懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

岡山の茅葺民家写真展 - 50  雪のある風景 その2

2014年10月19日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県勝山町星山(現在は真庭市)

星山は岡山で一番高い滝の神庭の滝の上にある集落です。
神庭の滝を見ながら登る道は驚くほど狭い道で普通車の交差は難しい。
対向車がこないのを前提に登らないといけない。しかし、遠回りだが広い道がある。しかし、雪の日にこの道を登ったら除雪していなかったが車のワダチがあるので登っていたら車が動かなくなった。アクセルを踏んでも空転するだけ、
車の腹が雪に乗り上げたのだ。乗用車は腹の底から地面まで17センチしかない。
ワダチは鮭トラックのものだろう。軽トラは30センチの積雪でも腹を擦らない。
しかたなく積んでいたスコップで周りの雪を取り除き旋回出来るスペースを確保した。
周りの雪を除くのに汗をかきかき30分かかった。

星山という1000メートルを超える山がある。。星山集落からも真っ白に雪を抱いた山が見える。
こんな山の上に20戸程の集落がある。なぜ残っているのであろうかと思った。
この道がかっての出雲街道であったとある資料に書かれている。勝山宿から次の美甘宿までは距離がある。夕暮れになったら星山で泊まる人もいたかもしれない。

雪の晴れた日に訪れた。一人住まいの女性が洗濯を干したり作業をしているのを撮らせてもらった。写真は一向に上手くならないが口だけは上手くなった。
私は現在、車椅子生活で歩けない。写真は足で撮るという人がいる。歩けない人間は諦めるのか、いやいや足が無くとも口がある。足で撮れなきゃあ口で撮れ。





岡山の茅葺民家写真展 - 49  雪のある風景 その1

2014年10月15日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県加茂町(現在は津山市)

今回から3回にわたり雪のある風景をお送りします。
台風一過、一気に秋らしくなってきた。北海道の石北峠では冠雪もみられた。
岡山も県北は冬場になると結構雪になる。
私の故郷の四国はほとんど雪も降らないので雪景色には憧れもあった。
雪と茅葺き民家の光景が撮りたくてよく通った。
雪の光景の写真がやけに残っている。
茅葺き本来の写真を撮るのなら雪のないシーズンの写真である。
雪はいらない物を隠すので余計な物が写らない利点があるが民家の本来の茅なども隠してしまう。

雪の中、民家を撮っていたら竹を担いだ男性が歩いて行った。
これはラッキーとシャッターを押した。声を掛けて止ってもらい撮影するのはよくない。
人間止ると足が揃って両足で着地する。歩く時は片方どちらかの足が浮いている。
足の止ってそろった写真は不自然でヤラセの公算が強いので自然の撮った方がよい。
この家は秋には干し柿がすだれのように並ぶ


岡山の茅葺民家写真展 - 48  棚田のある風景 その3

2014年10月12日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県中央町大垪和西(おおはがにし)今は美咲町


大垪和西は棚田百選に選ばれている。岡山で一番大きな棚田のようだ。
山が浸食され深い谷を作っている、その斜面が棚田となっている。浸食された土砂は旭川に注ぎ岡山市に洪積平野を造った。
高いところから全景を見ると浸食された地形がよくわかる。
ここに400mmから500mmの集中豪雨があれば棚田はことごとく押し流されるほと脆弱なものに思える。ここの棚田も何回も壊され補修してきたと思う。人間の不屈の精神力のもとで維持されている思う。
ここの棚田エリアに三軒ほどの茅葺き民家があった。
この家は大垪和西の棚田の中心にあった。
カラスオドシは11本、茅で作った「めわら」が乗っている。

水を張られた棚田に夕日が落ちる。これは眺めていても絵になる。


岡山の茅葺民家写真展 - 47  棚田のある風景 その2

2014年10月07日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所  岡山県東粟倉村

 東粟倉村は岡山県の北東の端の村で千種町と隣接していた。
平野部はなくほとんどが斜面に民家や田圃がある。
当然のように棚田になっている。区画整理が進み狭い幾重に重なる棚田はすくない。
この頃はただ単純に茅葺き民家を撮っていたので棚田を意識した写真は撮っていない。

