『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
ここでは、気軽に読めるエントリーを記していきます^^

[映画『横道世之介』を観た(試写会)]

2013-02-05 22:46:20 | 物語の感想

☆ワーナーマイカルでの試写会が当たったので観て来ます。

 この作品の時代背景、私の青春と見事に重なっています。

 また、私は、主演の高良健吾のような容姿、そして、おそらく、作品で示される世之介のような性格の親友を、数年前に失っている。

 多分、泣いてしまうでしょう。

 ・・・観終えて帰宅したら、感想をこの後に続けます。

   ◇

 いい映画でした。

 今から四半世紀前に、都内の大学に入学し上京してきた、屈託ない若者の青春の輝きを、あますところなく伝えてくれる作品でした。

 ちょうど舞台設定が、私の学生の時期と重なり、また、主人公・横道世乃介が入学するのが法政大学だったので、私の人生とドンピシャでした。

 あの時代の、他の学校と比べても、特に変わっていた法政の雰囲気もよく出ていました。

 法政には「学館」と言う、生徒の自治が許されていたいかがわしい九龍城みたいな建物があり、そこには各種サークルがひしめいていて、その雰囲気も部分的に出ていましたね。

 私は、もちろん、世乃介のような純粋なタイプではなかったけど、他者との交流に、不器用ながらも躊躇なかった。

 世乃介の青春は、私の青春でもあった。

 原作が有名らしいが、この作品の原作を物語として成立させるのは難しいだろう。

 スジだけを追っても意味がなく、細やかな時代のギミックと、膨大な青春のギミックに彩られていることこそが肝であるので、それを文章で表わすのは可能であったのかと疑問に思う。

 構成は、私のフェバリットな作品の一つ、フランス映画『冬の旅(アニエス・ヴァルダ監督/サンドリーヌ・ボネール主演)』と同じ構成である。

 現在において不在の人物を、現在に生きる者たちが、その記憶を探る中で浮かび上がらせていくというものだ。

 この1985年の作品『冬の旅』は、私の人生を変えた一作でもあり、

 『横道世乃介』の原作もこの構成ならば、おそらく、作者は、『冬の旅』を観ているのではないだろうか。

 また、クライマックスでは、現在に生きる世乃介の彼女(吉高由里子)が、かつての彼氏の不在を思い、タクシーに揺られながら、その窓から、かつての自分たちが町行く姿を垣間見ると言う、現在と過去が交差するシーンがあるのだが、

 ここも、私のフェバリットな作品『トト・ザ・ヒーロー(1991年/ジャコ・ヴァン・ドルマル監督)』のクライマックスのシーンを髣髴とさせる。

 今、作者について調べたら、私と同じ年齢で、母校も同じだった。

 多分、同じものを見聞きした人生である。

 ただ、世乃介と同じく長崎から上京してきた作者と異なり、

 私は、東京都下で育ってきていた。

 だが、私には、二人の若者の親友がいた。

 一人は長崎出身で、外見が高良健吾と似ていた。

 やや恥ずかしがり屋であったが、最終的には、私のバカさ加減に打ち解けた。

 はにかみながら、「田舎では、『わい』『おい』などと、自分と相手を呼ぶんですよ」とか教えてくれた。

 もう一人は、北海道の小樽出身の若者で、その他者の生活へ屈託なく介入していく様と、天然な性格が世乃介そっくりだった。

 こいつは、数年前に死んでしまった。

 私の最後の親友だった。

 『横道世乃介』を観ることは、私にとって、青春をまさぐる経験でもあった。

 法政大学そのままの教室が舞台ともなっていた(冒頭の入学説明会のシーン)。

 私の童貞喪失の相手との関係は、この教室で、私が時間を聞いたことにはじまった。

 テストを早目に終えた私が教室を出ると、その子が、エレベーター待ちの踊り場に走りながら追いかけてきたのだ^^

 バイトの舞台のホテルは、京王プラザであろう。

 私、ずーっと皿洗いのバイトをしていたのだ。

 この映画は、その、世乃介のなんとも言えない「挙動不審」な動きも含め、私の青春を表わしている。

 世乃介は、どうやら、死んだらしい。

 私は生きている。

 「青春」てのは死んでおらず、どうやら、思い出してもらえるのを待っているらしい。

 描かれる25年前の町並みさえも、とても愛おしく、胸が、世乃介に、ギュギュギュッと押される思いだ・・・。

 登場人物の些細な言葉のやり取り一つ一つがリアルだ。

 世乃介が、彼女と、なんで別れることになったのかを考えると悲しくなる。

 高良健吾は、見事に、愛すべき役柄を演じていた。

                                          (2013/02/05)

