貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

功名一時の叢となり

2021-09-10 09:11:25 | 日記
令和3年9月10日(金)
夏草や 
  兵共が 
    ゆめの跡
 夏草の生い茂るこの地は、兵士たちが
功名を夢見て戦った跡。
 私も夢にその面影を感じて涙する
ばかりだ、
の意。
 元禄二年(1688)の作。
「兵どもが夢・・・」・・・「が」を主格
と見るのが一般的で、義経主従に限定する
か、藤原三代の栄華も含めるかは、
説が分かれる。
 一方、「が」を所有格とみ、
しばし微睡(まどろ)む夢に
義経たちが現れたとする説もあり。
 ここでは、折衷的な解を試みた。
 「三代の栄耀一睡の中にして」に始まる
紀行文では、義経の居館があった高館
からの景観を描き、
「義臣すぐって此城に籠り、功名一時の
叢(くさむら)となる。」の感慨を示した
主人公が涙を落としつつ詠む」
という設定。
 栄枯盛衰の主題を示して、紀行中の
白眉ともされる。
 『猿蓑』では、若き芭蕉が仕え、
早世した蟬吟の作、大坂夏の陣で戦死した
祖父を追悼する
「大坂や見ぬ世の夏の五十年」と並置され、
これは遠き世の戦没者を懐古する
二句の構成と見られる。
◎ 『おくのほそ道』としてまとまった
「紀行」を論ずるのは、後にして、
先ずこの句に触れてみたい。
 つづく。


温と寒が充満する句

2021-09-09 09:49:50 | 日記
令和3年9月9日(木)
旅に病で 
  夢は枯野を 
     かけ廻る
 前書き「病中吟」。
 旅の途中で病身となり、見る夢はといえば、
自分が枯れ野を駆けめぐるばかりだ、
の意。
 元禄七年(1694)の作。
 底本の十月八日の条に掲載。
 「なをかけ廻る夢心」とどちらが良いか尋ねられ、
その上五を聞き損なったこと、死を前になお発句の
ことを考えるとはまさに妄執である、と
芭蕉が反省の言を漏らしたこと等を記し、
芭蕉に辞世吟はないことを強調する。
 728戸の関係から「清滝や」の改案(450)が
翌九日に行われるとはいえ、純粋な創作としては
これが生涯最後のものであり、
旅を住処とし、俳諧一筋に歩んだ人生の末尾を
飾る句として、含蓄深いものがある。
◎ これも大変有名な芭蕉末期の句。
 旅先の大坂の友人の家に病んで、口述筆記させた
もの。
 世に別れを告げんとする気があり、辞世の句
とも考えられる。
 しかし、この世の人々に別れを告げる悲愴は
なくて、臥せている身は、現の世界で旅をし、
俳諧の道を次々と思い出している。
 まるで、あまたの枯れ野を駆け巡っている
かのようだ。
 そして、何と過去においても多くの枯れ野の
旅をしたものよと誇らしげだ。
 芭蕉は迫り来る離別の死を悲しみつつも
多くの枯れ野の句を詠んだ自分を誇らしげ
にも思っている。
 この矛盾した心根が表現の力となって句を
読む人に迫ってくる。
 それを証明するかのように、
この句、温かいA五つ、O二つ、計七つであり、
鋭く冷たいE五つ、I二つ、計七つである。
 温かく力に満ちた誇りと死別の冷たさとが
せめぎ合っている。
 一度読んだら忘れられぬ温と寒とが、
この句に充満し、不思議な力を発散している
作品である。
 芭蕉の死後も、何時までも忘れられぬ、
永遠に生きる句である。


解釈二説の一句!

