をしたいと
思っていたが、多年の希望を
ここに達した。
今より元の神に還るが、
永く当山を守護して、
恩に報いよう。」
と告げて、
と告げて、
暁の雲に隠れたという。
そこで、
伝通院の住職廓山上人は、
沢蔵司稲荷を境内に祀り、
慈眼院を別当寺とする。
江戸時代から参詣する人が
多く繁栄。
「東京名所図会」には、
「東京名所図会」には、
「東裏の崖下に
狐棲(狐の棲む)
の洞穴あり」
とある。
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今も霊窟と称する窪地があり、
奥に洞穴があって、
稲荷が祀られている。
<稲荷>
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~つづく。