▼⑩新田均教授 ⑪内田智弁護士 ⑫渡辺浩記者
【先生と、弁護士と、記者と・・・(後編)】
・・・しかし、考えるに、私は非常識な男である。
『ミッドナイト・蘭』と言う名前を、先生方が知っていると言う前提があるのである^^;
その名を言えば、相手が仔細を了解するであろうと言う半強制さがある。
私は謙虚そうな振りして、とてつもなく傲慢なときがある・・・^^;
◇
紹介された産経新聞の教育欄担当・渡辺記者は、開口一番、
「鶯谷で待っていると思っていたのに^^」
と言った。
背が高く、肌が綺麗だった。
私は、一瞬、渡辺記者の言っている意味が分からなかったのだが、すぐに合点が行く。
(『新田ブログ』コメント蘭より)
≪『背筋のひんやりする話』
鈴木尚之は3月の時点で「渡辺は50パーセントの確率で自殺する」と当時の事務局員に話しています。
この言葉は彼の話法では「俺が自殺に追い込む」という意味です。
それがいよいよ実行に移されたようです。
しかも藤岡を使って。
それこそ背筋がひんやりする話ではありませんか。
2006/07/01(土) 11:40:35 | URL | 事情通 #-[ 編集]≫
≪・・・W記者は、私が一緒に鶯谷に行きますよ^^
で、サッパリしてきます^^
もち、領収書貰って来ます。
2006/07/02(日) 16:54:25 | URL | ミッドナイト・蘭 #-[ 編集]≫
ああ、ここで、落ち込んでいるだろう渡辺記者とともに鶯谷(吉原)に行くと言っていたのである^^
「いやいや、アハハハ^^」
私は笑って誤魔化した。
渡辺記者は、「ミスチル」の桜井さんのような優しそうな雰囲気の男であった・・・。
◇
『でも、今回の戦い、楽だったのではないでしょうか?』
そう、私は新田先生に言った。
新田先生は、最初、私の言っている意味がよく分からないようであった。
「・・・なんと言いましょうか、答えと言いましょうか、情報が自分の方に揃っていたと言う点で」
これでも、説明不足である。
私が言いたかったのは、
何よりも、西尾・藤岡・鈴木・その阿諛追従の者たちが、真実を捻じ曲げる場に、新田先生自身が遭遇したわけで、新田先生たちは、つまり、「真実」が何かを知っていた。
それ故に、自分の言動が「正義」であると言うモチベーションに、この内紛の間中、常に自信を持って後押しされていただろうことを言いたかったのです。
◇
『内田先生は弁護士さんでありますから、
その、自分の分野での戦いを始めた、ということで・・・?』
「うん・・・」と内田先生は答えた。
「これまで、内田先生だけは沈黙していた・・・」
「(内田先生の自称を忘れてしまったのだが、ここは先生の力強いイメージ重視で「俺」とする)・・・うん、俺は、(他の先生方のように)文章を書くのが仕事じゃないからね。ネットも見るだけ、書きはしない。俺は、俺の出来ることで、この問題に取り組むんだ」
・・・ああ、そうか、他の方々は「文士」であるが、内田先生は「法の徒」であるのだ。
あちら(西尾)が、文章での欺瞞と言う抽象的な害悪を巻き散らすならば、内田先生は、「法律」と言う社会的具体的枠組みをその抽象(中傷)誹謗にあてはめて見なければならないのだ。
西尾幹二が、公の雑誌を用い行った全くに根も葉もないイメージ操作の影響は、凄まじく大きい。
これは、【思想でも言論でも哲学でもない】のである。
ただの、「嘘」なのである。
嘘つきは泥棒のはじまり、である。
法律のプロの出番は、遅かれ早かれだったのである。
◇
渡辺記者は、私の横にしばらく立っていた。
この方とは、特に会話を交わしていない。
一緒に、新田先生の話を聞くような形になっていた。
渡辺記者は背が高いので、私がやや顔を伏せると、彼の腰の部分が視界に入る。そこには、肩から伸びた腕、そして手が見える。
