▼⑰勝岡寛次先生 ⑱種子島経前「つくる会」会長
会場を出た私は、ふうと吐息をついた。
酔ってしまったので楽しい気分で過ごせたが、なかなかプレッシャーもかかっていた。
まほきゃすとさんやMUTIさんが会場前から出てくるのが遅いので、私は、しばらく放心したようにボーッと立っていた。
そんな虚を突かれた。
会場ホテルの玄関ロビー方面より、勝岡先生と種子島前会長が連れ立って歩いてきたのだ。
私は慌てて身なりを整えて、挨拶した。
「このたびは、ご苦労様でした」
2人はゆっくりと立ち止まり、こちらを向いた。
その立ち居振る舞いが優雅だったので、私は、私を認めていてくれるような雰囲気を感じ嬉しかった。
私は、種子島さんに言った。
「<呪い組>と言うのは、絶妙なネーミングでしたね^^」
すると、種子島さん、
「そうかなぁ~」と答える。
その声が、優しいのだ。
映画『椿三十郎』で、三船敏郎が若者たちを「この、バカッ!」と叱責していたものだが、その「バカッ!」には、どうしようもない若者たちへの愛情が感じられたものだ。
種子島さんの声質には、心底、優しさが宿っている。
ここで、私は、後になって後悔するのだが、種子島さんに話を振っておいて、種子島さんに答えてもらっておいて、続いて、勝岡先生のほうに向いてしまったのだ。
それが、かようなパーティーの席での、ささやかな社交だと、その場での私は判断したのかもしれない。
だが、種子島さんは、「なんじゃ、こいつは」と思ったかもしれない。・・・すいません^^;
種子島前会長の<呪い組>云々について知りたい方は、下記のURLへ。
氏の性格が表われた素直で陽性な文章である・・・。
http://tadasukai.blog58.fc2.com/blog-entry-21.html
勝岡先生に向かって、私は、自分が何者であるかを語ろうとした。
種子島さんはネットに目を通しているとは思わなかった。
勝岡先生のネット事情は分からなかった。今回の内紛問題で、勝岡先生は雑誌『SAPIO(7/12号)』でしか反論していない。
だけども、素性の分からぬ名刺も持たぬ私は、とりあえず自分が何者であるかを語らなくてはならなかった。
・・・そして、ミスった・・・。
【『私は、ネットの方で、活躍させてもらった者です』】
一見、別段問題ないセリフである。だが、言いながら私は、とてつもなく恥ずかしくなってきた。
「な、なんで、自分で<活躍した>とかほざいているんだ、俺!?」
酔って舞い上がって、私は、おこがましいセリフを吐いてしまった。
もう、それからは支離滅裂だった。
何を話したか憶えていない。
勝岡先生は、何とも優しい笑みを浮かべた。
この笑みの理由として考えられるのは二つ・・・。
① こんな変な人物も紛れ込むんだなあ。(憐れみの笑み)
② ああ、この人がミッドナイト・蘭か・・・。(なるほど~、の笑み)
どうか、どうか、②でありますように・・・。
私は、勝岡先生の姿を「第21回つくる会シンポジウム 日韓歴史認識の共有は可能か」で見たことがある。
そこでの勝岡先生は、かなり挑戦的な姿勢を貫いていた。
小柄な方ですが、その切れ味は異常に鋭い、と言うイメージを持っていた。
だが、目の前の勝岡先生は優しく微笑していた。
やはり綺麗な肌の持ち主なのだが、その頬が、お酒を飲んだからなのかな、微妙に紅潮していた・・・。
お二人のいつもの生活は分からないのだが、その時の二人の表情には一切の「険」がなく、お二人とも、新しい組織「日本教育再生機構」の船出が無事に済んだことに一安心の心地を抱いているだろうことが感じられるのだった・・・。
・・・お二人は去り、後には、かような席での社交術を弁えず、失礼ばかりしてしまうバカな私が、残った・・・。
「この、バカッ!!!」(by三船敏郎)
