貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

おもき石

2020-01-20 08:51:06 | 日記

おもき石

令和2年1月20日

 大津市に入る。

 先ず、石山寺へ。

 見事な山門。東大門だ。

阿吽仁王像、木彫。

そして、

おおつ 光ル君。

 

  石山寺は、 巨大な硅灰石の

岩盤の上に建立。

 ご本尊の如意輪観音様は、

八葉の蓮華の形をした硅灰石

の上に座っておられる。

自然の力と一体化されて

いる仏様でもある。

「後の世をねがふこころは

 かろくとも 

 ほとけのちかひ

 おもきいしやな」

   後生を願う私の心など

到底及ばない程、

衆生のあらゆる願いを

聞き届けようという観音様。

 誓願は石山の石のように

堅く揺るぎなし?

  33年に一度の開扉と紫式部展

をセットで見られる好機に

恵まれる。

 1200円也。

 木造の観音像が、珪灰石の台座

に建てられている。

 流石力作である。

 多宝塔も日本最古のもの。

   芭蕉堂と月見堂があったが、

入れないのが残念無念!

 歴史上いろいろな人が訪れ、

風趣を楽しんでいたことも

伺われ、今も揺るぎなし。

月見堂からの気色は、

今も絶景だろう!


一息一飲の風雅さ

2020-01-19 09:01:26 | 日記

一息一飲の風雅さ

令和2年1月19日

 今朝は道路凍結。

 特に、橋の上、堰の上が

凄い。

 日曜日でよかったと思いきや

早速リバーサイド入口に、

パトカーが止まっている。

 車が滑って・・・事故!

 ノルディックウォーキング

でも滑るので、40キロ以上の

スピードでブレーキを踏む・・・

と想像すると、背筋がぞぉー!

 どうか、スライド事故に

なりませんようにと祈りながらの

歩行禅となる。

 手作りの焼き物などの物語は、

参拝者の想像で、より楽しい

ものに変容。

 境内そのものが美術館。

ほんと、楽しんだ。

 家の前の崖道に咲く花と

同じような花を見つける。

 花名は、「ボタンクサギ」。

   ボタンクサギは漢字では

「牡丹臭木」と書く。

 ボタンのような花のクサギと

いう意味か。

 クサギは日本でも古くから

親しまれている植物で、

葉っぱをもんだりすると

臭いニオイがするので、

この名前がついたという。

  帰り、受付の女性が冷やした

お茶と飴玉を一個お盆に

のせてくださる。

 一息一飲も風雅に!


湖南三山のひとつ

2020-01-18 09:15:49 | 日記

湖南三山のひとつ

令和2年1月18日

 学生時代には湖南市なんて

記憶にない。

 湖南市。

 親しみも 町の変貌の

驚きに圧倒されている。

語意の示す如く、琵琶湖の南部に

あり。

 大津市の南部から旧甲賀郡に

かけて指す広域を市として統合。

 中心部を東西に、野洲川が

流れている。

 市内にある3つの寺院、

善水寺、常楽寺、長寿寺は、

本堂や三重塔が国宝に指定さ

れている。

 「湖南三山」と親しまれ

ているお寺。

 そのひとつ、長寿寺参拝!

 長寿寺は、歴史と出合う処。

学生時代訪れた記憶も蘇る。

 掲示板には、二つのことば。

 本堂への道中に飾ってある

焼き物などの品々が、

まさに「参詣 感謝歓迎」!

 阿星山の北東麓にあり、

常楽寺の西寺に対して、

東寺と呼ばれる天台宗の

古刹。

 長寿寺は奈良時代、

良弁僧正によって建立された

勅願寺。

 その昔、聖武天皇には世継ぎ

がなかったので、

良弁僧正が阿星山中の瀑布に

籠って子宝の祈願を行った

ところ、間もなく皇女の

降誕を得る。

 天皇は、我が子の長寿を願い

七堂伽藍廿四坊の寺を建立し、

長寿寺という寺号をおくる。

 さらに行基菩薩に子安地蔵を

刻ませ本尊とする。

長寿寺の始まりである。

 中世には源頼朝、足利氏ら

の祈願所となり発展。

 しかし、天正の頃、織田信長

の手によって三重塔は居城で

ある安土城へ、

楼門は栗東市の蓮台寺へと

移築され、主要な建物を失う。

 現在、国宝の本堂、重要文化財

の弁天堂、同じく重要文化財の

丈六阿弥陀如来坐像、

釈迦如来坐像、

阿弥陀如来坐像などが残され

ている。

  本寺の可愛い歌碑は、

新撰和歌六帖という和歌集に

記された藤原光俊(1203-1276年)

という歌人の歌。

「近江なる 

 檜物の里の 

   かば桜 

 花をばわきて 

  祈る人もなし」 。

 しっとり!うっとり!