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[河野洋平・・・、こいつ、確か、既に引退しているんだよなぁ。]

2013-02-05 16:47:31 | 保守の一考
☆またぞろ、鳩山のようにうろちょろしだしたなぁ。

   《河野洋平氏14日に訪韓 次期大統領と会談も (産経 2013/02/04)》

 <【ソウル=黒田勝弘】慰安婦問題で過去の「官房長官談話」が問題になっている河野洋平元衆院議長が14日、ソウルで開催される国際フォーラムに出席し特別講演をする。朴槿恵(パク・クネ)次期大統領とも会う予定だ。慰安婦問題で日本による強制性を認めた「河野談話」は、韓国をはじめ国際的に日本非難の最大根拠になってきた。韓国での発言に関心が集まっている。
 この国際フォーラムは「韓日未来の道を問う」と題し韓国のソウル新聞と日本の東京新聞・中日新聞が共催する。
 日本側からは寺島実郎・日本総合研究所理事長や渡辺博史・国際協力銀行副総裁らが、韓国側からは柳明桓(ユ・ミョンファン)元外相、朴●煕(パク・チョルヒ)ソウル大日本研究所長らが出席し公開で行われる。
 中国との間では先ごろ鳩山由紀夫元首相が訪中した際、尖閣諸島を「係争地」と発言し問題になっている。安倍晋三首相はかねて「河野談話」に疑問を表明し、これが韓国では官民挙げて非難の対象になっている。韓国世論は河野氏に安倍氏批判を期待している。
 平成5年の「河野談話」は戦時中の日本軍関連の慰安婦について「強制的な状況下」で「総じて本人たちの意思に反して行われた」とし「おわびと反省」を表明したものだ。
 日本政府はその後、官民共同で「アジア女性基金」を設置し一部の韓国人当事者(61人)には“償い金”を支給し、改めて「謝罪と反省」の首相書簡を伝達したが、韓国側は納得せず現在に至っている。
   【用語解説】河野談話
 平成5年8月、宮沢喜一内閣の河野洋平官房長官が発表した談話。慰安婦の募集について「官憲等が直接これに加担したこともあった」などという表現で、日本軍などによる強制連行があったとする内容になっている。閣議決定はされていない。
                       ●=吉を2つヨコに並べる   >