(2006/08/07)
会場を出た私は、ふうと吐息をついた。
酔ってしまったので楽しい気分で過ごせたが、なかなかプレッシャーもかかっていた。
まほきゃすとさんやMUTIさんが会場前から出てくるのが遅いので、私は、しばらく放心したようにボーッと立っていた。
そんな虚を突かれた。
会場ホテルの玄関ロビー方面より、勝岡先生と種子島前会長が連れ立って歩いてきたのだ。
私は慌てて身なりを整えて、挨拶した。
「このたびは、ご苦労様でした」
2人はゆっくりと立ち止まり、こちらを向いた。
その立ち居振る舞いが優雅だったので、私は、私を認めていてくれるような雰囲気を感じ嬉しかった。
私は、種子島さんに言った。
「<呪い組>と言うのは、絶妙なネーミングでしたね^^」
すると、種子島さん、
「そうかなぁ~」と答える。
その声が、優しいのだ。
映画『椿三十郎』で、三船敏郎が若者たちを「この、バカッ!」と叱責していたものだが、その「バカッ!」には、どうしようもない若者たちへの愛情が感じられたものだ。
種子島さんの声質には、心底、優しさが宿っている。
ここで、私は、後になって後悔するのだが、種子島さんに話を振っておいて、種子島さんに答えてもらっておいて、続いて、勝岡先生のほうに向いてしまったのだ。
それが、かようなパーティーの席での、ささやかな社交だと、その場での私は判断したのかもしれない。
だが、種子島さんは、「なんじゃ、こいつは」と思ったかもしれない。・・・すいません^^;
種子島前会長の<呪い組>云々について知りたい方は、下記のURLへ。
氏の性格が表われた素直で陽性な文章である・・・。
http://tadasukai.blog58.fc2.com/blog-entry-21.html
勝岡先生に向かって、私は、自分が何者であるかを語ろうとした。
種子島さんはネットに目を通しているとは思わなかった。
勝岡先生のネット事情は分からなかった。今回の内紛問題で、勝岡先生は雑誌『SAPIO(7/12号)』でしか反論していない。
だけども、素性の分からぬ名刺も持たぬ私は、とりあえず自分が何者であるかを語らなくてはならなかった。
・・・そして、ミスった・・・。
【『私は、ネットの方で、活躍させてもらった者です』】
一見、別段問題ないセリフである。だが、言いながら私は、とてつもなく恥ずかしくなってきた。
「な、なんで、自分で<活躍した>とかほざいているんだ、俺!?」
酔って舞い上がって、私は、おこがましいセリフを吐いてしまった。
もう、それからは支離滅裂だった。
何を話したか憶えていない。
勝岡先生は、何とも優しい笑みを浮かべた。
この笑みの理由として考えられるのは二つ・・・。
① こんな変な人物も紛れ込むんだなあ。(憐れみの笑み)
② ああ、この人がミッドナイト・蘭か・・・。(なるほど~、の笑み)
どうか、どうか、②でありますように・・・。
私は、勝岡先生の姿を「第21回つくる会シンポジウム 日韓歴史認識の共有は可能か」で見たことがある。
そこでの勝岡先生は、かなり挑戦的な姿勢を貫いていた。
小柄な方ですが、その切れ味は異常に鋭い、と言うイメージを持っていた。
だが、目の前の勝岡先生は優しく微笑していた。
やはり綺麗な肌の持ち主なのだが、その頬が、お酒を飲んだからなのかな、微妙に紅潮していた・・・。
お二人のいつもの生活は分からないのだが、その時の二人の表情には一切の「険」がなく、お二人とも、新しい組織「日本教育再生機構」の船出が無事に済んだことに一安心の心地を抱いているだろうことが感じられるのだった・・・。
・・・お二人は去り、後には、かような席での社交術を弁えず、失礼ばかりしてしまうバカな私が、残った・・・。
「この、バカッ!!!」(by三船敏郎)
(2006/08/07)