その手が、やや前後するのだ。
「ん?」
私は、その意味を探ろうとした。
おこがましくも、渡辺記者が、私に握手を求めようとしているのか? などとも思った。
しかし、どうやら、彼は忙しい身で、会場を走り回っている。すぐに、次の取材へと移行しようとして、そのタイミングを見計らっていたのかも知れない。
◇
新田先生は、すぐに、私の言ったことに合点して答えてくれた。
「・・・だけど、その情報公開の取捨選択が難しくてねえ^^(事実の発表で相手をあまりにも貶め過ぎてもいけない)」
「ええ・・・、そうでしょうね」とまほ氏。
かような場では、あまり込み入った話が出来ないのが難点だ。
山椒のように小粒だがピリリと辛い短い質問をぶつけることしか出来ず、その場を辞去するのだ。
もっとも、酒に酔っていなかったら、そんな短い質問さえも緊張して出来なかっただろう^^;
「では・・・」
と、渡辺記者は去っていった。
◇
「これからの健闘を期待します。応援します。是非、協力をさせてください」
私とまほ氏は、新田先生に挨拶をした。「ローストビーフの続きをお食べください^^」とも。
この後、新田先生は、私とまほ氏の先行きに連なるような言葉を言ってくれた^^
◇
「これからの健闘を期待します。応援します」
内田先生に会話の終わりの挨拶をする。
あまり、我々が先生方のこの宴の場での貴重な時間を独占するのも申し訳ない。
内田先生は、ホロ苦い笑顔を浮かべ、去っていった。
◇
私は、思った。
【「つくる会」は不条理劇の舞台だったのだと・・・】
ここで出会った若い方々・・・、全てが常識人であった。
その彼らが、「思想でも言論でも哲学でもないウネウネした不気味なもの」を、「思想・言論・哲学」と言い包められて強制的に嚥下させられようとしたのである。
その直面した悲劇たるや、言葉では言い換えられない・・・。
新田先生はまあいいのである。この方は、明るくも、左翼的暗黒との戦いに慣れている。
この大らかさは、生まれ育った環境のせいか、もしくは、八百万の神々の奔放さを学んできたからなのか・・・。
だが、若さが垣間見られる内田先生や渡辺記者、土井さんや福原さん、彼らが遭遇した「道理の、あまりにも通用しない世界」を察するに、もう、悲しみがとめどもないのである。
皆さんを見て、私が共通して思った印象に、「血色がよく、肌が綺麗」がある。
だから、その「無垢な使命感」が、「つくる会」の独裁者たちによって、踏みにじられたような思いが私に募った。
皆さん、とても明るいのが救いだ・・・。
故に、その遭遇した不条理の過酷さをも想ってしまうのだ。
・・・しかし、乗り切った。
【未来はある!】
それから、もう一つの未来・・・。
今回の「内紛」問題は、詳しく書かないが、とにかく、早稲田大学の卒業者が重要な役割を演じていることが多かった。
ある意味、早稲田大学の学内闘争が、「つくる会」内紛に色をつけ、保守論壇を揺るがしたとも言える。
早稲田大学は、日本の論壇の縮図なのかもしれない。
そして、そこここに満ちていた「明るさ」は、早稲田気質なのかもしれないと思っている。
元(?)「つくる会」事務局員の土井さんに会ったとき、その明るいイメージに、私は、早稲田大学院在中であり磐南総研会長の岩田温君を思い出したのだ。
岩田君は、残念ながら、今回、「情報選択」の貧乏くじを引いてしまった。
彼は、この問題について、かなりの(取り返しのつかない)ダメージを受けただろう。
そして、この件について、沈黙を守っている。
だが、その沈黙は、罪悪である。
間違っていれば、謝るがいいだろう。
納得できなければ、議論すればいいだろう。
このままでは、生涯、言われ続けるぞ!
