☆かなり凶悪で面白かった。
ピエール瀧演じる死刑囚が、殺害について、自分等に指示を出していて、だが、のうのうと娑婆で暮らしている男を許せないと、獄中からジャーナリストへ告発することから物語が始まる。
陰で殺人の糸を引く男をリリー・フランキーが演じ、
偏執的に事件を追及するジャーナリストを山田孝之が演じる。
残忍な実行犯の死刑囚を「剛」とすると、それを教唆する男は「柔」に見え、悪度において、果たして「柔よく剛を制す」などと言う結果に至っていなかったのが、この作品の凄味か。
ましてや、ジャーナリストが、周囲の者(家族)を顧みず、事件追及に猛進する様は、それこそが、罪に問えぬギリギリの不作法でもあろうともいう様相を呈す。
そのジャーナリストの「被害者(家族)」にとっては、ならば、この「生き地獄」から脱したいと願わざるを得ず、ジャーナリストこそが「凶悪」にも感じられよう。
リリー・フランキー演じる木村は、主にターゲットに老人を据える。
資産家ならば、その死による直接的な利益を得ようと画策する。
貧しい者ならば、多額の保険金を掛けて殺害、その受けた金を我がものとする。
この、木村による老人への加害の図は、
山田孝之演じるジャーナリスト・藤井の母親が痴ほう症で、その処遇を決断できず、妻(池脇千鶴)に苦痛を強いているのと対を為す。
ピエール瀧演じる須藤が、これまた信じられないような陰惨な殺害を行ないまくる。
そこには、惨劇の一歩手前の喜劇性さえ現われる。
木村は、それを眺めつつ、飄々とした、言い知れぬ闇を瞳に宿し、「僕にもやらせてよ^^」と、老人に虐待をし、死に至らしめる。
この人…、「そして父になる」での演技とともに、今年の日本の映画賞を総舐めにしなくちゃおかしいぐらいの「表情」の数々だ。
須藤は、事務的に殺害をこなしていく。
そして、藤井は、老いた母親への無関心を、仕事に没頭することで逸らそうとしていく・・・。
いや、ここでは、さすがに、藤井の行いは、木村・須藤の悪逆非道に比せるものではないのだけれど、作り手が、その対比を醸したのはわかる。
須藤が、「殺す」の意で「ぶっこむ!」と言うのが面白くて、『アウトレイジ』の「この野郎・バカ野郎!」みたくギャグみたいに言ってみたいのだが、相手にニュアンスが伝わりにくいのが惜しい・・・。
(2013/10/03)