☆・・・神戸殺傷事件さえも現在ととらえつつ、この間の川崎の中1殺人事件や、そのフォロワー、また、なんか連続した佐世保の事件や、タリウム、尼崎や北九州の事件など、凶悪犯罪はあげていったらキリがない。
マスコミでは、昨今の凶悪犯罪の「激増」を嘆かわしい、憂慮すべき事態と報道する。
保守派の一部は、「ああ、昔はよかった・・・」と呟く。
私も、それでいいと思う。
だが、それに対し、条件反射的に、「犯罪率や犯罪件数は昔と変わってねーよ」と正論めかして言うやつらが、ネット上に多く見られる。
それは、あまりにも、状況認識に欠けた発言で、凶悪犯罪を糾弾するマスコミに対し、常に、用意していた「犯罪率や犯罪件数は昔と変わってねーよ」のセリフを言う段においては、もはや、「思考停止」と言うほかない。
単純に数字の問題ではない。
簡単に言うと、凶悪犯罪を取り巻く「TPO(Time、Place、Occasion)」が全く違うということだ。
私は、「進歩主義者」ではないが、社会が、歴史とともに変化しているのは認識している(だから、私は「判例」というものを忌避する。これについては後日書く)。
それは、一進一退の側面もあるし、プラマイでは、弱者への負荷に向かっているものさえあると考える。
だが、私は、おおむね良き方向に向かっている、良き方向に向かおうと努力している、と思っている。
歴史は、そうして蓄積される。
超簡単に言うと、高度情報化社会、超高度行政管理社会の「現在日本」の中で、・・・その認識を広域的に持って生活する日本人の中にあって、昨今の凶悪犯罪は、やはり、憂慮する凶悪犯罪の「激増」なのである。
何度か言ったことだが、例えば、女児が誘拐殺害されたとする・・・、それが報道されての、社会に与えるショックは、これまでの歴史上の比ではない。
自分らが信じている、というと語弊があろうが、自分らがおおむね平安に暮らしている法治国家の中での異常犯罪は、その振り幅の差は大きい。
多くの日本人が、その事件の「被害者」とまでなってしまう。
凶悪犯犯罪の極大化といえよう。
情報の受け手の、心の認識の問題ともなり、・・・そう、昨今の凶悪犯罪は「増大」「頻発」「凶悪化」の一途を辿っているのである。
(2015/06/16)