長靴をはいて畦道を歩いていたら地元の女性に聞かれた。
天気がよいのになんで長靴はいているのかと聞いて来た。
蛇が怖いしマムシに噛まれないようにしていると言ったら
「蛇が怖くては田舎には住めんな、あんたらは動物は動物園に見に行くのだろうがここは動物が人を見に来る」と面白い事をいう。
田舎の暮らしを楽しくするためにこんな話をするのだろう。
田植えの時には年増の女性が若い女性にエロ笑い話を聞かせ労働のキツサを和らげたという。
休憩の時や講の集まりにいろんな言い伝えや作り話を聞かせて年寄りから若者や子供にいい伝えられた。
携帯やパソコンの時代になり老若男女が集う機会が少なくなった。
こんな場で話せる、話題をひとつは持ちたいものだ。

岡山の茅葺民家写真展 - 46  棚田のある風景 その1

2014年10月02日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県建部町畝東

私は茅葺き民家を撮るまで岡山に棚田が沢山あるのを知らなかった。
棚田に関心も無かった。
レンズを通して山間地を見るようになり田舎の生活に関心を持てるようになった。
その頃から棚田の持つ機能が見直され棚田百選が制定され棚田フォーラムが定期的に開催
されるようになった。
岡山県は吉備高原と言われる500メートル程度の平原が大きな川で浸食され斜面が棚田になっている。
国道は川に沿い谷底を走っているのでここから山に登り上の集落へは地域の人しかいかない。
耕作地も少なく自然水頼みの農業では大規模化は難しい。
ダムを造りポンプアップすれば水利は改善するが狭い棚田では生産性も上がらない。
昔からの小さな棚田は区画整理で大きく集約している。
そんな棚田の中にも茅葺き民家が残っていた。

現在も残っているか疑問である。農業を人が亡くなったら高齢化で放棄地になっている可能性もある。




岡山の茅葺民家写真展 - 45 過疎に生きる その3

2014年09月28日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県勝山町古々呂尾中 (現在は真庭市)

古々呂尾も典型的な過疎地である。
山間の集落で田も広くない。林業と農業の集落である。
集落への道は最後は行き止まり。
その先に道のない袋小路の集落は道も広くならないし交通量も限られている。
袋小路は道だけではなく集落自体が袋小路である。
ふるさと創生と言われているが金をバラまくだけで終わりそうだ。
田舎に若者が働ける産業や作業場をどう作っていくのか外国製品とのコストに対抗しながらは難しい。ふるさと創生について補助金をあてにするのではなく本気で議論しアイデアを出さないすと日本の田舎の将来はないとおもう。

岡山の茅葺民家写真展 - 44 過疎に生きる その2

2014年09月24日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県高梁市中井町西方


岡山県内の道を一本一本走った。山間地の細い道も一本一本走った。
茅葺きを求めてひたすら走った。
ガソリンと時間の浪費になるかもしれなかった。
しかし、何かに夢中になれる事は心地よかった。
こんな事をやっても何になるかと思ったら何もできない。
結果はどうなろうと自分の脳のエンドルフィンが湧き出る時は楽しかった。
他人が見れば詰らないものでも一度の人生、無我夢中で何かに打ち込むのは必要である。

高梁市から新見市豊永に向かう細い道に人の暮らしていない茅葺き民家があった。
小屋は壊れかけていた。次に来たときは小屋は壊されていたが母屋は残っていた。数年して訪れたら建物はすべて亡くなっていた。
この地区には他に何軒かあった。
田や畑も狭く道も狭く買い物も遠く離れている。典型的な過疎地である。
限界集落から壊滅集落へと進んでいる。
民家の撮影に行くと田はまだ耕作されていた。石垣や畦道には人の生活の痕跡が残されている。遠くで住人の話し声が聞こえる。かなり離れているのに話の内容が聞こえそうな静寂である。鳥の鳴き声も驚くほど大きく聞こえる。
現代社会は騒音と派手な色彩の中で生きているのがわかる。
車のなかった時代、人工染料や顔料のなかった時代には自然の音や色彩がすべてであった。
昔の人は自然の草木の色彩や移ろいに敏感であったと思う。
和歌や俳句随筆に日本の四季の移ろいがよく残されている。




