貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

振り返る、我が人生!!!

2022-02-13 16:33:42 | 日記
令和4年2月13日(日)
 昨日からつくばみらいの息子の家へ。
 次女三女のツインの誕生から一ヶ月余、
実家のお世話になるも、土・日は皆の
睡眠不足など健康を留意し、夫婦二人の
てんやわんや。
 さぞかしと思い、家内と二人で少しでも
家事をやり寝不足の解消をと手助けに。
 ツインの空腹からは派生する泣き声は
ほんと全身の欲求。3時間ごとに母乳と
ミルクの混淆で食欲を充足させる。
 まさに、幸福を呼ぶ泣き声でもある。
さて、最終⑤の原文 。
 かく言へばとて、
ひたぶるに閑寂を好み、
山野に跡を隠さむとにはあらず。
 やや病身、人に倦んで、
世をいとひし人に似たり。
 つらつら年月の移り来し
拙き身の科(とが)を思ふに、
ある時は士官懸命の地をうらやみ、
一たびは仏離祖室の扉(とぼそ)に
入らむとせしも、
たどりなき風雲に身をせめ、
花鳥に情を労じて、
しばらく生涯のはかりごとさへなれば、
つひに無能無才にしてこの一筋につながる。
 「楽天は五臓の神を破り、
 老杜は痩せたり。
賢愚文質の等しからざるも、
いづれか幻の住みかならずや」と、
思ひ捨てて臥しぬ。
 
 

幻住庵の暮らしの実情!

2022-02-11 15:28:39 | 日記
令和4年2月11日(金)
 昨日の青梅は日がな大雪警報が出たが、
雨と霙と雪が交互に降り続くという一日。
 積雪も殆どなく、朝を迎えることが
できた。
 ④の口語訳
 しかるに、筑紫甲良山三井寺の僧正は、
賀茂の神官甲斐何某の令息で、
このたび上洛していらっしゃったのを、
ある人を介して額の揮毫をお願いした。
 すると、たいそう気安く筆を執られ、
「幻住庵」の三字を送ってくださる。
 それをすぐに草庵に掲げて記念とした。

 いったい、今の私は、山住まいといい、
旅寝といい、しかるべき器物をそろえる
必要もない。
 木曾の檜笠と越後名産の菅蓑だけを、
枕の上の柱にかけている。
 昼はごく稀に訪れてくる人々に
心を動かし、
あるいは八幡宮の宮守の老人、
または里の男達が入ってきて、
猪が稲を食い荒らすだの、
兎が豆畑にやってくるのだの、
私の聞き慣れない農耕の話をしていくうちに、
日がもはや山の端にかかると、
初夜の座禅を組んで
静かに月の上るのを待っては、
月影でできた私の陰を連れにし、
燈火を掲げては、
影法師を相手に我と影とどちらが本物かと
心を凝らし思索にふける。


「幻住庵」と揮毫され、草庵のかたみと・・・!

2022-02-10 15:29:27 | 日記
令和4年2月10日(木)
④の原文
 さるを、筑紫高良山の僧正は、
賀茂の甲斐が厳子にて、
このたび洛にのぼりいまそかりけるを、
ある人をして額をを乞ふ。
 いとやすやすと筆を染めて、
「幻住庵」の三字を送らる。
 やがて草庵の記念(かたみ)となしぬ。
 すべて、山居といひ、旅寐をいひ、
さる器(うつはもの)だくはふべくもなし。
 木曾の檜(ひ)笠(がさ)、
越(こし)の菅(すが)蓑(みの)ばかり、
枕の上の柱にかけたり。
 昼はまれまれ訪(とぶら)ふ人々に
心を動かし、
或(ある)は宮守の翁、里の男(おのこ)ども
入り来たりて、
「猪の稲食ひ荒し、兎の豆(まめ)畑(ばた)に
通ふ」など、わが聞き知らぬ農談、
日すでに山の端(は)にかかれば、
夜坐(やざ)静かに、月を待ちて陰を伴ひ、
燈火(ともしび)を取りては
罔両(まうりやう)に是非をこらす。



手軽で閑素な生活に充足感!

2022-02-09 17:05:32 | 日記
令和4年2月9日(水)
③の後半の口語訳
 さきほが嶽・千丈が峰・袴腰
という山がある。
 黒津の里は、その名の如く
黒々と木が茂っていて、
「網代守るにぞ」と詠んだ『万葉集』の
姿そのままであることよ。
 なおいっそう隈なく眺望しようと、
後ろの峰に這い登り、
松の横枝を利用して棚を作り、
そこに藁の円座を敷いて、
「猿の腰掛」と名付ける。
 しかし、私はあの海棠の木の上に
巣を設けた徐佺(じよせん) や、
主簿峰に草庵を結んだ王翁のような
隠者の仲間ではない。
 ただ睡り癖のある山の民となって、
高く険しい山に蘆を投げ出し、
人けのない静かな山で、
虱をひねって座っているだけである。
 折良く気分が健やかな時は、
谷の清水を汲んで自炊する。

 西行法師の歌にあるような
とくとくと滴り落ちるわずかな
雫の侘しさを愛でて、
一つの炉を備えただけの
手軽で閑素な生活である。
 また、昔住んでいた幻住老人が、
殊に上品に住みこなして、
設計上の疑った趣向などもない。
 持仏を安置する一間を隔てて、
夜具を収納するための場所などを
多少設けてある。


万葉集に表された姿そのままの黒津の里、安住の菴に!

2022-02-08 16:21:16 | 日記
令和4年2月8日(火)
原文③の後半
 小竹(ささ)生(ほ)が嶽(だけ)・千丈が峰・
袴腰という山あり。
 黒津の里はいと黒う茂りて、
「網代守るにぞ」と詠みけん
『万葉集』の姿なりけり。
 なほ眺望くまなからむと、
うしろの峰に這ひ登り、
松の棚作り、藁の円座を敷きて、
猿の腰掛と名付く。
 かの海棠に巣を営び、
主簿峰に庵を結べる王翁・徐佺(じよせん)が
徒にはあらず。
 ただ睡癖山民と成って、
孱顔(さんがん)に足を投げ出だし、
空山に虱をひねって座す。
 たまたま心まめなる時は、
谷の清水を汲みてみづから炊ぐ。
 とくとくの雫を侘びて一炉の備へ
いとかろし。
 はた、住みけん人の、
ことに心高く住みなしはべりて、
たくみ置ける物ずきもなし。
 持仏一間を隔てて、
夜の物納むべき所など、
いささかしつらへり。