君が沈黙を続ける限りにおいて、生涯、「若き精鋭」と呼ばれ続けられるだろう・・・。
つまり、五十歳になっても六十歳になっても「お子チャマ」と称せられるのだ。
未来は、なくなる・・・。
・・・。
「ん!?」とまほ氏が言った。
「八木先生が会場から出て行ってしまいますよ」
「私たちも、そろそろお暇しましょう」
私たちは、今回の「つくる会・不条理劇」の最大の受難者・八木先生の後を追った。
・・・この方、最大の受難の中で、最大の「生産的行動」を起こした方だ・・・。
(2006/08/02)
【先生と、弁護士と、記者と・・・(後編)】
・・・しかし、考えるに、私は非常識な男である。
『ミッドナイト・蘭』と言う名前を、先生方が知っていると言う前提があるのである^^;
その名を言えば、相手が仔細を了解するであろうと言う半強制さがある。
私は謙虚そうな振りして、とてつもなく傲慢なときがある・・・^^;
◇
紹介された産経新聞の教育欄担当・渡辺記者は、開口一番、
「鶯谷で待っていると思っていたのに^^」
と言った。
背が高く、肌が綺麗だった。
私は、一瞬、渡辺記者の言っている意味が分からなかったのだが、すぐに合点が行く。
(『新田ブログ』コメント蘭より)
≪『背筋のひんやりする話』
鈴木尚之は3月の時点で「渡辺は50パーセントの確率で自殺する」と当時の事務局員に話しています。
この言葉は彼の話法では「俺が自殺に追い込む」という意味です。
それがいよいよ実行に移されたようです。
しかも藤岡を使って。
それこそ背筋がひんやりする話ではありませんか。
2006/07/01(土) 11:40:35 | URL | 事情通 #-[ 編集]≫
≪・・・W記者は、私が一緒に鶯谷に行きますよ^^
で、サッパリしてきます^^
もち、領収書貰って来ます。
2006/07/02(日) 16:54:25 | URL | ミッドナイト・蘭 #-[ 編集]≫
ああ、ここで、落ち込んでいるだろう渡辺記者とともに鶯谷(吉原)に行くと言っていたのである^^
「いやいや、アハハハ^^」
私は笑って誤魔化した。
渡辺記者は、「ミスチル」の桜井さんのような優しそうな雰囲気の男であった・・・。
◇
『でも、今回の戦い、楽だったのではないでしょうか?』
そう、私は新田先生に言った。
新田先生は、最初、私の言っている意味がよく分からないようであった。
「・・・なんと言いましょうか、答えと言いましょうか、情報が自分の方に揃っていたと言う点で」
これでも、説明不足である。
私が言いたかったのは、
何よりも、西尾・藤岡・鈴木・その阿諛追従の者たちが、真実を捻じ曲げる場に、新田先生自身が遭遇したわけで、新田先生たちは、つまり、「真実」が何かを知っていた。
それ故に、自分の言動が「正義」であると言うモチベーションに、この内紛の間中、常に自信を持って後押しされていただろうことを言いたかったのです。
◇
『内田先生は弁護士さんでありますから、
その、自分の分野での戦いを始めた、ということで・・・?』
「うん・・・」と内田先生は答えた。
「これまで、内田先生だけは沈黙していた・・・」
「(内田先生の自称を忘れてしまったのだが、ここは先生の力強いイメージ重視で「俺」とする)・・・うん、俺は、(他の先生方のように)文章を書くのが仕事じゃないからね。ネットも見るだけ、書きはしない。俺は、俺の出来ることで、この問題に取り組むんだ」
・・・ああ、そうか、他の方々は「文士」であるが、内田先生は「法の徒」であるのだ。
あちら(西尾)が、文章での欺瞞と言う抽象的な害悪を巻き散らすならば、内田先生は、「法律」と言う社会的具体的枠組みをその抽象(中傷)誹謗にあてはめて見なければならないのだ。
西尾幹二が、公の雑誌を用い行った全くに根も葉もないイメージ操作の影響は、凄まじく大きい。
これは、【思想でも言論でも哲学でもない】のである。
ただの、「嘘」なのである。
嘘つきは泥棒のはじまり、である。
法律のプロの出番は、遅かれ早かれだったのである。
◇
渡辺記者は、私の横にしばらく立っていた。
この方とは、特に会話を交わしていない。
一緒に、新田先生の話を聞くような形になっていた。
渡辺記者は背が高いので、私がやや顔を伏せると、彼の腰の部分が視界に入る。そこには、肩から伸びた腕、そして手が見える。
