貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

名句が多い 貞享五年(1688)!

2021-09-15 10:12:47 | 日記
令和3年9月15日(水)
たびにあきて 
  けふ幾日(いくか)やら 
       秋の風
 前書き「秋立日」。
 旅にも飽きる気持ちが生じて今日で
何日だろう。
 気がつくと、秋の風が吹いている、
の意。
 貞享五年(1688)の作。
「秋立日」・・・この年の立秋は7月10日。
 秋の到来を風で知る伝統を踏まえ、
時の推移と長旅の感慨を重ねたもの。
 「秋ー飽き」の常套的連想を使用。
◎ この句、「あきて」という表現が面白い。
 旅好きの芭蕉が、旅に飽きるはずがない
のだが、わざとそういう表現をして
見せて、長い間庵を出て、旅から旅へと
移動している芭蕉の日常を描いている
と思われる。
 「秋の風」が句の下五に来ているのも、
なるほどと感心させられた。
 旅の日々が積もって何日だか知らない
人が、ひんやりとした秋風を、
「お、寒くなったぞ」と気がつくのである。
 別に、日を数えて旅をしているわけ
ではないと、言い訳をしているところが、
秋の風で日数を数え始めるところと
釣り合って、その呼吸が見事である。
 秋の風と飽きとを言い合わせる
ところも趣向がある。
 この趣向はよく使われる表現であるが、
秋風に身を震わせながら、同時に日数を
数えている二重性が生きている。
 貞享五年(1688)の作。
 同じ時代の作品には、名句が多い。
 次の句もそうだ。
つづく。


転調の妙

2021-09-14 11:23:03 | 日記
令和3年9月14日(火)
 別句は、
面白うて 
  やがて悲しき 
     鵜飼かな
 これは確かに、今定説として芭蕉句に
なっている方がいい。
 「鵜飼かな」では、平凡である。
 「鵜舟哉」が、不意中の鮎を照らし出
して実在感がある。
 しかも、静まった後の悲しさを、水の
冷たさとともに描き出している。
 こういうところに、俳句は文字数が
少ないだけに作者の才能の差が
はっきり出てしまう。
 なお、「おもしろうてやがて」は
平仮名で、あっという間に鵜飼の喧騒の中に
引き込まれる。
 その後、漢字がきて、
「悲しき」と転調し、
「鵜舟哉」と、重々しい舟の構造の描写で
終わる。
 この転調の妙が、おもしろさから
悲しみと舟の暗さを呼び起こす。
 何とも奥の深い一句である。


世阿弥と芭蕉

2021-09-13 10:40:17 | 日記
令和3年9月13日(月)
おもしろうて 
  やがて悲しき 
      鵜飼哉
 前書き「鵜舟も通り過る程に帰るとて」。
 鵜舟の漁は面白くても、やがてそれが
過ぎると、悲しくなることだ、
の意。
 貞享五年(1688)の作。
「面白て」・・・謡曲「鵜飼」に、
「罪も報も、後の世も忘れはてておもしろ
や。・・・闇路に帰る此身の、名残をしさ
を如何せん」
「歓楽極マリテ哀情極マリテ哀情多シ」
(古文真宝後集)の普遍的感情を、
長良川の鵜飼を通して、具現化したもの。
 謡曲を踏まえつつも表すところは、
名残惜しさに留まらず、
生の哀れさや殺生を繰り返す人間の業
に迄及んで神妙。
◎ 鵜飼を見物していて面白かったが、
やがて鵜の動きが可哀想になって、
最初のようにさんざめくのにも
疲れてくると、騙されている鵜も
可哀想に見えてきた。
 この場合、宰相のうち鵜匠の詐術を
面白いと感心する心があって、
初めて鵜を哀れむ悲しさが生きてくる。
 謡曲の「鵜飼」は、榎並左衛門五郎
(えなみ)であるが、世阿弥の手が
多く入っていると言われている。
 確かに名文である。
 特に鮎の群れを篝火の照らす鵜匠の
熟練の手さばき、鵜が鵜匠の縄に動か
されて魚たちを追う面白さはなかなか
のものだ。
 地謡の調子のよい謡いも、ぐっと
引き込ませる力を持っている。
「鵜舟の篝火影消えて、闇路に帰る
化身の、名残惜しさを如何にせむ」
は、名文である。
 世阿弥でなければ書けない文章。
 この名文を俳諧風に変えると、
芭蕉の前文になる。
 このあたりの、文章による綱渡りが、
これまた芭蕉でなければ、できない
ものなのだ。
 この句には、『蕉翁句集』の別句
がある。明日へ。


菊と仏

2021-09-12 11:07:56 | 日記
令和3年9月12日(日)
菊の香や 
  ならには古き 
       仏達
 『芭蕉全句集』には、
菊の香や 
    な良には古き 
           仏達
 古き御仏たちがまします奈良の都には、
徴用の佳節とて菊の香が漂っている、
の意。
 元禄七年(1694)の作。
 特別な日を特別な地で迎える幸運。
 それを説明せず、ただ二つの事物を
並べることで、古雅なイメージの感合を
看取させている。
◎ 元禄七年(1694)、古都奈良に来て、
古い仏像を訪れ回った。
 折しも重陽、つまり陰暦9月9日で、
中国では、登高という丘を登る行楽
があり、日本では奈良の宮中で
観菊の宴が催される。
 家々には菊が飾られ、町が菊の香りに
満ちていた。
 奈良の町の古くからの習俗もゆかしい
し、巧みに彫られた古仏も素晴らしい。
 芭蕉は、菊のゆかしさ、香りの高さと、
奈良という古都との調和に、日本の季節
と花との関係、花と町との調和に、
文化の渡来してきた事実に、
かの国の文化や風習の素晴らしさを
賛嘆している。


夢を「ゆめ」にし完成

2021-09-11 11:11:05 | 日記
令和3年9月11日(土)
なつ草や 
   兵共が 
     ゆめの跡
 上の句が初見である。
 義経の一党も藤原家の人々も、
功名も栄華も今はなくなって、
一場の夢となった。
 なつ草が茂るという現実の出来事は、
毎年繰り返されて続いているが、
人事はすぐ消えてしまう。
 人事、つまり義経や藤原家の夢である。
 そこはいいのだけれども、人々の夢と、
平仮名・漢字混用のなつ草とでは、
人間の栄華のあとのほうが強く、表現さ
れ過ぎる。
 つまり、歴史の出来事が強すぎて、
なつ草が弱い。
 そこで、修正句。
夏草や 
  兵共が 
     夢の跡
 「なつ草」を漢字の「夏草」にして
みると、釣り合いがとれる。
 しかしながら、「夢の跡」という
歴史を思い出すような固い表現に
なって、面白くない。
 芭蕉の表現の凄さは、
「夢」を「ゆめ」という平仮名にした
ことにある。
夏草や 
   兵共が 
      ゆめの跡