懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

岡山の茅葺民家写真展 -30  動物のいる風景 牛

2014年07月27日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県加茂町(現在は津山市)

これは三月に行いました「岡山の茅葺民家写真展」の写真を順次投稿しています。
今回から三回は動物のいる風景をお送りします。

昔の茅葺民家の本を見ると中国地方は牛を飼う農家が多かったようだ。

茅葺の農家は零細なところが多く雌牛を飼って子牛を生産する農家が多かった。
飼っていても数頭の家が多かった。
肉牛を生産するところは資本力もある大規模農家である。
牛を農作業の役牛に使っていたころはどの農家にも雄牛を飼っていた。
農作業は雌牛では役に立たず雄牛を飼っていた。
雄牛は特牛(こっとい)と呼ばれていた。
山陰線の西の端(山口県)に特牛の地名と駅名がある。
鉄道ファンは難読駅の横綱くらいにランクされているでよくしられている。
「こっとい」は中国地方ではよく使われていたようだ。
こってえと言う人もいる。
私は岡山の出身でないので特牛は方言だろうと思っていたら広辞苑にちゃんと乗っていた。
地方の言葉は昔言葉が残っている事が多いので軽蔑しないほうがよい。

TPPの参加が言われてといるので日本はどれくらいの牛が飼育されているか世界で飼育の多い国を調べたら。
1位インド2億1千万頭 2位.ブラジル2億950万頭 3位.アメリカ9300万頭
4位中国8300万頭  日本は420万頭だそうだ。世界とは規模がちがう。

インドは牛を神聖な動物としてヒンズー教徒は食べないのではと思うが牛の輸出は世界一だそうだ。まさかあんな痩せた牛を輸出しているのではないと思うが
中国やインドで大量の牛を飼えば飼料の争奪戦が起きてもおかしくない。

岡山の茅葺民家写真展 -29 小屋も茅  その4

2014年07月21日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県阿波村(現在は津山市)

阿波村大高下は茅葺民家が残っていたので岡山県のふるさと村に指定されていた。
しかし、県も財政難で支援できなくなりふるさと村の言葉はきえた。
店や民宿もあったが前に増して寂しくなった。
茅葺民家は人の住む民家や移築した茅葺が何軒か残っている。
ふるさと村発足時(昭和50年代)に訪れていた茅葺民家も残っていたとおもう。
公共の設備や街中の民家は昭和40年代に大きく変わったが田舎の民家は10年の遅れがあり昭和50年代にも昔の民家や生活が残っているようだ
近隣の町村を走れば15軒の茅葺民家は撮れる。桜の頃や翁草を見に毎年のように訪れている。


岡山の茅葺民家写真展 -28 小屋も茅  その3

2014年07月17日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県加茂町(現在は津山市)

母屋も小屋の茅も大分くたびれてきている。
茅葺きは手入れをしないと長持ちしない。
特に北側は陽が当たらないので茅が乾燥しない。
刺し茅をこまめにすれば延命もできるが痛みだしたら加速度的に痛む。
茅は屋根材としては耐久性が短い。維持費にコストも掛かる。
21世紀まで茅葺が残る事が驚異でもある。
日本瓦だけの風景さえ珍しくなった。
甍の波のと唄われて頃の光景も撮るのが難しくなった。

小屋は農業資材を入れるものか、大きな柿の木が二本、日本の農村風景である。
懐かしい風景だなあと思いながら撮影する。
私の撮影は平成の時代になっても昭和の懐かしさ追い求めている。





岡山の茅葺民家写真展 -27 小屋も茅  その2

2014年07月13日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県備中町西山

岡山県の茅葺を探しにひたすら山道や田舎道を走った。
走っても見つかる補償もない。
岡山県内の道をひたすら走るのが目的になっていた。
茅葺を探し求めて何になるのか何時も思っていた。
こんな事にガソリンと時間を使う事はあほらしい事だった。

しかし、若い頃にひたすら蒸気機関車を追いかけていた事が何十年も経過したら自分のかけがいのない思いでになっている。
死ぬまでに一杯思い出を作ろうと思い各地の茅葺を探して走ってきた。
一回の人生、生きた証を何か残して死にたいものだ。そんなもの残された者には迷惑な事かもしれない。自分は大切に残しているが他人が見ればゴミでしかない。今のデジカメのデーターなど他人には何の愛着も残さない。孤独死した人などゴミと共に人生の痕跡もなく終わる。
残してもらえるようにするにはアルバムなり本にした作品にしないと残らないと思う。

備中町西山は、新成羽ダムの湖畔から山に登った数百メートルの高台の集落である。
畑作中心の農村である。耕地も広くない厳しい環境の土地である。茅葺民家探しが無ければ決して立ち寄らない土地である。
今後こんな山間の地は大きく衰退していく事が予想される。
元気に農業を続けていた時代を撮影しておくのもアマチュア写真家の役割であろう。



岡山の茅葺民家写真展 -26 小屋も茅  その1

2014年07月09日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡谷県加茂町河井

今回から四回にわたり母屋と小屋が茅葺民家をお送りします。


この民家は道路脇にあったので撮影されホームページにもよく登場している民家です。
しかも、すぐ横を因美線が走っているので大堰堤より全景が撮影できる。
元気な時に列車と茅葺を撮らなかったのか悔やまれる。

母屋の横に小屋も茅葺の民家は立派な副賞の付いたオマケのようで絵になる。
横綱が太刀持ちを従えたようにも見える。
曲がり屋などは小屋の機能も持っているので小屋は必要ないがその他の地域は農機具や資材や収穫した物を入れる倉庫が必要である。
昔は牛小屋も資材小屋も茅葺だったと思われる。今は茅葺民家でも瓦屋根の倉を持っている家が多い。

