懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

岡山の茅葺民家写真展 - 60   こりゃあ古い  その3

2014年12月04日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県勝山町星山

星山は20戸ばかりの小さな集落だ。星山という1000メートルを少し越える山の麓にある。酪農や狭い田畑で農業で暮らしている。そこに8軒茅葺き民家があった。
日本の名瀑百選に選ばれている神庭の滝の上流部になる
この集落の横を流れる小川に沿って道がある。
これをどんどん下っていたら突然川の流れが消えた、
風景もどこにでもある田舎の風景から前方が開けた風景に変わる。
あの一連の変化をビデオで撮ると面白い。
一瞬川も道も消えるとおもうが道は岩壁から太い三角金具が出ていて吊られている。
滝になるようなところの岩石は堆積岩で脆い岩である。今も崩落が続いているとおもう。

世間から隔絶した集落で何回も通うか1日いて撮影するといい風景が撮れたと思うが私の撮影は気ぜわしい撮影だった。

岡山の茅葺民家写真展 - 59   こりゃあ古い  その2

2014年11月30日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県奥津町

奥津町は苫田ダムで水没するところもあり最初に撮影を始めたところである。
茅葺き民家も残っていた。
いい光景は沢山あったが撮り方に根性が入っていない。
二枚ほど撮って終わりである。持っていくフィルムの数も少なかったのも一因である。
手探り状態で始めた趣味であったのが情熱のない写真になったのかもしれない。

長い時間使われてきた民家には味わいがある。
綺麗な民家もいいが、朽ちるまで生きてきた民家には鬼気迫るものがある。いつ取り壊されるのかわからない。
今撮らないと次に来た時は姿を消す事も多い。

鬼気迫る民家に出合うとつくづく茅葺きを撮って良かったと思う。
蒸気機関車もそうであるが心の琴線に触れるものを見つけることが趣味をやる上で一番大切である。本人が感動しない物を他人に見せても他人は感動しない。


岡山の茅葺民家写真展 - 58  こりゃあ古い  その1

2014年11月22日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県勝山町古々呂尾中

今回から三回にわたり「こりゃあ古い」を投稿します。

勝山町のこの一帯の集落はほとんどが行き止まりの道である。背後に深い山が控えている事もある。大きな平野もなく川筋にわずかな集落が続く
こんなところには何十年も変わらない風景のままで残されていることがある。
私が訪れたのは平成になってからだが20年前の昭和の風景のままだった。

人は民家が時間の長さと風雪に耐え残る姿に感銘を受けるものだ。
よくぞ今まで残ってくれたという思いが募る。
こんな風景がいくでもあった時代に気づきもしなかったのに無くなる頃にやっと気づいた嬉しさもあった。
この民家に出合って凄く感動したのを覚えている。
お爺さんの一人暮らしであった。
留守で話が出来なかったのが残念だ。
しかし、そんな集落も10年もすると高齢化、過疎化も進み最初の面影は消えていった。


岡山の茅葺民家写真展 - 57 めわらの乗る屋根 その3

2014年11月18日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県賀陽町

めわらの乗った屋根の最終回、昭和48年に撮影した清音村の茅葺き民家にはめわらが乗っていた。メワラの乗った民家はどこ範囲にあったか昔の写真を参考に調べてみたいものだ。
昭和40年代ならば茅葺き民家は沢山残っていたと思う。
田舎の集落もそれなりに維持出来ていたと思う。しかし、人々の生活が豊かになり農業所得だけでは暮らせなくなった。
家の持ち物を撮った写真集がある。東京は住むところは狭いが電化製品などは沢山もっている。中国の山間部の暮らしは貧しく電化生活はほとんどないが生活は豊かで満足していると言っていた。10年後、中国の山地にも文化的な生活が押し寄せた。電化製品も生活に入ってきた。同じ人に今の生活を聞いたら不満だという。金を稼いでいい暮らしをしたいという。

私が撮影した集落はいまはどうなっているであろうか地方創生と言っているが地に着いた施策が行われるか注目したいところだ。


岡山の茅葺民家写真展 - 56  めわらの乗る屋根 その2

2014年11月13日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県中央町阿井 (現在は美咲町)


めわらの屋根飾りの乗っている民家 その2
めわらのある一帯は吉備高原で高い場所にある。
ここは遊ぶ場所もなく農産物の売り場もないので棚田の写真を撮るか私のように茅葺き民家の写真を撮る者しか訪れない。
撮っているめわらを乗せた家が残っていたと思うが余り意識して撮っていない。
しかし、今となってはめわら自体が痛み易いし茅も10年もすると随分痛むみ全滅と言うほどに姿を消した。
あの時、もっと真剣に撮っていたらとかもっと早く撮っていたらと悔やむのが人間の常でもある。
それが自分の能力だとおもうしかないのだ。
しかし、茅葺きを求めてあっちの山へこっちの谷へと一生懸命探し歩いていた頃は大変充実していた。




撮影 岡山県旭町

岡山の茅葺民家写真展 - 55  めわらの乗る屋根

2014年11月09日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県中央町(現在は美咲町)


「めわら」は茅の葉を落とし軸だけにしたものを束ね棟飾りに乗せた物です。
岡山県では岡山の中央部のみ残る棟飾りです。岡山ではこの棟飾りをカラスオドシとよんでいる。
県北の東部は栗などの木の棟飾りを乗せる。
岡山県も南部の民家には棟飾りは乗せない。
この「めわら」は兵庫県南部に広く残るが茅の束にトタンで巻いているので純粋のめわらに出合うのは大変難しくなった。

