貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

備え付け懐中電灯

2018-12-11 08:50:08 | 日記

備え付け懐中電灯

平成30年12月11日(火)

 今朝の歩行禅は、袖付きジャンパー。

 1~2度まで気温は下がったという。

 暖冬から厳冬へ急降下!

 親不知の海岸近くまで急降下!

 ゆっくり風景を味わいながら降りる。

 そして、赤煉瓦トンネルに。

 蝙蝠でも住んでいそうな・・・。

 左側三分の一が歩行通路みたい。

説明板もある。

 明治天皇が北陸御巡行のことに触れている。

 眼下の崖下の風景も見事、渦巻いている。

トンネル内に、懐中電灯が数本置いて

あるので、お借りする。

途中途中に

子どもたちも高齢者も皆が、

楽しめるようトンネルの作り方

などの解説板が工夫されている。

 

出口が見えると不安は消滅。

懐中電灯を返却。

どうもこちらから入る人が多いのかな?

どっちも出入り口。

煉瓦の積み方や旧親不知煉瓦トンネル

の説明板など整備されている。

日本の近代化を支えた鉄道遺産を独り歩き。

そしてその先の残骸部分?

当時の大変さを偲ぶこともできた。

今後整備される可能性は?

 


如砥如矢

2018-12-10 08:47:27 | 日記

如砥如矢

平成30年12月10日(月)

 師走も早中旬入り。

 

 ウォルター・ウエストン(Walter Weston)像。

 『日本アルプス―登山と探検』の著者、

ウォルター・ウエストン(Walter Weston)は、

明治27年7月19日に日本アルプス

の起点でもあるこの旧国道を通ったそう。

 モデルのような体型だ。 

 コミュニティロードの岩壁に、明治16年

の道路開通を祝って刻まれた「如砥如矢」

(とのごとくやのごとし)の文字が。

 「切り開かれた道が、砥石のように

平らで矢のように真っ直ぐだ」の意。

 そして、“To no gotoku, ya no gotoshi”

(“As smooth as a whetstone’ and

 as straight as an arrow”)

と記されている。

 

 5月最終日曜には『親不知・海のウエストン祭』

が行なわれ、ウエストン像に献花した後、

白鳥山(1287m)山開きが行なわれて

いるそうだ。

 ちなみに、親不知・子不知といいますが、

親不知駅がある歌(うた)の集落を中心に、

西の市振(いちぶり)地区までが親不知、

東の勝山(かつやま)地区までが子不知

(こしら合唱曲「親知らず子知らず」では

次のように歌われている。

「荒磯(ありそ)の岩陰に 苔むした地蔵が

かすむ沖を じっと見つめている

子を呼ぶ母の叫びが聞こえぬか 

母を呼ぶ子のすすり泣きが聞こえぬか

旅に病む父親の下へと 

心を急がせた母と子に 

北涙(ほくめい)の怒涛が グワッと

爪を立て 

次々に 二つの悲しき命を

奪い去ったという  

怒涛は何を怒ったか

その怒りを 何故(なにゆえ)に悲しき母

と子に向けたか

子を呼ぶ母の叫びが聞こえぬか 

母を呼ぶ子のすすり泣きが聞こえぬか

悲しき人を さらに悲しみで

追い打ちするを 人生というか

悲劇に向かって挑む喜劇(もの)を 

運命の神は 憎むか

鴎(かもめ)は鳴きつつ飛び交い 

海を潜り波を滑る 鴎の歌の悲しさよ

じっと見つめる 苔むした地蔵も

夕暮れる 親不知子不知の沖も

茫々(ぼうぼう)夕暮れるず。」

水上勉さんは、『新日本紀行』の中で,

「私の大好きな親不知」といって

いるほどだ。

 ちょっと垣間見る眼下も見とれるほど。

 寄せる波返す波のうねりなども一興。

 親不知煉瓦トンネルへの案内もあり。

 急階段もまだ新しい。

 この階段を降りることにする。

 また、明日!