 何を語ることやら・・・。

 こいつは引退したけど、その息子の太郎やら、自民党には、まだまだ、保守党としては奇っ怪な人物が多数いる(奇っ怪なヤツだけの集まりが民主党)。

 今は、安倍総理の押せ押せムードだが、なんのキッカケで、状況が左寄りに悪化するかは分からない。

 この、河野洋平という人間の「河野談話(妄想)」が、どれだけ韓国人を狂喜させ、史実を歪めたかは分からない。

 こいつは、媚び媚びの親中派である。

 今回は、半島に出向いて糞尿のような言葉を垂れ流すようだが、これは、考えるに、先の、中国に出向いた鳩山由紀夫の「尖閣は日中の係争地」発言とリンクしていよう。

 中国・半島・ロシアは、領土問題や歴史認識問題においては日本包囲網を引いている。

 親中派の河野洋平・・・、「2ちゃんねる」風に言うと「紅乃傭兵」が、中南海(ちゅうなんかい)の指示で半島に出張るのことになったのは歴然。

 いちお、こいつは「ハト派」などと言われ、「ものは考えないのに戦争と名が付くものには条件反射で反対の人たち」には重宝されているようだが、

 「親中派」と言うのは、世界一の野蛮民族の中国にシンパシーを感じている時点で、最も「タカ派」ってことなんですよ。

 これは何度も書いていますが、最悪の事象に、こういう順列があります。

   (悪の順番) 1・虐殺 2・テロ 3・戦争

 アメリカは、戦争国家として世界中から文句をぶつけられていますが、戦争には、当事者国に同等に闘う権利は認められています。

 テロは中東諸国に顕著ですが、弱者の、ささやかな反攻の側面があります。

 虐殺は、中国の常態で、虐殺の憂き目にあっている中国の人民や周辺各国は、戦う権利も、もの言う権利も剥奪されて、残虐に、今もって殺され続けています。

 その犠牲者数は、数億人に迫る。

 こんな国にシンパシーを感じる日本の政治家や組織が「ハト派」のわけないじゃん!!

                                            (2013/02/05)
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[AKB:恋愛禁止のセックス許可ルール(巫女は処女だが?)]

2013-02-05 11:02:12 | 保守の一考
☆語れば取り込まれちゃうので、よっぽど、二度とAKBについては語らないようにしようと思っているんだけど、また書いちゃう・・・。

 実体のない人気なれど、多くの人がそれに覆われた時、それもまた経済効果(人気)なのだろう。

 究極のステルス・マーケットの帰結だ。

   ◇

 ・・・で、峯岸みなみの丸坊主謝罪だ。

 いや、あれは、さすがにインパクトあった。

 動画まで見ようとは思う趣味は持ち合わせていないが、スポーツ新聞などで見て、目が釘付けになった。

 不謹慎だし、詳しく書かないが、「強制収容所」を連想してしまったし、

 その表情の生々しさが、なんとも、やはり、私がカンボジアのトゥオルスレン虐殺博物館で見た犠牲者の写真の数々と重なってしまった。

 見せちゃダメなものを、最大限の効果を生むとして公に発表した時点で、それは、謝罪ではなく見世物と化してしまうことに気づかないのか?

 なんか、この謝罪について、多くの人が色々 語っているけど、みんな踊らされているということだ、私も含めて・・・。

 まあ、峯岸みなみとしては、それで許して貰おうと思っているのだろうけど。

 それから、AKBの「恋愛禁止ルール」なんだけど、

 これって、そもそも、本来は、「アイドルとしてのスキャンダルを避ける」意味だったと思うんだよね。

 それを、ファンに媚びて、「私たちは、あなたたちのものだから恋愛はしないのです」としたもんだから、綻びがどんどん広がっている。

 そもそもが「恋愛禁止ルール」は「自分たちのルール」でしかない。

 自分たちの勝手に決めたルールを、自分たちが勝手に破って、公(おおやけ)で勝手に謝罪して、ファンは、それになんだかんだと準じるしかしょうがなくなる・・・。


 もっとも、アイドルとしては、やはり、恋愛は避けたほうがいいだろう。

 だが、それは前提条件としてはあれど、強制事項ではあり得ない。

 そこに、AKBを辞めなくちゃならないみたいな強制を付加したから、今回のような、なんかきっついパフォーマンスを生む。

 そもそもが、「アイドルとしてのスキャンダルを避ける」意味で生まれたルールであるからして、「スキャンダル」にならなければいいのである。

 実際、AKBで、男と外泊などをして週刊誌にスッパ抜かれて後も、辞めずに済んでいるメンバーも多数いる。

 そのメンバーは、かなりのスタッフを擁するまでの人気(?)を経ていて、マスコミは、そのスキャンダルを大きくすることが、マスコミ全体での経済効果を減じることになると判断し、「何事もなかった」かのように終息していくのだ。

 本来は、その「恋愛禁止ルール」は厳守されなければ、あんなにも喧伝しても回る意味はないんだけどね。

 別に、周囲が決めたルールでなく、自分らサイドが決めたルールなんだから。


 うちはテレビがないし、AKBも好きではないので、本来は誰が誰だか分からないのだが、それでも、メンバーの名前はそこかしこで聞き、心の中のカウンターにそれぞれの名前が加算されていき、誰が人気なのかちょっとは分かる。

