令和5年8月18日(金)
島田市: 塚本如舟邸跡・島田支店前
塚本如舟(じよしゆう)邸(やしき)跡は、
塚本如舟(じよしゆう)邸(やしき)跡は、
現在静岡銀行島田支店前。
<静岡銀行島田支店>
<如舟邸跡説明>
塚本家は代々孫兵衛を名乗り、
元禄9年(1696)、
初代の川庄屋を代官から任命される。
その他組頭、名主、
問(とい)屋(や)場(ば)の年寄、
六代目からは問屋を努めるなど、
代々宿役人要職を務める。 三代目孫兵衛は、
「如舟」と号する俳人。
後に子孫が、彼のことを
「家業に精を出し、
酒造・製茶を営んで江戸に送り、
東叡山上野寛永寺への献茶
の御用を蒙るなど繁昌して富貴となり、
宿高の内150石を持っていた」
と伝えている。
塚本家は主に茶商と大地主として
財を成す。
また、
また、
彼は、島田出身の連歌師宗長を偲んで、
長休庵という草庵を南裏に建てる。
後の宗長庵という寺になる。
元禄4年(1691)、
元禄4年(1691)、
俳諧師芭蕉が江戸に向かう途中、
俳人として知られていた如舟宅を
訪れる。
芭蕉48歳、如舟51歳。
<芭蕉翁遺跡と如舟邸跡の説明碑>
また、
元禄7年(1694)、芭蕉は、
江戸から郷里伊賀上野へ向かう途中、
再び如舟宅を訪れる。
川留めのため四泊五日滞在。
この時にも、
石碑に記されているような有名な句を
いくつか残している。
<芭蕉句と如舟連句碑>
芭蕉の句は、
「田植とともに
「田植とともに
たびの早起」
如舟の句は、
「やはらかに
如舟の句は、
「やはらかに
たけよことしの
手作麦」
なお芭蕉は、
なお芭蕉は、
この年十月に永眠。
芭蕉没後も塚本家には、
芭蕉ゆかりの跡を求めて、
親友の素堂や高弟の嵐雪・桃隣・
支考・許六・涼菟(おと)らが 訪れている。
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