懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

懐かしい物 茅葺民家と少女

2022年03月19日 | 懐かしい物
撮影場所 兵庫県三田市

茅葺き民家を撮影していたら少女が通りかかった。
私が何か笑わせるような事をいったのか
舗装していない田舎道、入母屋造りの端正な茅葺民家

今なら安易に女の子に声でも掛けたらLINEで通報される。
高齢のスケベジジイ一匹出没、写真付き、要注意

各地方を巡ったついでに土地の人も撮りかった。
声を掛け対話して説得するのは、若い頃より今のほうが優れていると思う。
如何せん動けなくなりどうしようもない。

自分の息子にはプリントしアルバムにして残している。
自分がどんな生き方をしたか口や文章で残すより写真が説得力がある。
他人の書いた自分史など白々しく読んでいる。

戦場カメラマンの一ノ瀬泰造はカンボジア戦線で亡くなった。
カメラも襲撃を受けた。日本の親元にカメラなどは返された。
感光したフィルムに何が最後に残されているか母親は富士フィルムとNHKに協力を願い現像してもらう。時間は掛かったが見える映像にしてくれた。
最後の写真は現地集落の子供の日常の暮らしや猫であった。
写真の持つ説得力に改めて気付く映像だった。。 




懐かしい物 木の橋 岡山市西大寺

2022年03月03日 | 懐かしい物
昔ながらの木の橋があったので撮影

昔はこんな木の橋が多かった。小川に架かる橋は木造が多い。
国道やトラックや重機の通る道は鉄筋コンクリートか鉄骨造りだった。
重機のレッカーやユンボが建設工事に使われたのは昭和40年代から。
コマツ製作所、日立建機や多田野鉄工の株が値上がりした時期である。
省力化という言葉が生れ広辞苑に載ったのもこの時期だ。
余談だが公害の言葉が生まれたのもこの時期だ。ちなみに公害は公共的被害の略

今思えば時代とともに姿を消す物をリストアップして撮っておくべきだった。
カメラがデジタルカメラになりメールで写真が送信でき、大サイズのA1サイズでも自分でプリントできる時代がくるとは思わなかった。
人間は一生勉強、時代に遅いながら付いてゆく。
定年後ネガフィルからプリントした写真集をコタツで煎餅かじりながら隠居生活を想像。

懐かしい物 鶏のいる茅葺民家

2022年02月12日 | 懐かしい物
撮影場所 兵庫県丹波篠山市

茅葺き民家に鶏が放されている 。
烏骨鶏で卵は栄養価が高く売れるそうだ。

茅葺き民家と家畜、動物を撮ろうと思った。
牛、うま、いぬ、ねこ、にわとり、羊は撮ったように思う。
昔のように家畜を飼わなくなった。
猫や鶏は家と比べて小さすぎる。牛や馬は撮りやすい。

この前のポツンと一軒家は自給自足の生活、大家族、子供の成長のタンパク源に乳牛、ヤギ、鶏を飼っていた。



とんだコロナ患者

2022年01月26日 | 懐かしい物
コロナ患者は全国で7万人 各地で日々、最高の患者数。

東京北区の赤羽駅の駐輪場で働く79歳の高齢者、コロナ陽性にもかかわらず働きに三日もでている。
待機するようにの指示にも従わず仕事にでた。
驚いたのは責任感のなさもだが、コロナに高齢者が罹っても仕事に行ける事だ。

誰でも3回や5回はインフルエンザ―に罹ったと思う。
40℃の高熱と節々の痛みと力が入らない。職場への感染もあるが働ける状態
でわない。

コロナはいずれインフルエンザ―並みになるというが、高齢者が仕事に出てこれるのを見ると症状は風邪並みに思える。
第六波がどこまで拡大してピークアウトするか、重度の患者がどこまで増える
慎重に注視しているのであろう。

医者も解説者も慎重に様子見にしているようだ。コロナは風邪並みですとは軽々しくいえない。
第6波のコロナは風邪並みに弱くなったというのは半年後か1年後か、

コロナの陽性者になればドライブスルーで医者の診断と経口薬を支給してほしいものだ。




懐かしい物 木の半鐘

2022年01月22日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県津山市

一本柱の木の半鐘があった。
斜面に立ち登ると怖いだろう。
二本立や三本立なら安心できるが
集落も高齢者ばかりで叩く人がいない。
 
半鐘が朽ちる事なく鐘がついていたのに感動。
北京五輪前に金属不足で鐘や側溝のグレーチングが盗難にあった。

盗難を恐れ半鐘の鐘も外し公民館の飾りものにしたところもある。
皆が携帯電話を持つ時代になり無用のものになった。

私は昭和の消えるものを一貫して撮って来た。
近いうちに消えてなくなるであろう物を集め写真展をした。
やっててみると、こんなものに興味を持つ人もいて面白い。

介護施設にコロナ感染者がでる

2022年01月11日 | 懐かしい物
私が通う介護施設でコロナ感染者が初めてでた。
この前、前の椅子の人が高熱がでて入院したら肺炎だった。
咳もしていなかったのに老人性肺炎に罹った。
安心していたのに今度はコロナに罹る。