 峯岸みなみは、準人気で、今回のスキャンダルに対してのスタッフ耐性は微妙な点があろう。

 だから、あそこまでしなくちゃならなかったんだな。

 しかし、だったら、なんで、外泊デートをしちゃったんだろうね。

 自分の抑制を効かせることができず、自分の属する組織体のルールも守れず、「バレなきゃOK!」で、バレたら、丸坊主にして謝罪たぁ、こりゃのんきなものである。

 てゆーか、もしかして、AKBと言うのは、恋愛は禁止だけど、肉欲は許されるのかもしれない・・・、と、ふと思った。


 可哀想なのはファンだよな。

 なんか、総選挙とかで能動的に活動し、あたかも自分が「推しメン」とともに活動しているような心地になりつつ、でも、お目当ての娘は、自分らの知らないところで楽しんでいる、と言う・・・。

 そして、そこから、AKBファンてのは屈折していくのだけど、

 AKBファンは、スキャンダルが発覚した後、それを信じないと言う姿勢になるのではなく、

 それを受け入れて、なお、ファンとして居続けるんだよなぁ。

 なんか、これ、いい話のようでいて、不気味な話である。

 不気味な目つきなんだろうな。

 イメージとして、鳩山由紀夫みたいの・・・。

 昔は、そんな、洗脳を受けたような盲信的なアイドルファンはいなかった。

 いや、盲信も出来た・・・、それは、アイドルのほうが自分を厳しく律していたからだ。


 アイドルのファンなんてのは、自分の恋愛観の一端を相手に投影するものだと思っている。

 そのアイドルが、自分の願い描く「恋愛対象像」を逸脱した時、

 何らかの、「キミと僕」社会においてのリスクは背負わせてしかるべきだと思うのだが・・・。

 ・・・もう、私の常識は通用しないのかね・・・。

 私は、ベーシックとしてのアイドルに必須なものは「処女性」だと思うよ。

 もちろん、世の中には例外が多数あるが、例外を前提としたアイドルはアイドルじゃなかろう・・・。

 いちお言っておくと、AVアイドルは「AVアイドル」で、アイドルとは別ジャンルだよ。

   (関連投稿)・・・[ねっ? 似てるでしょ・・・。AKBとJKリフレ]

                                           (2013/02/05)
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[映画『 アウトロー』を観た]

2013-02-04 23:38:27 | 物語の感想

☆おそらく、トム・クルーズ、自分の年齢に応じた、ちょいと現実感のある役柄へ自分を向かわせようとしているのだろう。

 思えば、多くのスター俳優が、荒唐無稽のスーパーヒーローシリーズに一段落ついた後は、アクションはアクションでも、やや、人間臭いものへのシフトをしようとしているのか。

 記憶に新しいのが、キアヌ・リーブスの作品で、『フェイク シティ/ある男のルール』など、その流れであろう。

 スタローンなども、これを目論んだ節があるが失敗、コメディなどに挑戦も失敗、結局、俺はこれしかない! と『ロッキー』『ランボー』路線をひた走ることにしたようだ。

 さて、この『アウトロー』だが、何で邦題をそうしたかについては疑問があるのだが、作品自体は、かなり面白かった。

 最初に、ショッキングな、市民無差別射殺の銃乱射事件が起こり、完全なる証拠で固められた犯人が挙げられる。

 容疑者は黙秘し、ただ一文「ジャック・リーチャーを呼べ!」と紙に記す。

 このジャック・リーチャーこそが、トム・クルーズである。

 もっとも、ジャックは、お呼びが掛かる前に、全国区のこの事件をニュースで知り、自ら出向いてくる。

 この男、元陸軍の内務調査の捜査官で、容疑者は、その手腕を知っているからこそ、自分の窮地に真実を探ってくれるのを期待したのだ。

 このジャック、なんか面白いのである。

 自分の社会的な証明を求めておらず、免許証もカードもケイタイも持たず、故に、車などを持てず、移動は専ら長距離バスである。

 軍人として、各種銃器の使用にも優れているのだが、デタラメに無敵なわけではなく、敵に後手を取ったりもするが、いざ、格闘が始まると、敵の急所を的確に衝く、・・・が、移動はバスである^^