中央町や建部町、旭町にはこのめわらの民家が残っていた。
しかし、茅葺き民家自体が消えてしまった。
この民家は中央町の棚田百選に選ばれている地域の脇に残っていた。

岡山の茅葺民家写真展 - 54  懐かしい風景 川舟のある風景

2014年11月04日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山市白石

転勤してきて岡山県に住み始めて鉄道の写真や古い町並みの写真を撮り始めた。
岡山県の山陽線沿線や庭瀬付近を歩いていると水路の改修が行われずクネクネとまるで佐賀のクリークを思わせる光景に出合えた。
水路の護岸は棒杭を打ち込み竹を編み土留めにしている。

佐賀の自然のままのクリークの時代はしらない。かって写真集た見る程度である。
佐賀には茅葺き民家を撮影に10回は行ったが今は水路の改修が行われ拡幅と直線的な水路になっていめる。佐賀のクリークは3000kmに及ぶと書いてある。

どこの洪積地も同じだが水利と排水のために水路が張り巡らされている。
岡山の南部も例外ではなく水路が多い。柵のない水路が多く夜間照明のないところでは水路への転落事故が絶えない。昨年は12人が亡くなり全国のワースト記録となった。
今年も若者の死亡事故が5件あった。
今はコンクリートの三面張りで拡幅され直線的になった。
こんな光景も少しは撮ったが計画的に各地を撮り残しておくべきだった。
この頃は蒸気機関車も走っていたし興味がそこまでいたらなかった。
将来何かに使おうとする意図が無いと人間はシャッターを押さないものだ。

川にまだ川舟がつながれている。20年前にはこんな川舟をよく眼にした。


岡山の茅葺民家写真展 - 53  懐かしい風景 手押しポンプ

2014年10月31日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県作東町

井戸や手押しポンプのある風景も珍しくなった。
私の子供の頃は水道の通っているところは文化的な生活だった。
私などはもちろん井戸の生活だった。
井戸掘りや井戸換え、ツルベの言葉も死語になってきた。
地方都市の水道、ガス配管、道路、橋の整備が行われたのは昭和40年代の高度成長期になってからである。

現在はオール電化、水道、ガス供給のインフラが整備されている。しかし大きな地震があると供給がストップして生活難民がでてくる。
少なくと地震発生から1週間は生き延びる対策を個人や地方自治体とも取っておく必要がある。電気やガスのストップは空き地があれば材木等で煮炊はできる。飲料水は飲まないと生死にかかわる。東京や横浜は個人の手押しポンプと井戸のある場所を防災施設に登録している。
わたしの住んでいるところはそんな動きはない、地方都市は人口的にも給水車で対応できると考えているのであろうか。

岡山の茅葺民家写真展 - 52  懐かしい風景 その1

2014年10月27日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県加茂町倉見(現在は津山市)

今回から3回にわたり懐かしい風景をお送りします。昭和の時代にはごく普通にあった光景です。

倉見は加茂町の奥にある。黒木ダムが出来て近隣の集落と疎遠になり寂れていった。
私が初めて訪れた時は茅葺き民家か沢山残っていて私にとっては桃源郷だった。
昔の風景のままで維持されていた。
そんな風景なら何度も足を運び撮り残していればよいのに夏場は一度来たままだった。
しかし、そんな桃源郷も長くは続かなかった。トタンを掛ける家や解体で多くは消えていった。

集落の中心部に木の半鐘があった。
後ろに茅葺き民家が見える。この半鐘を立てたお爺さんから話が聞けた。
この木は栗の木で100年以上の木を山中歩き探した。その人が20歳頃に若者が刈りだされ山から担いで降りた。地中には1.5メートル入っている。転倒しないように横木を日本いれてある。地中部は表面を焼いて埋めた。立ってから60年が経過していた。
そんな木の半鐘も倒され今はない。
山での仕事も炭焼きはいい収入源だったがエネルギー革命で衰退した。息子たちは都会で暮らしている。ここの集落に300人暮らしていた時代があった。

昔訪れたところには2度と行かない。
自分の記憶には茅葺きが一杯残っていた風景しか残っていた。
再び訪れたらそんな風景はリセットされ現在の風景に上書きされるに違いない。

岡山の茅葺民家写真展 - 51  雪のある風景 その3

2014年10月23日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県大佐町君山(現在は新見市)

君山は大佐町の北の外れ冬は雪がふる。
小さな峠を越えると新庄村に入る。
君山には夏に何度か通った。冬の写真を撮ろうと思い訪れる。
この民家はお婆さんが一人で住んでいた。
過疎地でもあり高齢者しか住んでいなかった。
夏場に行った時にがまの穂で編んだ手提げを置いてあった。
池に生えているがまの穂を刈り取り2週間ほど水に漬けておく表皮が腐ったら洗いながしスポンジ状の芯を乾かし手提げに編んで行く。今は民芸品として売っているが軽くて強い。
昔の人は藁を編んだり篭を編んだり誰でもやっていた。
近くにある材料で自分で何でも作る生活だったのだ。

雪晴れの日に洗濯物がひらめいている。
買い物はどうするのかと聞いたら岡山県の新見市へ行くより鳥取県の根雨が近いので娘に毎週車に乗せてもらい買い物に行くと言っていた。