『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
ここでは、気軽に読めるエントリーを記していきます^^

[報告⑨ <日本の教育再生を考える夕べ・八木先生番外篇^^>]

2006-08-04 23:37:33 | 保守の一考
▼今、仕事を終え、帰宅し、パソコンを開くと、毎度の膨大な迷惑メールの中に、閲覧者からの感想メールがありました。

 それによると、「本日の更新・八木先生篇は、シリアス過ぎるんじゃない?」とのこと。

 もちろん、「ギャグ落ち」もあったのですが・・・。

 てな訳で、ごくごく短く、その「ギャグ落ち」の概要を記そう。

   (ギャグ・エンディング)

 ・・・いや、私はあのような会場での式典と言うのは、「結婚式」しか知らないのだ。

 だから、多くの方が登壇し挨拶している横で、八木先生が一人で佇んで聞いてる姿に、どうしても違和感があったのだ^^

 横に新婦がいないのが、酔った頭では不思議でしょうがなかったのだ・・・。

     【新婦は「お色直し」かな? 私は思ったのだ^^;】

                                                     (2006/08/04)
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[報告⑧ <日本の教育再生を考える夕べ・人物紹介篇 その六>]

2006-08-04 22:01:40 | 保守の一考
▼⑮八木秀次先生 ⑯和田秀樹先生

 ・・・会場から八木先生が去っていく姿を見て、我々は、会の終わりの時間が来たことを感じ、その後を追うように会場を出た。

 八木先生は、やや、気負いが感じられつつも、見事に「日本教育再生機構」の基調となる挨拶をした。

 後になって、八木先生のプロフィールを見たのだが、44歳である。

 ・・・若い。

 それがこんな大きな会の長として、立派に挨拶をこなすのだから、見事なものである・・・。

 わりと年齢の近い私は、何なんだろう・・・^^;

 正直、これまで、やや線の薄い印象だったのだが、ちょっと首やあごに肉がついてきていて、それが貫禄となって出ていた。

 苦労の表われでもあろう・・・。

 「つくる会」会長であったことは、こうして、まだまだ前途洋々とは言いがたいが、「日本教育再生機構」の設立として結実するためには、必要な期間だったのだろう。

  <教育再生を考える夕べ>での八木秀次先生の挨拶
          (「日本教育再生機構」サイトからの転載)

 ≪■ご挨拶
          日本教育再生機構設立準備室 代表
            高崎経済大学教授  八木 秀次

 ◇レーガン政権の報告書「危機に立つ国家」の衝撃

 「経済衰退の原因は教育にある」――1981年1月にアメリカ合衆国大統領に就任したロナルド・レーガンはそう考えた。その頃、アメリカの基幹産業である自動車・製鉄・工作機械の分野で日本・韓国・ドイツに凌駕されかけていた。レーガン大統領は、その背景には教育の異常があると見て、早速、同年4月、教育関係者や有識者、政治家などからなる「教育の卓越に関する国家委員会」を組織した。そしてその後、18ヶ月にも及ぶ広範な実態調査を行なわせ、議会の公聴会を経て、1983年、『危機に立つ国家』と題する報告書を提出させた。
 「我々の国家は危機に瀕している」と書き出されたこの報告書は、アメリカでは今、一世代前には考えられないことが起こっており、国家・国民の将来が脅かされることになるだろうと、“危機”の深刻さを国民に訴えるものだった。

 ◇教育改革で国家の危機を乗り越えた米英両国

 『危機に立つ国家』が着目したのは過去20年間、アメリカで支配的となっていた教育思想だった。教育の圧倒的大部分は過去の文化・文明を正確に継承し、それを発展させることであるのに、子供たちの「個性尊重」「自主性重視」の名の下に、文化・文明の継承が疎かになっている。その結果、国家の将来を担う子供たちの学力が急激に下がり、基本的な道徳が身に付いていない。これでは国は立ちゆかない。まさに“国家の危機”であり、この危機は教育の再生によってこそ乗り越えなければならない――このような認識が示された。その後、レーガン政権は大胆な教育改革を行い、その結果、国家の危機を乗り越え、アメリカは経済を含めて再生したのだった。
 ちょうど同じ頃、イギリスでもサッチャー政権が同じく「子ども中心主義」をはじめとする左翼教育思想を教育界から払拭するための大胆な教育改革を断行した。そしてこれまたイギリスは“英国病”を克服し、見事に再生したのだった。

 ◇教育がもたらした我が国の今日の危機

 翻って現在の我が国の状況を見たとき、ちょうどアメリカでレーガン政権が、イギリスでサッチャー政権が誕生する前と近似しているように思う。親殺し子殺しをはじめとする犯罪が相次ぎ、ニート、フリーターの増大が社会問題となっている。世界に誇った国民の学力も低下が自明となり、「日本人は高貴である」と賞賛された国民道徳も、政界の腐敗、経済界の拝金主義、公務員や教員の綱紀の乱れに見られるように随分怪しくなっている。資源の乏しい我が国にとって人間の“質”の高さは唯一の資源と言ってもいいが、それが崩れようとしている。まさに当時のアメリカやイギリスと同様、「我々の国家は危機に瀕している」のである。
 その原因はやはり当時のアメリカやイギリスと同様、教育にあると考えるべきである。我が国でも怪しげな教育思想がこの30年ほどの間、支配的になっている。「子ども中心主義教育」や唯物史観・自虐史観、ジェンダーフリー・過激な性教育などに見られる解放思想が教育界に圧倒的影響力を与えている。教職員組合のみならず、今日では文部科学省や各教育委員会までもがそれらを推進する役割を果たしている。その結果が今日の状況だと考えるべきなのである。