 そのジャックが、容疑者の弁護士の女と、この事件の調査に挑む。

 肉体派のようでいて、着実に捜査を進めていくジャック、その姿は、ちゃんとディテクティブ・ストーリーとして成り立っていて、非常に面白い。

 トム・クルーズは、お得意のすっとぼけた演技で、その美人女弁護士へレンと自分の滞在するモーテルの部屋で打ち合わせをした後に、「さあ、俺は寝るとするよ。君も、さあ」と両肩を抱く。

「ちょ、ちょ、待って!」とへレンが慌てていると、ジャックは、そのヘレンの体を出口のほうに向けるのだった。

 私は、そのヘレンの勘違いの姿が、妙に可愛らしくてニヤニヤしてしまった。

 それから、もう一人、これは本当に可愛い娘が出てくる。

 残念ながら、悪の犠牲になるのだが。

   ・・・アレクシア・ファスト。目尻と口角に個性が宿る。

 敵の黒幕は、シベリアで地獄を見てきたらしく、言葉だけは、なかなか闇を醸すのだが、実際には何らアクションを起こさずに座っていただけで、どうとでも取れるキャラであった。

 クライマックスは、ロバート・デュヴァル演じる老人に助っ人を頼んでのウェスタン仕立ての敵地へのカチコミ(私、『007:ロシアより愛をこめて』の中盤の撃ち合いを思い出した)、

 トムは、途中で自分の得物であるサヴァイバルナイフを落としたりするおとぼけをしつつ、簡単に勝っちゃいます^^

 あああ、カーチェイスは、結構 手強かったのになぁ^^;

 そして、能書きたれる敵の黒幕も、躊躇なく撃ち、流れ者は去っていくのでした・・・^^;

                                           (2013/02/04)

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[映画『ベルセルク 黄金時代篇III 降臨』を観た]

2013-02-02 17:45:59 | 物語の感想

☆・・・ちょ、ちょっと、皆さん、うん、おっぱいなんですよ、お・っ・ぱ・い!!

   ◇

 ・・・インフルエンザに掛かってました。

 二日間、本当に身体が動かせなくて、頭もボーッとして、辛かった。

 三日目の昼に、やっと、「ハァハァ」言いながら、マンガを読みました。

 読んだのが、『ドリフターズ』と言う作品で、とある組織の制服に身を包んだ女性が出てきて、その巨乳を織田信長が掴むんですよ。

 それだけで、なんか、病気が凄く癒されました。

 うん、おっぱいなんですよ。

 頬の赤らめなんですよッ!

   ◇

 うん、おっぱいなんですよ!(しつこいか!?)

 まだまだ、長時間の外出は辛い中で、ヒゲ面で、足元をふらつかせながら、マスク二重で行って来ました。

 (先ずはこちらを読んでおいて)

   [映画『ベルセルク 黄金時代篇I 覇王の卵』を観た]・・・クリック!

   [映画『ベルセルク 黄金時代篇II ドルドレイ攻略』を観た]・・・クリック!

 そして、いよいよ、「蝕」がはじまるのです。

   

 なんか、物語は、すっげえ終幕を迎えることになります。

 マンガでも凄いシーンですが、画面の隅から隅までの魔物が動き回る中での「蝕」!!!

