貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

巨大みみずと臨川寺

2017-08-24 09:30:21 | 日記
巨大みみずと臨川寺

平成29年8月24日(木)

 朝の恒例のウォーキング。ノルディックだ。

 いつものコースで、坂道を下りようとすると、

30センチぐらいのひもみたいなものが道路を

横断している。

 よく見ると、でっかい蚯蚓(みみず)だ。

 30センチぐらいの長さで、草むらから

草むらへの移動中。必死なんだろうけど、

大きくて長いだけあって、動きもダイナミック。

一両の車両が横断しているようだった。

 さて、清澄庭園の次は、近くの臨川寺へ直行。

江東区深川:臨 川 寺

平成29(2017)年 2月15日 12:40~ 

清澄3-3-9



延宝8年(1680)深川に移り住んだ松尾芭蕉は

二歳年上の仏頂禅師の人柄に感服し、足繁く参禅

するようになる。

 芭蕉庵と呼ばれた草庵が、臨川寺とほんの五百

メートルほどしか離れていなかったことも、

二人の交流を深めたのだろう。

 芭蕉庵は新しい俳風を模索する一門の拠点となり、

また、号を桃青から芭蕉翁と改めたのもこの頃。

 禅味が加わった芭蕉の作風は、従来見られなか

った高い精神性を俳句の世界にもたらし、文芸と

しての価値を世間に知らしめた。

 臨川寺には「玄武仏碑」を始め、「梅花仏碑」
 
「墨直しの碑」「芭蕉由緒の碑」などの石碑が残

され、芭蕉ゆかりの寺として知られている。

芭蕉の説明かと思いきや玄武仏碑であった。



石碑がきちんと並べられ、名称もはっきりと。



墨直しの碑



芭蕉由緒の碑と玄武仏碑

懐かしさも手伝い、町並みも楽しんだ。

 芭蕉由緒の碑など一隅にまとめられていた

 常磐2丁目に深川芭蕉通りがあった。

深川芭蕉通り


蕉道「おくのほそ道」パートⅡ深川 清澄庭園

2017-08-23 09:40:45 | 日記
蕉道「おくのほそ道」パートⅡ

平成29年8月23日

 朝からぱっと晴れ上がる。日射しもはっきり!

 昨日は、東海大菅生高校が準決勝で惜敗。

山ひとつ越えた所の高校で、青梅や羽村の

子どもたちがお世話になっている。
 
 高校生が、自転車で峠を越えて通っている

姿を、ウォーキングの時に出くわす。

 みんな高校生らしく威勢よくペダルを踏

んで、颯爽と走っていく。

 早実を破った所から、声援を送っていた。

 9回裏同点に追い付いた時、幸運の女神が

と思いきや作戦もなく、あっさり打っていっ

たところで見放されたかな?と直感。

 その後は、畑に行き、種まき。

結果は大当たり。

 でも、溌剌と堂々と戦い抜き、私たちを楽

しませてくれた選手や応援団みんなに感謝!

 曇天の日々、巧妙な光明。深謝し、

この体験を明日からそれぞれに・・・

祈健闘!


江東区:清澄庭園  

平成29(2017)年 2月15日 11:50~

 過日訪れた所は、清澄公園だったという

ことが清澄庭園入口に来て初めて気付く。

(あれだけ変貌するとは?)と気にして

いたら、やっぱし勘違い。

 一安堵!

 当時確か入場料を払って入った記憶もあっ

たので・・・。

清澄庭園入口



 この庭園は、泉水、築山、枯山水を主体と

した「回遊式林泉公園」だ。

 江戸時代、大名庭園の造園手法。

江戸の豪商紀伊國屋文左衛門の屋敷跡とも

いわれている。 

 明治になって、岩崎弥太郎が荒廃したこの

邸地を買い取り、社員の慰安や貴賓を招待す

る所として、全国から名石も取り寄せ、

完成させたそうだ。

 昭和になり、東京都の名勝に指定された。

築山と泉水、枯山水









名石もふんだんに!











三つの中島を配した池は本当に広く、舟遊び

も可能? 





中の島へ





 水面に、島や数寄屋造りの建物、そして樹木

の陰を映し出しているのも楽しめる。





十数名の植木屋さんが手入れをしておられた。

 当初は隅田川から水を引いていたそうだが、

現在は雨水でまかなっているそうだ。 

 伊豆の磯石、紀州の青石、佐渡の赤石、

讃岐等の御影石など名石も楽しめた。
 
 素晴らしいの一言で絶句してしまうほど。

清澄庭園入口 やっぱり有料でした。

優良かな?

