懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

岡山の茅葺民家写真展 -20 四季の風景 冬

2014年06月15日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県阿波村(現在は津山市)

モノクロで冬の表現は雪であろう。
稲株の残る田や氷の張った田の表現は白黒は難しい。カラーだと微妙な色彩で冬の田が表現できるが

阿波村に初冬に雪が降り撮影に出かける。
雪の多すぎる風景は茅葺の屋根を覆い隠すのでトタン屋根でも茅葺でも変わらないので好きでない。茅葺である事が分かる程度の雪がよい。
茅葺民家は屋根の形状や棟飾り、茅の状態が見るために基本的に雪のないシーズンを撮るべきであろう。それを撮った上で雪の写真を撮るべきであろう。
私も雪の写真が多く夏場撮影していない民家があった。

こんな民家は撤去したり建て替えられたので茅葺として残っていない。
表紙の写真の地域はおそらく20年後には集落に住む人もいなくなるであろう。


岡山県加茂町



岡山県上斉原村


岡山の茅葺民家写真展 -19 四季の風景 秋

2014年06月11日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県富村 ススキ


秋の風景は紅葉やススキ、菊、大根干し、稲の刈り取りなどであろうか
カラーならば何でも撮れるが白黒では対象が限られる。
秋が一番日本の風景らしい。
日本人の心にはこんな風景とともに学校唱歌や童謡を子供の頃から聞いて来たのでイメージされてきたのであろう。
中国にはこんな唱歌のようなものはないようだ。日本の唱歌を歌う中国人歌手が語っていた。
日本は西洋音楽を取り入れ諸外国に追いつくため数多くの曲が作られてきた。有名な作詞家、作曲家もうまれた。
みんなが知っているだけでも200曲はある。
これは世界に誇れる日本の文化遺産でもある。



写真はいずれも岡山県加茂町






岡山の茅葺民家写真展 -18 四季の風景 代掻き

2014年06月07日 | 岡山の茅葺民家写真展
岡山県奥津町


母屋と小屋が茅葺の方が代掻きをしているので撮影させてもらう。
茅葺民家から50メートル位い離れたところに七色樫の木がある。
七色に色を変える樹齢350年、樫の木としては大きい。この民家の方の所有で県の指定を受けた樹である。
このあたりはいい雰囲気の土地であったが今は茅葺民家もなくなった。

岡山の茅葺民家写真展 -17 四季の風景 鯉幟

2014年06月02日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県新見市草間

痛みのある小屋の向こうに鯉幟、それを撮っていたら前を子供が走っていった。
田舎では今でも鯉幟をあげる。今は川を大量の鯉幟が泳がせたり川の中に鯉幟を泳がせるところもある。富士山をバックに鯉幟、芝桜園にも鯉幟
最近はイベント的な使われ方をしている。
イベント的な鯉幟はさておいて茅葺民家の鯉幟をひたすら探す。
山中の民家に鯉幟が揚がっているのはこの家にも子供がいるのだとうれしくなるものだ。


岡山県早島町



岡山県総社市

岡山の茅葺民家写真展 -16 四季の風景 春

2014年05月29日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県新見市豊永


今回から4回にわたり四季の風景をお送りします。
今回は春、三椏(みつまた)の咲く風景
三椏は早春に白い花を咲かせる。
山に花の少なく木の葉が出揃っていない時期なので地味な花だが遠くから目に付く。

三椏は枝が三方に枝分かれするのでこの名がついた。
和紙の原料として大切に育てられた。紙幣の紙として重宝されている。
透かしが入れられる事と印刷の乗りも良いと言われている。

沈丁花科なので沈丁花と花の時期も枝ぶりもよく似ている。
沈丁花も枝は三方に分かれている。
廃屋の裏山に三椏だけが花を咲かせる風景もどこか虚しい。
半ば野生化している地域もある。
挿し木で簡単に増やせるが野生化したものは種で増えるのであろうか
沈丁花科は移植が難しい移植の際に切断された根は再生しない。
移植するより挿し木して植えた方が成長も早いし確実である。
沈丁花科は長くても15年程で枯れてしまうので移植は得策でない。

新見市豊永地区はカルスト台地、カルスト台地には川は少ないがしみ込んだ水は鍾乳洞を通りあるところで湧きだしている。この川も鍾乳洞から湧きだした水が川になったのであろう。



