貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

闇の美を作句

2021-10-19 11:54:31 | 日記
令和3年10月19日(火)
鳴海に泊りて
星崎の 
  闇を見よとや 
      啼千鳥
 星崎の闇を見よと勧めるのか。
千鳥が盛んに鳴き立てる、
の意。
 貞享四年(1697)の作。
 「鳴海」・・・星崎を含む鳴海潟は、
千鳥の名所。(『類船集』に、「千鳥→鳴海」)。
 千鳥は闇夜のものとして詠むことも多く、
「星」と「闇」は類語。
 十一月七日、安信亭で巻かれた歌仙
(千鳥掛)の立句で、興じる気分が
軽快な調子になって現れる。
 真蹟自画賛には斧斤の名所を
織り込んだ前書きが付される。
◎ 名古屋の鳴海町で、同地の門人知足の
家に宿泊した。
 星崎の闇の空を見よとでも私に言う
つもりか、哀切な鳴き声の千鳥がいた。
 まるで闇を見よと誘うような鳴き声
であった。
 闇には、古来の叙情とちがって、
哀切の響きがあって、千鳥に聞き惚れ
天地を包む闇の強い表現力に惹かれる
のであった。
 闇の力を詠んだ秀句については
『野ざらし紀行』の外宮の闇について
も述べたけれども、
芭蕉は夜空の星よりも星も見えぬ夜の
闇に寄宿の根源を認め、
闇の美の表現を大事にしている。



造化の妙の俳句は棄てられず!

2021-10-18 12:00:43 | 日記
令和3年10月18日(月)
 突如、冬型の気圧配置の影響で、冬入り?
と勘違いする寒さ、衣替えの準備完了で
難を逃れる。
 さて、『笈の小文』の序文解説。

「百骸とは体の中にある沢山の骨、
九竅とは体に空いている九つの穴のことで、
二目・二耳・二鼻・一口・一尿道口・一肛門
で、九つの穴。
 つまり、百骸九竅は、人の身体のことで
ある。
 身体の中に物、つまり心がある。
 風羅とは、風に翻る薄物で、
破れやすい 芭蕉の葉のこと、
坊をつけて芭蕉は、自分の仇名にして
いるのだ。
 さて、風羅坊は狂句、つまり俳句を好んで
生涯の仕事にした。
 時には、俳句に飽きてしまったし、
時には、いい俳句が詠めて人に勝ったり
したが、なにせ俳諧師というのは、
厄介な仕事で、ふと士官して楽をしようと
思ったりした。
 しかし、好きな道の俳諧師は
棄てられず今も仕事をしている。
 西行の和歌、宗祇の連歌、雪舟の絵、
利休の茶、と道を行く者は、同じ心を
持っている。
 四季の変化を、花と月を愛して仕事を
しているではないか。
 花も月もどうでもいいというようなのは、
鳥獣か未開人だ。
 造化の妙を楽しむ俳句を棄てるなど、
とんでもないことだ。」



百骸九竅(ひやくがいきゆうきよう)の序文

2021-10-17 10:58:18 | 日記
令和3年10月17日(日)
 今日から衣替え。
 朝から小雨降り、寒し。
 寒いのは苦手のひとつ。
 『笈の小文』は、私にとって、
「老いの鼓舞覧」にあたる・・・?
 前回に続く。
 弟子たちが作ったために、『おくのほそ道』
などを参照して弟子たちが書いた部分も
あるらしく、芭蕉の吟行した時の思いな
のか、後に弟子たちが書いた推測による
文章なのか、迷う、と諸家は言っているが、
それは『おくのほそ道』にも芭蕉の旅の
ずっと後の思いや文章の推敲があるのに
似ていて、諸家もそれを承知で文章を読み
論じているので、
『笈の小文』も同じことであると
思うより他の方途はない。
 末席に序文がある。
 なかなかの名文で、先ずこれを吟味。
「百骸九竅(ひやくがいきゆうきよう) の
中に物あり。
 仮に名付けて風羅坊とい付。
 まことにうすもんお破れやすからん
ことを言ふにやあらむい。
 かれ狂句を好むこと久し。
 つひに生涯のはかりごととなす。
 ある時は倦んで放擲せんことを思ひ、
 ある時は進んで人に勝たむことを誇り、
是非胸中に戦こうて、
これが為に身安からず。
 しばらく身を立てむことを願へども、
学んで愚をさとらんことを思へども、
これが為に破られ、
つひに無能無芸にして、ただこの筋に
つながる。
 西行の和歌における、
宗祇の連歌における、
雪舟の絵における、
利休の茶における、
その貫道するものは一(いつ)なり。
しかも、風雅におけるもの、
造化にしたがひて四(しい)時(じ) を友とす。
 見るところ花にあらずといふことなし。
 思ふところ月にあらずといふことなし。
像(かたち)、花にあらざる時は夷狄にひとし。
心、花にあらざる時は鳥獣に類す。
夷狄を出で、鳥獣を離れて、
造化にしたがひ、造化にかへれとなり。」
 この序文は難しそうだが、文の内容を
追っていけば、やさしいことが書いてある、
と師匠が紐解いてくれる。
 次回へ。



『笈の小文』の「笈」とは?

2021-10-16 11:10:54 | 日記
令和3年10月16日(土)
 今日から『笈の小文』を追従。
 5年前の2016年5月に『笈の小文』
の旅をし、兵庫の明石まで行く。
 これからそれらを振り返りながら
芭蕉の句を再度紐解くことに。
 また、ご支援、ご声援よろしく!!!
4 笈の小文
 貞享四年(1681)十月二十五日に、
江戸を立って尾張から伊賀に入り、
故郷で年を越し、伊勢にて遊び、
弟子の杜国を伴って吉野の花を見、
さらに高野山、和歌浦を、須磨、明石を
巡り歩いた紀行である。
 『笈の小文』とは、
芭蕉が別の紀行のためにとっておいた
のだが、没後、弟子たちが紀行文を
組み立て、この名前をつけたという。
 「笈」というのは、旅の僧が仏具、
衣服、食器、食糧等を入れて、
背に担う箱で、地に置いたときに安定が
いいように四隅に木の脚がある。
 つまり、芭蕉を旅の僧になぞらえた
俳諧紀行文。
 つづく。


木槿と菫の違い!

2021-10-15 11:13:54 | 日記
令和3年10月15日(金)
山路来て 
  何やらゆかし 
     すみれ草
 山路に咲く菫は、ほんとに可愛い!
 ◎ 山路で出合った菫は、多くの動物が
通るけもの道に咲いている可憐な花で
あるのに、動物や鳥に食べられもせず、
そして旅路にひっそりと咲いて、
芭蕉を喜ばした。
 大自然の中の小さな花は美しく、又可憐である。
 木槿は瞬時に消え、
菫草はゆかしい生命をじっと守っている。
 この対比を、芭蕉は鮮明に詠み込んだ。