 水鳥たちも気持ちよさそう





そして、ずいぶん楽しんでから案内板が



芭蕉の句碑

古池の句だった。



芭蕉の句碑説明



庭園からも見える。もう一つの東京のシンボル
 





仙台堀川の水辺の(俳句)の散歩道 その2

2017-08-22 09:19:50 | 日記
仙台堀川の水辺の(俳句)の散歩道 その2

平成29年2月15日 11:40~

水辺の散歩道の地図

水路の確保がいの一番



岩沼での句



七番目の句は、平泉での句。   

「夏草や 兵どもが 夢の跡」



八番目の句は、中尊寺での句。

「五月雨の 降りのこしてや 光堂」



九番目の句は、立石寺での句。

「閑かさや 岩にしみ入る 蟬の声」



十番目の句は、大石田での句。

「五月雨を あつめて早し 最上川」



十一番目の句は、象潟での句。

「象潟や 雨に西施が ねぶの花」



十二番目の句は、出雲崎での句。

「荒海や 佐渡によこたふ 天河」



十三番目の句は、倶利伽羅峠での句。

「わせの香や 分入右は 有磯海」



十四番目の句は、色の浜での句。

「寂しさや 須磨にかちたる 浜の秋」



十五番目の句は、山中温泉での句。 

「山中の 菊はたおらぬ 湯の匂い」



十六番目の句は敦賀での句。

「名月や 北国日和 定なき」



十七番目の句は、小松那谷寺での句。

「石山の 石より白し 秋の風」



十八番目の句は、大垣での句。

「蛤の ふたみにわかれ秋の風」 

 

できれば、俳句の下に絵でも、

写真でも、漫画でもあれば、 

その場所がイメージでき、親子連れや

祖父母と孫の散歩に、弾む会話もあるだろう。

              

執着の得失?蕉道「おくのほそ道」パートⅡ

2017-08-21 09:38:36 | 日記
執着の得失?蕉道「おくのほそ道」パートⅡ

芭蕉俳句の散歩道

平成29年8月21日(月)

 昨夜も雨の襲来。今朝は蒸し暑い。

 先日、刈り取ったタンポポは翌朝生き返る。

ということを記した。

 「どうして、全生命をかけて子孫を残す

ことに執着するのか。」

 玉村さんの言をかりると・・・・。 

 冷蔵庫の中の青菜が黄色くなって萎れて

いくこと、林檎などの果物が腐ったり、

傷んだ林檎がひとつあると、一緒のかご

の林檎も早く傷んだりすることは、皆

エチレンというという植物ホルモンが原因

という。

 エチレンというホルモンは、植物が風に

揺れる時にも出るらしい。

 エチレンは、よく知っているポリエチレン

や塩化ビニルをつくるエチレンと同じもの。

 19世紀末にヨーロッパの都市に用いられ

ていたガス灯が破損してガスが漏れた時、

付近の街路樹が異常な形態を示したらしい。

 その原因の追究から多くの高等植物は

自分自身でエチレンを発生していることが

分かり、植物ホルモンの一種であることが

認められたそうだ。

 エチレンは、生長を促進し、老化を早め

ている張本人ということが解明されたという。

 ということから、植物は切られたり、風に

揺さぶられたりすると、わが身の危険という

だけではなく、子孫を残すという種の生命の

危機を感じ、とにかく早く生殖できる状態に

到達することへと急ぐのだ。

 ある種の生き急ぎの感だが、凄まじい

ことだ。

 私もそうなのかなと不可思議さを残しながら

蕉道へとのめり込む。

芭蕉俳句の散歩道



深川の芭蕉庵を手放して



「草の戸も 住替わる代ぞ ひなの家」

これが、散歩道



次は、降船 千住にて



そして、日光へ



那須高原



福島へ



 ちょっと一休み!


蕉道Ⅷ おくのほそ道パート2 採茶庵(さいとあん)   

2017-08-20 10:14:27 | 日記
深川の採茶庵(さいとあん)

平成29年8月20日(日)
 
 曇天の朝、自治会館の清掃・美化の日で、

起きてまもなく出かける。

 夜半の土砂降りは、蜻蛉の如し。

 「毎日草刈やで。」とぼやいてんのか、

楽しんでいるのか話している人もいる。

 19日連続の雨は、草たちの居場所確保

か。1時間ほどで、すっかりきれいになる。

 群れて仕事をするのもいいものだ。

 採茶庵ならぬ採草庵か?

採茶庵(さいとあん)は、今年の2月15日

に訪れた。

海辺橋



そのたもとに、採茶庵。



これが復元した庵



芭蕉の出立前の出で立ち





そして、

芭蕉俳句の散歩道を見つける。



海辺橋の川は、仙台堀川。

きちんと整備され、水も清らかに。





 住む人の思いも伝わる。