岡山の茅葺民家写真展 -15 茅並ぶ その3

2014年05月25日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県加茂町物見(現在は津山市)

物見に三軒茅葺が並んで撮れる場所があった。
これは佐野昌弘氏の茅葺民家の写真集にも出ている場所である。
加茂町物見は峠を越えれば鳥取県智頭町である。
JRは長いトンネルで鳥取県智頭町に入る。
道路はくねった物見峠を越えて智頭町に入る。
私は中国山地の峠をすべて越えて周辺の茅葺民家を探す目標をたてた。
この物見峠を越える人はほとんどおらず一台の車にも会わなかった。
冬季の積雪時は通行止めになる。

ここの集落はどん詰りの集落ではないが峠越えで他県のためにこの感がある。
しかし、ここまではそんな登りでないため集落に子供も住んでいた。
いまはどうであろうか茅葺民家も沢山在ったが今は人が住む家は一軒のみ無住の民家も
取り壊すと言っていた。

岡山の茅葺民家写真展 -14 茅並ぶ その2

2014年05月21日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県勝山町古呂々尾中

岡山県の茅葺民家をさがし訪れていない集落を目指し走っていた。
勝山町から大佐町に抜ける県道から山に入った地域は空白地帯であった。
観光地もなく東西南北に抜ける県道や国道もなく行き詰まりの集落である。

木の橋も残っているし新しい家はなく時代が止っていた。
国道沿いなどは民家も新しくなるが年寄りばかりになった集落の民家は昔のままだ。
当然のように茅葺民家も残っている。
都市部とは30年の時代の違いのある風景が残っている。
こんな集落も10年もすれば茅葺民家も崩れ人口も減少するであろうと思い撮影した。

岡山の茅葺民家写真展 -13 茅並ぶ その1

2014年05月17日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県鏡野町越畑

岡山にはふるさと村というのがあり茅葺民家や古い家並みの残るところが指定された。しかし、この財政難の時代には県からの支援は難しくなった。茅葺民家など残るところもあるが今後は次第に消滅の方向に向かうであろう。この越畑もふるさと村のひとつであった。
茅葺民家も10数軒残っていた。
今も人が生活している茅葺民家が数軒残る。
写真のような茅葺民家が2軒続いていたが今はトタンを覆い人が住む気配もない。
越畑へは加茂町からも奥津町からも峠を越してこれる。
奥津からの道は狭く厳しい峠道だったが今はいい道になっている。

岡山の茅葺民家写真展 -12 山懐に抱かれて その3

2014年05月13日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県山陽町

山陽町は岡山市の東隣で大きな団地もいくつかあり岡山市のベッドタウンになっている。
そんな中、少し田園地帯に入ると昔ながらの集落がある。
山裾にへばりつくように家々が並ぶ
そんな中に茅葺民家が2軒並ぶ
同じ苗字なので親戚関係になるのであろう。
どちらも寄棟造りで一軒は棟に煙抜きがついている。地元の人の話では本家には煙抜きがついていて分家はつけないと言っていた。
分家は本家より大きい家は建てないともいう。
本家、分家の差別化をしているあたり厭な風習にも思う。
昭和50年頃に訪れていたらまだ田舎の風景が残っていたのであろう。
しかし、いつも見慣れた田舎の風景をカメラに収めた人は少ない。

岡山の茅葺民家写真展 -11 山懐に抱かれて その2

2014年05月09日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県玉野市八浜

八浜はかっては児島湾の海辺の集落であったが戦後児島湖は締め切られ淡水湖となった。
昔は海辺の漁村だったが淡水化と共に漁業で生計を立てる者はいなくなった。
そんな集落の山沿いには農家の民家があった。
谷間の開けた土地に田畑がある、そこに茅葺民家の農家が一軒だけあった。
家の庭には収穫したサツマイモを干してあった。
裏の山に登り茅葺民家と集落を俯瞰した。
高いところから見ると集落の全景が見え家々の並びや形成が見える。
新興の住宅が増えるとそれは大きく崩れる。
昭和40年頃まではそんな町並みや集落の形が残ったが今は乱雑に家が建つている。

茅葺民家は下屋も棟も本瓦で葺かれた重厚な造りである。
四国や関西方面で見られる。