 ・・・でも、その前に、おっぱいについて書かせて下さい。

 今回は、シャルロット乙杯はなく、メインはキャスカ乙杯で、スラン乙杯も楽しめますが、「食男乙杯物(食虫植物のモンスター版)」も楽しめます。

 これまでのシリーズで、グリフィスを間に挟んだ愛憎入り乱れで反目をしていた、主人公ガッツと、鷹の団の現リーダー・キャスカの間も次第に距離を縮めていた。

 このブログを読んでいる方は、このキャスカの容姿が、私の好みに近いことはお分かりかも知れないが、でも、物語上では、別格の精彩を放つまでにはいってなかった。

 しかし、この黄金時代シリーズ完結篇に至っては、その冒頭から、キャスカは艶っぽさを放ち出す。

 驚くは、そのヒップラインで、剣士の格好に身を包みつつも、プリップリの様相を呈す。

 装束には、女らしいピンク系の色が混じり、なんか、可愛い^^

 私は、無性に、エヴァ8号機を思い出したんだよね、しなやかなフォルムといい。

 名前を忘れたけどアサシン集団を相手に、あくまでも気丈に鷹の団を指揮する姿もいい。

 危機一髪の時に、助けに現われるガッツ。



 かくして、急速に、距離を縮めるというか、一体化する2人・・・、つまり、セックる。

 こんな静(せい=性)の画面なのに、画面は、異常な精緻さで動き回る。

 ガッツの腰もちゃんと動き回る。

 脚本は、勝気なキャスカが「バカ」しか言わなくなるのだが、その「バカ」の意味合いが次第に変化していく妙。

 キッス。

 その事実を確かめ合うように、濃厚なディープキッス。

 飛沫が水蒸気のように舞う滝の前・・・、燦々と降りそそぐ太陽・・・、深き緑のふところに抱かれ・・・、と言う絶妙のシチュエーション(仲間は誰も様子を見に来ないのかよ^^)。

 無敵のガッツも、少年のような目で戸惑いつつ、キャスカも、そんなガッツに安心しつつ戸惑い、ガッツが、「牛乳瓶底メガネの博士が、大型コンピューターの計器のダイヤルを回すかのよう」に、キャスカの乳首を摘まんでクリクリしますれば、声を上げて、瞬間、頬に赤みを加えます。

 おお、この方向性でいいのか? ガッツは安心し、キャスカの褐色の中にピンクのポッチの浮かぶイノセントな胸を揉みしだく。

 その後、ガッツは、妙な所作をするんだよなぁ。

 なんか、お互いの下半身を見て、「こっちは?」てな表情をする。

 キャスカも、首を傾げるのだが、すぐに頷く。

 そして、一つになる。

   ◇

 原作だとどうだったか忘れたのだが、二人が結ばれ、幸せに包まれているとき、にわかに冷気がその場を支配し、髑髏の騎士が現われる。



 これも原作ではどうだったか忘れたが(インフルなので、本棚を漁って確かめるパワーがないのだ)、冒頭のアサシンの登場といい、大きな「ベルセルク」サーガへの布石でもあるのか。

 もっとも、髑髏の騎士は、「蝕」の最中に、重要な役割を示す。

 また、これは、テーマを搾った結果だが、少年グリフィスが、山の上に立つ城に自分の目標を定めるイメージが、限られた映画の尺の中で、何度も繰り返される。

 そして、ガッツとキャスカの2人の愛の確認としての穏やかな自然の描写も、丁寧に描かれている。

 こちらは、前半の、一つになる至上の愛の姿・・・、

 後半の・・・、なんて言えばいいのか・・・、犠牲の末の目標の成就、という悲劇の姿との対比があるのだろう。

   ◇

 鷹の団によるグリフィス奪還は成功する。

 しかし、そこには、かつての颯爽としたリーダーの姿はなく、ただ、身も心もボロ切れのような姿があるのみだった。

 そして、小さな、でも重要なエピソードが丹念に積み上げられ、物語は終局の「蝕」へと向かう・・・。

 いまだ、心に、夢への種火が消えていなかったグリフィスは、自由の利かぬ身体で馬車を操り、川に転落する。

 そこで、川の底から、失くしたはずの<ベヘリットの卵>を手にする。

 それが、「時(とき)」だった。

 太陽は翳り、大地は、大地であってデスマスク(生きてるけど・・・)の敷き詰められたフィールドと化す。

 その上には、いつしか、魑魅魍魎が蠢き出す。

   