利用者が40名 スタッフが10名 同じ建屋には幼児もいるので100名はいる。
今まで感染者もでずよく頑張ったのに残念だ。
利用者は何らかの疾患を持ちマスクを外す者もいて手洗いもどの程度しているか分からない。脆弱な環境ではある。
アルコール消毒や体温測定は三回はするが100パーセントはない。

利用者は自分で運転も出来もず飲みになど行けない。若者や働いている家族か介護施設、病院でうつされるかと思う。

濃厚接触者はPC R検査を受けたが陰性だった。
明日から再開する。私は行きたくないが風呂に入りたいので行く。






懐かしい物 母子

2022年01月04日 | 懐かしい物
撮影場所 島根県旧広瀬町

茅葺民家が見えた。近所の母子が父親の田起こしを見に来ていたので撮らせてもらう。
山間地の農家に嫁に来てくれたものだ。
今ならばここに嫁に来た理由を根堀葉ほり聞いたのだが。
親とも同居だし仕事も容易に見つかるところでない。
この子供も今では成人しこんな子供かがいるかも知れない。
夫婦別れもせず子育てを終わったかと思う。


懐かしい物 ひと休み

2021年12月14日 | 懐かしい物
撮影場所 島根県旧広瀬町

農家の奥さんがひと休みしていたので話掛け撮らせてもらう。
今ならば歳をとりもっと上手く人の心に入っていけるのにと思う。
どんな話をすれば食いついてくるか訓練だらあと思う。

奧さんは後ろの茅葺民家にすんでいる。
出雲地方特有の反り棟である。

春は山菜取りの楽しみもあるだろう。
盆や正月は孫や曽孫も集まり賑やかにやるのだろう。

中国出身の介護スタッフ(日本語わかる)と話していた。
日本の生活で気付いた問題点はと聞いたら、親子や兄弟、親戚の付き合いが希薄すぎると言われた。
子供たちは従妹会で奈良に集っている。私の世代は全くこんな集まりはなかった。

懐かしい物 辻堂と火の見櫓

2021年12月04日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県吉備中央町

辻堂と火の見櫓が三叉路の中央に建っていた。
辻堂は休み堂とか茶堂とか大師堂、阿弥陀堂と呼ばれ互葺きなら今も残っている。

以前、阿弥陀堂だよりという映画があった。都会で医師をしていた女性が心を病み夫婦で田舎で生活して阿弥陀堂の堂守や地元の人との触れ合い回復する映画。それを撮影したのが長野県飯山市、茅葺民家撮影とそば食べに近くに行ったので地元の人に阿弥陀堂の事を聞いたらあれは映画のセットでつくったものだ撮影するなら教えるけどというので結構ですと断った。

映画のセットで観光施設として残っているものがある。
長野県安曇野市 大王ワサビ園の水車 観光パンフレットに載っている。黒澤明監督の映画のセットで使われたもの。更新しながら今も水車は動いている。

辻堂は旅をする人や歩いて移動する人の休憩の場して建てられたと思う。
旅の安全を願い地域の安全を願い阿弥陀如来や弘法大師がまつられている。
辻堂を守るのは地域の人で秋には総出で萱刈もする。
仏に花を生け定期的に掃除をする。地域外の人にお接待する役目もあった。
最近は車の運転も出来ず出歩かない。15年前に通りかかったら辻堂も火の見櫓も撤去されていた。時代のニーズに合わなくなった。

分かれ道に建てられるのは、その集落に災いを持ち込まないようにの願いもある。

辻堂で検索すると神奈川県藤沢市の東海道線に辻堂駅がある。

懐かしい物 茅葺民家 立ち話

2021年11月25日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県作東町

茅葺民家にお邪魔していろいろな話しをする。
息子と同居していて息子の職場は大阪だそうだ。
中国道で高速バスに乗り二時間で行けるそうだ。
岡山県の東の端の事もあり通勤が出来るのだ。
バス代金は会社の通勤費

撮影していた頃はブログなど考えもしなかった。
今ならば年齢も重ねいろいろ話のネタも拾ってきただろう。

全国各地を歩いて地域でどんな仕事に就き、どんな暮しをしてきたか、家庭生活はどうであったかその人がどう生きてきたかを聞きたかった。

特筆すべき事はワードにネタとして記録を残す。

笑福亭釣瓶や出川哲郎のように初対面でも仲良くなるコミュニケーション能力も付けないいけない。旅は見る、聞く、歩くである。