 ◇教育再生から日本の再生へ

 そうであれば、その克服にやはり教育を変えるほかはない。怪しげな教育思想や制度を排し、代案を示して、日本の教育を大きく変える。将来の日本を担う子供たちを正しい道に導く。そして日本を再生させる。私はこの数年、このようなことが必要ではないかと思ってきた。
 もとより、それは私如き人間が一人でできることではない。多くの方々のお力を借りて取り組むほかない大事業である。しかし、幸い、私には多くの同志がおり、ご支援下さる方々や団体もある。アメリカでレーガン政権誕生の原動力となったのは「基本に返れ!」を合言葉にした父母たちの教育運動であり、イギリスでもサッチャー政権を生み出したのは教育の現状を告発する「教育黒書運動」であったが、同様に日本の教育を良くし、「美しい日本」を再興するためには、多くの方々の力を結集した私たちなりの草の根運動が必要ではないか。そうであるなら、その音頭取り、コーディネーター役をさせて頂けないか、そんな思いで皆様にお声を掛けさせて頂いた次第である。今、私は明治の初年に明治天皇が示された「五箇条の御誓文」の精神に立ち返ることを提唱したい。ここには我が国の近大教育の原点が示されているように思う。皆様と忌憚のないご意見を交換して、日本の教育を再生する大きな第一歩になれば幸いである。
                   平成18年7月27日  ≫

 会場を出る直前、和田秀樹氏が歩いていた。

 和田氏は、それまでも会場内を活動的に動いていて、何度も目についた。

 私は、『天才バカ板!』の投稿で、一度、和田論文を批判したことがあったので、まあ、それを読んでいるとは思えないのだが、顔を合わすのに気が引けた^^;

 この方、八木先生と同じ「正論新風賞」を取ったこともそうだが、顔も八木先生とどことなく似ていた。

 でも、今回、明らかに表情から受けるイメージが異なっていた。

 八木先生は、重い役割を担い、それに答えようと強い意志の表情を崩さなかった。

 舞台の脇で、多くの登壇者の話を、厳かに受けていた。

 和田氏は、軽快なフットワークで、会場内を闊歩し、多くの人と語り合っていた。

 それは、この場での役割の違いに過ぎない・・・。

 会場を出る・・・。

 そこには、八木先生が、参加者との別れの挨拶をすべく立っていた。

 実は、会の始まる前に、とある方から、「『八木先生が挨拶を交わしたい』と言っていましたので、機会があれば、是非、お話を!」と言われていた。

 だが、さすがに、八木先生は今回の中心人物である。気軽に近づく訳にもいかなかった。

 しかし、こうして、集いの最後に顔を合わす機会があって良かった。

 八木先生は、どなたかと挨拶を交わしていた。

 頭を下げていた。

 八木先生が頭を上げたとき、私はちょうど、八木先生の前に来た。

 目が合う。

「このたびは、ご苦労様でした。・・・ミッドナイト・蘭です」

 すると、一瞬だけ、八木先生は顔をほころばせた(目じりと口もとね)。

 私は、(良かった~)と安心した。

 八木先生に掛かる重責たるや、かなりのものだろうて。私如きに表情を崩せなきゃ、気持ちが休まる暇がなかろう。

 表情を柔らかくしたのは、ほんの一瞬だけだったのである。

 すぐに、キリッとした視線に戻った。神妙な視線だ。

 それでも良かった、と思った。

「これからの活躍を期待します。応援します。協力します」

 と言う、無難なセリフしか、この場では言えなかった。

 八木先生は、お互いに頭を下げたとき以外は、視線を離さなかった。

 ・・・若い方である。

 その瞳には、余裕は感じられなかった。

 これから、遮二無二、走り続けるのだろう。

 私は、伴走者になるほどの力はないが、所々の給水所で、強烈に効く栄養剤を手渡すことは出来ようぞ^^

 PS.八木先生も何か言葉を掛けてくれたのだが、私は緊張していたので、記憶が欠落してしまった・・・。
  ただ、視線を交わせたことは大きい。この方は【理不尽にはけして屈しない男だ】。

 PS・2.『諸君!(9月号)』の巻末には、読者の投稿扱いで、八木先生の西尾妄想文章(同誌8月号)への「事実訂正文(反論ではない。そもそも、西尾先生がもはや論理を捨て去った嘘の垂れ流しを行っているのだから・・・)」が載っていた。
 その短い文章は、逐一、西尾幹二のついた「嘘」への「事実」の提示であった。
 八木先生、かような文章を書くのは辛かろう。
 西尾先生のその場その場の【思いつきの妄想】にも、それが公で発表されている段においては、自らの労苦として弁明しなくてはならないのだから・・・。

 ・・・なんで、異常者(左翼)を糾弾する勢力の中で、このようなキチガイ沙汰が起こってしまったんだろう・・・。

 それは、八木先生が、そして、私でさえもが同じように抱く、西尾幹二への感想だ・・・。

                                                      (2006/08/04)
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