貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

琵琶湖の浮城

2020-01-26 09:35:15 | 日記

琵琶湖の浮城

 令和2年1月26日

 私は、琵琶湖が大好き!

 第2の生琉里だ。

   近江大橋西詰のすぐ南側に

突き出た地にあった膳所城!

 徳川家康が関ヶ原の合戦の

後、築城の名手といわれた

藤堂高虎に最初に造らせた城。

 城構えは、湖水を利用して

西側に天然の堀を巡らせた

典型的な水城で、

白亜の天守閣や石垣、

白壁の塀・櫓(やぐら)が美しく

湖面に浮かぶ姿は、実に素晴

らしかっただろう?!

 この美観を、

「瀬田の唐橋、

唐(から)金(かね)擬(ぎ)宝(ぼ)珠(し)、

水に映るは膳所の城」

と里謡(さとうた)に謡われている。

 戸田・本多・菅沼・石川と城主が

変わった後、本多6万石代々の居城

として長く偉容を誇るが、

明治維新で廃城になり楼閣は

取り壊される。

 城門は重要文化財で、膳所神社や

篠津神社に移築される。

  現在、本丸跡は、膳所城跡公園

として整備され、春には桜の名所

として花見客を多く集めている。

 大津城、坂本城、瀬田城と並ぶ

「琵琶湖の浮城」の一つ。

 説明碑によると、

「元禄7年(1694)6月中旬、

芭蕉翁は膳所の能太夫遊刀の家で

この句を作る。

 湖前の芭蕉句碑

 膳所義仲寺の無名庵に最後の

滞在の日のこと。

 琵琶湖の上に高々と立ち上って

いる雲の峰は、夕方の涼しい風が

吹き渡ってくるようになっても、

まるで昼間の暑さを惜しんで

いるよう。

湖と雲が演出する雄大な景色が

目に浮かぶ。」

と。

 説明書き

 つづく。


戒琳庵から戒琳院へ

2020-01-24 08:46:12 | 日記

戒琳庵から戒琳院へ

令和2年1月24日

 今朝は、蕉門のひとり、

浜田酒堂の草庵跡へ。

 戒琳院を参拝!

 浜田珍蹟洒落堂跡。

 酒堂は、膳所の医師で、

元禄2年芭蕉に入門。

 元禄3年(1690)、芭蕉は

浜田珍夕の草庵「洒落堂」を

訪れ、草庵を讃えて

「洒落堂記」を著す。

 後の戒琳庵。

 そして、今は戒琳院。

 普通の家の暮らしだが、

入口はお寺らしくもあり。

 『淡海の芭蕉句碑 下』に、

碑文は

「木のもとに

 汁もなますも

   桜哉 はせ越」

とある。

 句碑の大きさは、

『ちょうど東を向いて建つ

この句碑の高さは三十センチ、

碑の周囲は八十五センチで、

自然石の台の高さは六十五センチ、

台上は百センチ四方もあった。

その台上にこの碑がこけない

ように上品にコンクリートで

巻かれて安定していた。』

と、建造者・建造年は碑の裏面に、

『昭和四十六年四月建之、戒琳庵 

祖明代、浜田珍碩落堂跡、

有志一同』

と四方に刻されていた。」

と記されている。

  芭蕉の句は、

「木のもとに 

 しるもなますも 

      桜哉」

 これは、酒堂の作かな?

 この碑の文字も読み取れず。

 尋ねる人もなし。

 石仏がきちんと納められている。

 そして、今の住職さんの

説教かな。

 初めて参拝する。

 何となく正体不明、

謎めいた感じも否めなかった?

 


縄文の貝塚

2020-01-23 08:53:59 | 日記

縄文の貝塚

令和2年1月23日

 この数日、富山県高岡市の

万葉電車に嵌まっている。

 万葉線は、高岡駅から

六渡寺駅までが高岡軌道線、

六渡寺駅から越ノ潟駅までが

新湊港線の2路線に分かれて

いるが、一体の直通路線を、

万葉線とよぶそう。

 かつて越中国守として高岡に

赴任した大伴家持が、

『万葉集』を編纂したのは有名。

 昭和55年に、『万葉線』

という愛称をつける。

 町の特徴をきちんと捉え、

町おこしの要因となっている。

 今朝は、ドラえもんトラムと

万葉線に凝っている少年の姿を

紹介。

 子どもたちの夢を叶えている。

 アナウンスもドラえもんの声

でもいいなあ!