岡山の茅葺民家写真展 - 43 過疎に生きる その1

2014年09月20日 | 岡山の茅葺民家写真展
今回から「過疎に生きる」を3回にわりたりお送りします。


撮影場所 岡山県加茂町倉見(今は津山市)

加茂町倉見も厳しい過疎地である。
特に集落に行く道の途中に黒木ダムが出来て隣の集落のつながりが切れ孤立状態となった。
20年前にすでに出産可能な夫婦は集落にいなかった。
小学生もこの集落にはいなかった。
戦後の多い時にはこのむ集落に300人が暮らしていた。
部外から人が移り住まなければ10年後、20年後には消滅する。

写真の民家も老婆が住んでいたが民家も両方取り壊された。
今は人がここで生活していた痕跡も消えてしまった。

茅葺き民家も15棟はあったが今も人の住んでいる家は何軒あるのであろう。


岡山の茅葺民家写真展 - 42 カルスト台地 その3

2014年09月14日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県哲多町萩尾(今は新見市)

前回の写真の新見市法曹と哲多町萩尾はすぐ近くである。
今は同じ新見市なのでカルスト台地つながりで同じような風景が続く。
キャベツ畑の横をお婆さんが杖を持ち歩いていたので撮影させてもらう。
畑の端に積まれた石垣も石灰岩である。
かなりくたびれた茅葺き民家である。雨が漏るのかトタンを置いてある。
数年で取り壊されたのであろう。
茅葺き民家の厳しい現実や山間地の厳しい生活を見てきた。
問題意識を持つだけでは何も生まれない、とにかく行動して現実を見ることである。
行って何かをを発見するそれが旅だと思う。最初から見るところ立ち寄るところが決まっている旅はツアー旅に任せておけばよい。
崩れる民家と高齢化する山間部の人々が撮れたのは良かったと思う。

この近くに無明谷というのがある。石灰岩の間を川が浸食して深い谷を造っている。
太陽が差し込まないので無明谷と言われている。貴重な山野草が見られる。
私も野生のスハマソウをここで初めてみた。
また西に数キロ行くと荒戸山がある。標高762メートルの火山でマグマが押し上げられて山になった。登る途中の岩は角い塊の石が積みかねたようになっている。明らかに火山のマグマが押し上げられたのが見てとれる。上には15メートルの塔があり高さを777メートルにしている。

岡山の茅葺民家写真展 - 41 カルスト台地 その2

2014年09月10日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県新見市法曹


一見すると家の裏に石を積んであるのかと思う。
よく見れば石灰岩で露頭しているのである。
大地の奥深くの石灰岩の一部が氷山の一角のように見えるのかもしれない。
岡山の阿哲台は草木に覆われて石灰岩が見えないが秋吉台のように毎年火を入れて焼き払うと露頭しているのがみえるかもしれない。
しかし、新見は耕作をしているのでそんな事はできない。
こんな風に石灰岩が露頭したのをカツレンフェルトと呼ばれている。山の言葉やカルスト台地の言葉はドイツ語などをそのまま使っているのが多い。
日本語約した言葉はほとんど生まれていない。

石灰岩の露頭の高さは1メートル位のものが多く夏場行くと草に隠れて迫力に欠ける。秋吉台に行くなら野焼きをして何度か雨に降られた後が良い。野焼き後は黒いばかりで美しくない。
三月下旬から四月の中旬の芽だしころが良い。

茅葺き民家の裏の石灰岩の露頭していないところを畑にしている。
畑が出来るだけの土がある。カルスト台地の土はどのようにして出来たのであろうか。
石の風化と草木の有機物で土となったのであろうか、それとも長い時間を掛けて人間が草木の堆肥に入れできたのであろうか
スコットランドのアラン島も石灰岩の痩せた土地、海藻を石を砕いた土に混ぜて土にした。
ドキュメンタリ映画の傑作と言われる映画で島の暮らしが紹介され世にしらされた。
カルスト台地で生きる人々にもそんな日々の努力があるのであろう。