 長生きしそうな風土!!!


山伏の祈る聲

2020-01-17 08:54:26 | 日記

山伏の祈る聲

令和2年1月17日

 また確定申告の時期到来。

 今年もそろそろだ。

 電子申告を初めて数年経過

するが、スムーズに一回で完了

した記憶はなし。

 だいたい2回のペース。

 今日やるかな?

 その前に、甲賀市へ。

 嶺南寺参拝!

 桓武天皇の御代、神亀2年(725)

華厳宗の僧侶、良弁僧正が

竜法師平林の地に草堂を建立。

 無量寿仏を安置し、

寺名を安養院と称す。

 その後、延暦年中(782-806)に、

伝教大師が杣の庄に用材を求め

巡化された際、この地一帯に

悪疫病が流行。

 人々が困苦する姿を見て、

深くいたみ薬師如来、地蔵菩薩の

両尊像を刻する。

 薬師如来を東北の地、

地蔵菩薩を南西の地、

すなわた竜法師の両入口に安置し、

東方の教主薬師如来に向かい、

無常息災のご修法を、

南方の教主地蔵菩薩に向かい、

延命の御修法を修し、

人々を救済し給う。

 これ以降天台宗となる。

 その後長保年間(999-1004)、

恵心僧都巡教の時無量寿仏を

刻して安置。

 その時、僧都が寺庭に刺した梅の杖が

根付き花を咲かせたことから

山号を梅香山と呼ぶ。

 嘉承年間(1106-1108)の火災以降、

度重なる災火に遭うが、

天和2年(1682)広円法印が再建。

 享保8年(1723)の火災で堂宇を

焼失した際、復元。

 現在の地に移転して薬師堂、

不動院を合併して寺号を嶺南寺と

改める。

 同時に天満宮を寺傍の高地に

移す。

 嘉永年間(1848-1854)の火災で

本堂を焼失するが、

平成18年に本堂再建を果たして

現在に至る。

  緊迫というより黄土色の観音像が

建てられている清楚なお寺

という印象。

 芭蕉の句碑が梅林の中にある。 

芭蕉の句は、

「秋山に 

 あら山伏の 

  祈るこゑ」

 字体が独特!

 山伏の祈る聲も

聴きたいものだ。


お馬岩に木魚岩

2020-01-16 09:06:12 | 日記

お馬岩に木魚岩

令和2年月16日

 正月も早後半。

暖冬で、雪国は今大変!

製氷業者さんも大変。

雪降らず、積もらず、凍らず。

雪解け水が少ないと、水不足?

おいしいお米栽培にも影響?

 なかなか自然(じねん)の

心境にいることは、現実難題!

 今朝も甲賀市だ。

 信楽から甲南町息障寺へ。

 町域南西部、三重県境に

そびえる岩尾山の山道をひたすら

登る。

 その名のとおり岩で覆われた

標高471mの霊山。

 平安時代初期に最澄が開山した

という。

 山岳宗教の一つ。

 磨崖地蔵菩薩座像があるという。


 

 ご住職さんが住んでおられ

ない感じ?

 鐘楼は誰が衝くのかな?

 芭蕉句碑はなかったが、

山岳宗教と修験者や個力と

自然との共存など、

様々な事に思いを巡らす

機会となる。

 観音様にもお祈りと

何となく話しかける。

里山よ、蘇れ!

 中腹には、屏風岩等の奇岩が

点在。

 馬の形をした「お馬岩」、

扇を開いたような「扇岩」や

叩くと木魚の音がする

「木魚岩」等あるという。

 誰にも会わず。

 貴重なひとときを過ごす

ことができ、幸福感も漂う!