 台湾の観光客の嬉しそうな

表情も印象的。

 何と、藤子不二雄さんも高岡

出身だとか。

 近いうちに訪れてみようかな?

 今朝は、もっと古い時代に!

これは、

「縄文しじみ貝塚の塔」。

 石山貝塚の史跡があった処。

 石山貝塚の話は昔聞いたことは

あるが・・・。

 石山寺の門前近辺とは?

 何十回も参拝しているのに

・・・?!

 そして、青鬼の歌碑。

背面に、その説明。

 お目当ての芭蕉句碑も見つかる。

芭蕉の句は、 

「石山や 

 石にたばしる 

    霰かな」  。


 

  明板には、

「芭蕉翁は、ここ石山寺を度々

訪れている。 

この句は元禄3年(1690)の冬の

日に作られたもの。   

 石山寺の由来でもある幾重に

もなった巨大な硅灰石の上に、

白く固い霰が激しく降り注いで、

たちまちあたりへと飛び散って

行く。

その光景からは、石と霰が

ぶつかり合うときの硬く

リズミカルな響きが聞こえて

くるよう。」  

と記載されている。

 温故知新だな!


湖に浮かぶ詩神よ!

2020-01-22 08:44:25 | 日記

湖に浮かぶ詩神よ!

令和2年1月22日

琵琶湖八景 夕陽

「瀬田石山の清流」。

碑も建つ。

 この瀬田川で、

研究室対抗ボートレース!

お尻の皮膚がひりひりした。

 勝ち抜き戦!

 そして、友と喋りながら

よく歩いたコース。

 当時は、藤村公園も

藤村詩碑もなかった。

 藤村詩碑。

 藤村の詩碑は、昭和47年(1972)

建立だそう。

 元々は密蔵院(現在仁王門先境内)

の旧地で、明治26年(1893)教え子

との愛の苦悩から、教員の職を辞し、

関西漂白の藤村(22歳)が2ヶ月

ほどここの茶丈で下宿生活をする。 

 その時石山寺に参詣し、

ハムレット一冊を献上。

 石山寺での生活は、

「春」や「茶丈記」などに著された。

 詩碑は、

「石山寺にハムレットを納むる

辞より 

 湖にうかぶ詩神よ 

 心あらは 落ちゆく鐘の

こなたにも 

聴けや 千年の冬の夜ごとに

石山の 寺よりひびく

読経のこえ 」  

と刻印されている。


大寒は小春日!

2020-01-21 09:01:15 | 日記

大寒は小春日!

令和2年1月21日(火)

 雪積もらず、氷張らず、

そして、昨日の大寒は

春を呼ぶ小春日となる。

 暖冬も暖冬!

 毎年新たな体験!!!

 「石山の 

 石にたばしる 

   霰かな」

 石山の石と霰の協奏曲かな。

 芭蕉の句碑は、石山寺の門前

左側の駐車場前にある。

 学生時代、研究室の先生の依頼で、

この寺の傍の家に下宿。

 あるご子息の家庭教師をして

過ごしたことも懐かしい。

 物置の改造2階であったが・・・。

 月見堂。

 瀬田川から瀬田の唐橋、

 そして琵琶湖の上に望月。

 想像しただけで絶景!!!

 境内内の芭蕉句碑。


 芭蕉句碑の句は、

「曙は 

 まだむらさきに 

 ほとゝきす」。    

 「曙」は、清少納言『枕草子』の

「春は曙。やうやう白くなりゆく

山ぎは少しあかりて、

紫だちたる雲の、

細くたなびきたる。」

から採る。

 源氏の間を見ていると、

まだ春の陽気が残っている

ものの、ちょうどホトトギス

の声が聴かれて夏の到来を

感ずることだ、という意。

 『源氏物語』ではなく、

『枕草子』を引用していたり、

季節の記述が錯綜していたり

してすっきりした句とは

言いがたい? 

 つづく。