母屋の隣に茅葺の小屋があるのは関西以西が多い。
こんな民家に出合えばラッキーと思いカメラに収めたい。


岡山の茅葺民家写真展 -25 煙草 その3

2014年07月05日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県新見市法曹

煙草の収穫が近づいていた。順調に育っている。
両側を石垣の煙草畑、母屋も小屋も茅葺の民家だ。
裏に回ると畑には石灰岩が露頭している。カルスト台地特有の地形である。
カルスト台地に住む人は土地が突然陥没する事があり怖い。
備中町で集落が陥没し始めた事がある。小学校もあり空洞部に土を投入して陥没を落ち着かせた事がある。

煙草の葉は虫食いの出荷できない葉も枚数を数えて申告しないといけないそうだ。
しかし、枝は乾燥させて風呂の焚きつけに使っていた。
枝や軸も燃やすと煙草の匂いがするので煙草を吸った感覚になるそうだ。
大麻の皮を剥いだ軸は茅葺の下地に入れる地域もあるが風呂の焚きつけに使っても大麻を吸った感覚になるのであろうか

次の年にも撮影に行ったが葉の収穫は終わり軸だけが立っていた。
あれも面白いと思ったがネガが見つからない。

岡山の茅葺民家写真展 -24 煙草 その2

2014年07月01日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県賀陽町

煙草は遅霜に遭わないようにとんがり帽子をかぶせている。
しかし、とんがり帽子を外した六月になっても雹(ひよう)がふる事がある。
今年も三鷹市で雹が降りトウモロコシなどの農作物や建物、車に被害があった。
5mm以上の氷を雹というらしい。それ未満は霰(あられ)と定義されているそうだ。
会社で冬場に霰が降ってきたと行ったらアラレと不思議な顔をされた。アラレはオカキのアラレかと聞く、彼にとってはアラレは食べるアラレか漫画のアラレちゃんしか思い浮かばなかったのだろう。
日本の季節を表す言葉は豊富である。
和歌に始まり短歌や俳句などでも詠まれているので語彙が豊富である。

こんなとんがり帽子も見られるところが少なくなった。
特に茅葺民家と一緒ところは少なくなった。
煙草は岩手県でも沢山植えている。煙草は国分と唄に唄われるから暖かい地方だけかとおもったらそうでもないようだ。

撮影場所 岡山県新見市草間




岡山の茅葺民家写真展 -23 煙草 その1

2014年06月27日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県新見市法曹

今回から3回にわたり煙草のある風景をお送りします。
収穫時期を迎えた葉タバコ、黄色くなったら収穫、煙草の花は意外と美しい花が咲く。

煙草は畑作しかできない地域の主な作物のひとつでした。
専売公社が買い上げてくれたので確実な収入源として岡山県でも広くつくられていた。
しかし、専売公社の民営化、喫煙者の減少や外国産煙草の輸入や外国産葉タバコの輸入でコスト高の日本産葉タバコは苦境に追い込まれている。
岡山でも八割減に追い込まれている。
煙草の生産者は野菜や果樹生産に切り替える人が多い。
ここ20年で時代は大きく変化した。

写真を撮ることは時代を記録する事でもある。
写真とは「未来を見つめ現在を記録する事だ」といわれている。
素人には未来を先読みする事は難しい。
先読みが出来ればもっと金も儲けしているし出世もしている。
素人にできる事はひとつのテーマを他人に惑わされることなく、ひたすら撮り続ける事であろうか



岡山の茅葺民家写真展 -22  登る その2

2014年06月23日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県加茂川町

山の中腹に茅葺の小屋があったので歩いて登る。
小屋は切妻造りで簡素な造りにしてある、
撮影していたら地元の女性がゆっくりと登ってきた。斜面の畑に収穫にでもいっていたのか
高齢になると上り坂は厳しい。しかし、長年暮らしている地元の人はそれも生活の一部、斜面の畑も与えられた土地と思い耕作している。こんな斜面と思うのは都会の人間、愚痴ひとつ口にする事なく日々くらしている。山間部の人にすれば人で溢れ自分では何も作らない都会の暮らしに息苦しさを感じると思う。

演出をしないで地元の人を写すには何回も足を運ばないといけない。
500人撮影したければ500回足を運ぶ必要がある。

岡山の茅葺民家写真展 -21  登る その1

2014年06月19日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県賀陽町(現在は吉備中央町)

茅葺を求めて道のあるところをひたすら走った。
何も発見できなければガソリンの無駄と時間の無駄である。
何も発見できなければこんなことをやることの虚しさを感じる。
撮り残しておけばきっと役立つ事があると自分に言い聞かせて撮影を続けるしかない。
一人でこそこそ続ける趣味は自分で挫折しないよゆうに目標を常に掲げてやる必要がある。
取り組みの理念と目標、今年やること、今月やることを反芻しながら

賀陽町の山間部を走っていた。地元の人と会話しながら茅葺の所在を聞いたら細い道を登ったらあると教えてくれた。
メイン道路から離れUターンできるかどうか分からない道を登った。
丁度奥さんが荷物を担いで登るところだった。
それを撮らせてもらい民家も撮らせてもらった。
下屋のないいい民家だった。石垣といい昔の姿を残していた。
二人の息子は上場企業に勤めていると話してくれた。息子さんの歳を聞いたら私と同年代だった。
歳をとれば厳しい生活環境だがここが好きだ。嫁いできて家を守る責任もあり夫婦で力を合わせて働いていると語った。
山間部の民家には車で家まで登れないところが沢山ある。
厳しい環境の民家が今後も残るのであろうか