越路の泡

2018-12-09 08:51:46 | 日記

越路の泡

平成30年12月9日(日)

 今朝も、市振へ。

 

  芭蕉と曾良には似ていない旅人の

健脚姿に、ちょっと悲壮感が漂って

いる天険親不知。

 青海町の天険だ。親不知。

 今はコミュニティーロードとなっている。

 駐車場も広くとってある。

 親不知・子不知は、高さ300m〜400mの

急崖が約15kmにもわたって続く、

北陸道最大の難所。

 親子を顧みる余裕もないほどの険しさ

から、親不知・子不知の名があるとか。

 平安時代末、平清盛の弟、池中納言・

平頼盛が、越後五百刈村(現在の長岡市)に

落ち延びた際、夫の後を慕って、ここを通り

かかった夫人が、2歳の愛児をふところから

落として波にさらわれてしまったという。

 その時、詠んだ歌が、

「親不知 子はこの浦の 波枕 

 越路の磯の 泡と消え行く」 。

 明治16年に断崖を削って初めて

国道が開通し、明治45年に北陸本線が

開通したそうだ。

 その後、国道8号、北陸本線とも

新ルートとなったため、明治16年

開通の国道8号の旧道が、

「親不知コミュニティロード」として整備。

 旧北陸本線のトンネルも、

「親不知レンガトンネル」として保存整備され、

周回できるハイキングコースになる。

 今回そこを訪ねることができ、暫し興奮!

 「青海八景」から親不知の岸壁添いを、

まず楽しむ。

 親不知を詠んだ句碑もあり。

 こんな所に、かっこいい像あり。

 これが、ウォルター・ウエストン(Walter Weston)

の像!

 ウォルター・ウェストンWalter Weston,

1861年12月25日-1940年3月27日は、英国の宣教師。

そして、登山家。

 日本に3度長期滞在した。

 日本各地の山に登り『日本アルプスの登山と探検』

などを著し、日本アルプスなどの山及び当時の

日本の風習を世界中に紹介した。

 ウェストンは、日本アルプスの起点は、

親不知として糸魚川を訪れている。

 「海のウエストン祭」が、地元の有志によって、

毎年行われているという。 

 上高地等も、この人の尽力に依る。

 ちょっと一休み。


拝殿は何処?

2018-12-08 09:03:16 | 日記

拝殿は何処?

平成30年12月8日(土)

 今朝も市振。

 長圓寺 拝観!

 

 国道8号線沿いにあり。

 千手観音地蔵など二箇所に整然と

おわしますとのこと。

 住職さんの御自宅と本殿の境は?

 お地蔵様も整列。


 大きな樹木の下、芭蕉の句碑が手厚く・・・・。

芭蕉の句は、

「一つ家に 遊女もねたり 花と月」

 


街道の若松

2018-12-07 08:44:19 | 日記

街道の若松

平成30年12月7日(金)

 今朝は糸魚川市市振へ。

 桔梗屋の跡を去ると、すぐ目立つ物。

 明治天皇が市振で小休止!

 記念の場所。

 そして、すぐ海道の松。


 海道の松(かいどうのまつ)は、

市振に生育していたクロマツの巨木。

 北陸道の宿場であった市振集落の

東のはずれにそびえ、樹齢は約230年

と推定。

 難所として知られる親不知への出入

り口の目印として、北陸道を往来する

旅人たちに古くから親しまれていた。

 『おくのほそ道』紀行の途上で、

松尾芭蕉が宿泊したという「桔梗屋」の

跡地に近く、地元市振のランドマーク

として活用していた。

 しかし、2016年(平成28年)10月に

暴風の被害を受けて倒壊し、現在は

海岸沿いの松を移植した若木の松が

しなやかに育っている。

 

その説明。

 すぐ近くに、弘法の井戸がある。

 先日、タレントさんが、「青海」と

「青梅」をまちがえて、ミスをしたと

いう。

 こちらは、「おうみ」の青海。

 伝説の井戸だ。

 傍に、館に守られた石像も街道を

守っているよう。