2021-09-08 09:22:40 | 日記
令和3年9月8日(水)
あかあかと 
   日は難面も 
       秋の風
 太陽は夏同様に赤々と照りつけても、風は確かに秋らしさを感じさせる、
の意。
 元禄三年(1689)の作。
 途中吟・・・旅の途上の吟。
「あかあかと」・・・「明々と」説と「赤々と」説がある。
「難(つれ)面(なく)も」・・・①薄情にも② 変わりなくも、の二説がある。
 真蹟類では、山椒の厳しさを強調した前文が多く、その場合の「難面も」は、①。
 一方、「秋立けしき」の吟とした真蹟懐紙写では、②となり、芭蕉自身この句を様々に扱ったことが知られる。
 金沢以前に得た想をまとめ、7月17日の句会で披露したと見られる。
 紀行では、全く別の役割が付与され、小松へ至る道中吟として機能する。
 自筆本では、「いまだ残暑はなはだなりしに、たびのこゝろを・・・」とて文章のあった上に現行の三行(776の前書き:句と「戸中吟」)が貼紙訂正され、秋風を背景に衝撃→再起→出発→到着の過程が四句一連で表現されている。
◎ これも太陽と月の二点セットである。
 「あかかと」でA音の勢いが付き、残暑の日光の力を感じさせられる。一転、秋の冷風で慰められ、そこにもA音が用いられていて、自然の力と慰めが見事に表現されている。
 詩人が「母音の説」であげた右の三句は『おくのほそ道』にあり、その近所には、A音九つのあらたうと 青葉若葉の 日の光」
七つの「塚もうごけ 我泣声は 秋の風」がある。
 前者は、「第一部9青葉若葉」で、
後者は「第三部人生行路と俳文」の文章で金沢の願念寺で新作が披露される。


雨と川の2点 水を詠う!

2021-09-07 11:13:05 | 日記
令和3年9月7日(火)
さみだれを 
    あつめて早し 
         最上川
 降り続く五月雨を一つにあつめ、最上川が凄まじい速さで流れていく、
の意。
 元禄二年(1689)の作。
 紀行本文では、舟に乗ろうと大石田で日和を待つ間に、土地の人と歌仙を巻いたとし、舟からの景観を記した上、「水みなぎって、舟危うし」として  掲載。
 曽良書留が記録する歌仙の立句は、「五月雨を 集て涼し 最上川」。 
  亭主一栄への挨拶吟で、記録では、これを「早し」と改め、和歌伝統通りの早川を実感した句に、再創造する。
◎ 「荒海や」が、海・島・天の三点セットだったのに、これは雨と川の二点セットだ。
 前者が別々の存在であったのに、後者は同じ水という存在だ。
 こういう具合に、全く違った自然の力を見事に詠み分けることのできる俳諧という表現形式に、私は驚嘆するばかり。
 五月雨は、永遠の出来事。最上川は永遠に欠けるかも知れないが、自然現象である。
 次の句?
 明日のお楽しみに!


三好達治氏の母音説

2021-09-06 10:13:20 | 日記
令和3年9月6日(月)
 感動、感激のパラリンピックも昨夜閉会式。162カ国の人たちのベストな姿、
戦った相手と終了後の笑顔や抱擁、温かい魂のふれあいを感じることもできた。
 コロナ禍の最中での大会で、全ての人たちのご苦労やご努力、抜きん出た智惠に感謝の気持ちを捧げたい。そして、ありがとう!!!!
 さて、
荒海や 佐渡によこたふ 天河
 この一句の続きだ。
 佐渡金山と遠流の歴史。
 つまり、重労働で苦しめられている罪人たちと、政治の世界の刑罰としての遠流の苦しみである。
 順徳院、日蓮、世阿弥などの思い出が、佐渡にはまつわっている。
 佐渡は、浮かぶ島でありながら、歴史上の辛い出来事の象徴である監禁の不自由の苦しみの島から目を離し仰ぎ見ると、広大無辺な天の川が自由と造化伸びを見せたというのだ。

 ところで、この句「荒海や」に、母音のA音が多いと指摘したのは詩人の三好達治である。
 これは、随筆『温感』にある「母音の説」である。
 母音のAは、何かしら鷹揚で温かい感じがする。Oもまたそれにやゝ似ている。Uになると、その度を減じて、代わりに柔らかく穏やかな感じになるようである。EとIは、鋭く冷たい。
 詩人はその例として芭蕉の三句をあげている。
 A九つが、「荒海や 佐渡によこたふ 天河」
 A八つが、「さみだれを あつめて早し 最上川」
 A七つが、「あかあかと 日は難(つれ)面(なく)も 秋の風」である。
 「芭蕉の句のどっしりとした風格の大きい落ち着きは、どうやらこの開口母音としばしば関聨していそうに考えられる。」と、詩人は言った。
 まず、「荒海や」以下の三句が、詩人の言う通りの傑作であることに、師匠は同意する。
 そして、声を出してこれらの句を吟じてみると、それぞれ、海、川、太陽、風という自然と合一できるような愉快な心地になることを認められる。
 ほんと、その通りだと心底合掌する朝である。