令和6年5月30日(木)
江東区: 長 慶 寺
深川孫右衛門夫妻より、
深川孫右衛門夫妻より、
越後村上の霊樹山耕雲寺二三世
一空全鎖大和尚を開闢開山に勧請。
<山門>
当山二世大事不安大和尚布延する。
古来、楠の老木が林立していたので
古来、楠の老木が林立していたので
「楠寺」とも呼ばれる。
また、開創より31年後、
万治3年(1660)、
時の本所奉行徳山五兵衛の差配
により寺地が除地となり、
徳山家を中興開基とする。
この寺には
この寺には
亀戸天神の宮司大鳥居家の墓がある。
言い伝えによると、
言い伝えによると、
亀戸天神の初代と長慶寺の初代が
共に同じ時期に江戸で布教、
互いに励まし合い、交流している。
<本殿>
その縁で、
この寺に亀戸天神の宮司の墓がある。
元禄7年(1694)に
元禄7年(1694)に
芭蕉が難波で亡くなったのを聞き、
江戸の門人杉風・其角等が
翁を江戸で弔うため、
この寺に落歯・発句を埋め、
「時雨塚」を造る。
<時雨塚>
後に、其角や嵐雪等の碑を建立。
芭蕉の碑を含めて、
芭蕉の碑を含めて、
宝晋斎其角墓・玄峰嵐雪居士・
松籟庵太無居士・二世松籟庵霜後居士
・麦林舎乙由居士・守黒庵眠柳居士の
石碑があったという
(「東都古墳志」)。
<芭蕉・桃青の墓句碑>
この時雨塚、
もしくは短冊塚は戦災で損傷し、
現存するのは台石のみであるという。
<時雨塚説明板>