 大気は瘴気を伴ない、フィールドは起伏を深くしていく。

 そこでは、ガッツを含めた鷹の団を生贄とした「カニバリズム・カーニバル」が始まる。

 みんな、叫び逃げ惑うも、魔物たちの爪や牙で殺され、クチャクチャと喰われる。

 コルカスだけは、美女に偽装した女の乳房にうっとりしながら喰われるので、多少は幸せか。

 そこには、4人の、禍々しき「守護天使」が飛来している。



 ここでは、その一人、スランについてちょっと書く。

 巨大な女の姿をしている。

 今作の最初のほうで、魔が跋扈し始めた象徴として、このスランが森を進んでいく図もすでに見られる。

 ハーフのような、ねっちりとした口調で、声優の沢城みゆきが好演している。

 チンチンがねっとりとした粘液で覆われるかのような、湿度の濃い後を引く声なのである。

 このスラン、原作では、この、かなり後に、決着をつけるかのようなハードな戦いをガッツとするんだよね。

 大きな悪魔の翼を背負っているが、基本、全裸であり、興奮すると、自分で自分の乳房を揉みしだき、舌舐めずりする。

 エロいんだけど、次元の違う状況に、私は呆然と見るしかなかった。

 ちなみに、スランは淫魔で「胎海の娼姫(はらわだのしょうき)」などの異名を持つのだが、確か「闇の子宮」などでガッツと戦ったと思うのだが、

 この名前、私、カンボジア・アンコール遺跡の、王の沐浴の池の名前を思い出すのだ。

 その「スラ・スラン」は、仏教寺院であるバンティアイ・クデイと隣接していて、まあ、カンボジアのヒンズー寺院ともども、その創世神話「乳海攪拌」の図なんかが石壁のレリーフに彫られていたりする。

 ・・・いや、ちょっと連想しただけだ。

 ただ、性的な生殖行為が、ネーミングを通し、創世神話「乳海攪拌」へと繋がるというのは、このような流れが好きな人には、ちょいと面白いかも^^(なあ、佐藤秀さん!!^^)

 ましてや、「蝕」は、「神を生み出す儀式」であるからなぁ。

 鷹の団を生け捕りに捧げるのは、グリフィスしかいない。

 この物語は、グリフィスの葛藤の物語でもあるのだが、あまりにもガッツの苦悩が派手で分かりやすいので、グリフィスの苦悩は、その被虐待の構図も考慮しつつも、やはり、あの「(魔に鷹の団を)捧げる」宣言に至る思考の流れは理解が難しい。

 私が甘いのだろうし、「守護天使」の思考回路に同調しろというほうが無理な話でもある。

 だって、なあ、その直前に、崖から手を滑らせたガッツを、全く身体の自由が利かない中で、グリフィスは助けようとさえしてるんだからなぁ。

 にもかかわらず、守護天使が一人「闇の鷹・フェムト」として新生したとき、グリフィスは、ガッツの目の前で、キャスカを犯しまくる。

 男勝りでならすキャスカが、ただの「女」記号体として、前から後ろから突かれ、、そして、ガッツに見られながら、グリフィスとつながりながらのディープキスと、身も心も蹂躙される。

     ・・・TV版の映像か?

 このシーンだが、多くの若い人には衝撃的なんだろうけど、今の私には、それ程の苦痛はない。

 歳とったのかも知れない。

 昔、西村寿行の小説では、こんなシーンが日常茶飯事だった。

 読むごとに、怒りと、切なさと、♪心強さと~、でチンチンを熱くしたものだ・・・。

 今じゃ、それは所詮、身体だけの問題として認識する。

 だからこそ、行為中の躊躇いのないディープキスのほうが、かえってきつくはある・・・。

 ・・・しかし、つくづく、ガッツの身体は丈夫過ぎる。

 いわゆる、簡単にゃ死ねないぞ、と言うやつである。

 犯されるキャスカを前に、魔物に手を咥えられ身動きできないガッツは、自分の腕を、あたかも大木をナタで削るかのように切断する。

 ヒョロヒョロっと、切られた神経が所在無げに宙を舞う描写に、思わず身の毛がよだった。

     

   ◇

 すぐに、次のシリーズの製作に取り掛かって欲しい。

 何年後でもいいから、<ファンタジア>の世界を見せて欲しい^^

                                            (2013/02/02)

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