その手が、やや前後するのだ。
「ん?」
私は、その意味を探ろうとした。
おこがましくも、渡辺記者が、私に握手を求めようとしているのか? などとも思った。
しかし、どうやら、彼は忙しい身で、会場を走り回っている。すぐに、次の取材へと移行しようとして、そのタイミングを見計らっていたのかも知れない。
◇
新田先生は、すぐに、私の言ったことに合点して答えてくれた。
「・・・だけど、その情報公開の取捨選択が難しくてねえ^^(事実の発表で相手をあまりにも貶め過ぎてもいけない)」
「ええ・・・、そうでしょうね」とまほ氏。
かような場では、あまり込み入った話が出来ないのが難点だ。
山椒のように小粒だがピリリと辛い短い質問をぶつけることしか出来ず、その場を辞去するのだ。
もっとも、酒に酔っていなかったら、そんな短い質問さえも緊張して出来なかっただろう^^;
「では・・・」
と、渡辺記者は去っていった。
◇
「これからの健闘を期待します。応援します。是非、協力をさせてください」
私とまほ氏は、新田先生に挨拶をした。「ローストビーフの続きをお食べください^^」とも。
この後、新田先生は、私とまほ氏の先行きに連なるような言葉を言ってくれた^^
◇
「これからの健闘を期待します。応援します」
内田先生に会話の終わりの挨拶をする。
あまり、我々が先生方のこの宴の場での貴重な時間を独占するのも申し訳ない。
内田先生は、ホロ苦い笑顔を浮かべ、去っていった。
◇
私は、思った。
【「つくる会」は不条理劇の舞台だったのだと・・・】
ここで出会った若い方々・・・、全てが常識人であった。
その彼らが、「思想でも言論でも哲学でもないウネウネした不気味なもの」を、「思想・言論・哲学」と言い包められて強制的に嚥下させられようとしたのである。
その直面した悲劇たるや、言葉では言い換えられない・・・。
新田先生はまあいいのである。この方は、明るくも、左翼的暗黒との戦いに慣れている。
この大らかさは、生まれ育った環境のせいか、もしくは、八百万の神々の奔放さを学んできたからなのか・・・。
だが、若さが垣間見られる内田先生や渡辺記者、土井さんや福原さん、彼らが遭遇した「道理の、あまりにも通用しない世界」を察するに、もう、悲しみがとめどもないのである。
皆さんを見て、私が共通して思った印象に、「血色がよく、肌が綺麗」がある。
だから、その「無垢な使命感」が、「つくる会」の独裁者たちによって、踏みにじられたような思いが私に募った。
皆さん、とても明るいのが救いだ・・・。
故に、その遭遇した不条理の過酷さをも想ってしまうのだ。
・・・しかし、乗り切った。
【未来はある!】
それから、もう一つの未来・・・。
今回の「内紛」問題は、詳しく書かないが、とにかく、早稲田大学の卒業者が重要な役割を演じていることが多かった。
ある意味、早稲田大学の学内闘争が、「つくる会」内紛に色をつけ、保守論壇を揺るがしたとも言える。
早稲田大学は、日本の論壇の縮図なのかもしれない。
そして、そこここに満ちていた「明るさ」は、早稲田気質なのかもしれないと思っている。
元(?)「つくる会」事務局員の土井さんに会ったとき、その明るいイメージに、私は、早稲田大学院在中であり磐南総研会長の岩田温君を思い出したのだ。
岩田君は、残念ながら、今回、「情報選択」の貧乏くじを引いてしまった。
彼は、この問題について、かなりの(取り返しのつかない)ダメージを受けただろう。
そして、この件について、沈黙を守っている。
だが、その沈黙は、罪悪である。
間違っていれば、謝るがいいだろう。
納得できなければ、議論すればいいだろう。
このままでは、生涯、言われ続けるぞ!
君が沈黙を続ける限りにおいて、生涯、「若き精鋭」と呼ばれ続けられるだろう・・・。
つまり、五十歳になっても六十歳になっても「お子チャマ」と称せられるのだ。
未来は、なくなる・・・。
・・・。
「ん!?」とまほ氏が言った。
「八木先生が会場から出て行ってしまいますよ」
「私たちも、そろそろお暇しましょう」
私たちは、今回の「つくる会・不条理劇」の最大の受難者・八木先生の後を追った。
・・・この方、最大の受難の中で、最大の「生産的行動」を起こした方だ・・・。
(2006/08/02)