懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

私の昭和鉄道遺産 伯備線 普通列車 重連

2021年10月30日 | 私の昭和鉄道遺産
朝の通勤通過学列車 伯備線の下り列車。
これから新見から鳥取県の米子に向かう。

この頃は汽車で通勤する人もいた。学生も多かった。客車は7両編成である。
時々 機関車は回送で重連になる事がある。

今は伯備線も電化されているが電車が3両か4両編成ではないか

都会のように人がいないので田舎では鉄道は斜陽である。

私の昭和鉄道遺産

2021年10月20日 | 私の昭和鉄道遺産
撮影場所 宮崎県 日豊線南延岡機関区

南延岡機関区の機関庫は扇形機関庫であった。
宮崎機関区は倉庫形の機関庫だった。

今となっては機関庫も撮れるものはすべて撮っておくべきだった。
時代はボケーとしている間にすぎてしまった。

C57型と8620型が並んでいる。C57型はスマートで貴公子とよばれていた。
人気がある機関車で撮っている人は多かった。

女にモテもしない自分はこの頃は機関車に惚れていた。

私の昭和鉄道遺産NO,115  特急にちりん

2021年06月17日 | 私の昭和鉄道遺産
ディゼル特急 にちりん
撮影場所 宮崎県日豊線宮崎駅

にちりんは太陽の日輪から命名された。
日豊線経由の博多と鹿児島中央駅を結ぶ
ディゼル特急でキハ80系が走る。キは気動車 ハはイロハの普通車

こんなディゼル特急も蒸気機関車も貨物列車も消えた。
蒸気機関車のいたころはノンビリした風景だった。

その後は急速に時代が進化して、日本もバブルの後遺症で時代から取り残された。こんな時代から取り残された物ばかり追うので進化を予測できなかった。

私の昭和の鉄道遺産 NO,114  下駄電

2020年07月28日 | 私の昭和鉄道遺産
撮影場所 山陽線姫路駅
下駄履いて乗ったのでゲタ電と呼ばれていた。
東京や大阪では省線電車、戦後は国電と言われていた。
地方では国電とは言わなかった。私鉄も無い県もあったし、電化区間も少なかったので区別する必要が無かった。
都会で走っていた、電車が都落ちして地方を走る。昭和45年頃には山陽線にも走っていた。もちろんクーラーはない。山手線にクーラーが付いた電車が投入されたのが昭和47年

鉄道ファンのブログを見ると、都市部のJRの路線を記号で書いてある。
調べてやっとわかった。
地下鉄路線も分かりにくいので、オリンピックやインバウンドの為に記号化しているようだ。
この電車は何系か分からない。将棋の藤井君なら鉄道ファンなので分かるかな。
こんな電車は小野田線や飯田線では、21世紀まで走っていたようだ。
60年も走れるものだ。


私の昭和鉄道遺産 その113 岡山機関区

2020年02月18日 | 私の昭和鉄道遺産
岡山には沢山のD51型の機関車が来ていた。
同じ形式の機関車ばかりで、いい加減に飽きていた。
趣味もマンネリ化しない工夫がいる。新しいテーマや課題を絶えず考えることか。
蒸気機関車は保存、復元以外は全廃になった。
同じ形式でも撮影できるのはありがたい事だった。 
回りには廃止になった、貨物列車や昭和の民家や田園風景が残っていたはずだ。
全蒸気機関車を撮るとか、電気機関車も撮る楽しみもあったとおもう。

私の昭和鉄道遺産 その112 苗穂機関区(北海道)

2020年01月26日 | 私の昭和鉄道遺産
苗穂は北海道、函館本線の札幌駅の隣の駅だった。蒸気機関車の機関区があった。
小樽と旭川は電化していたが蒸気機関車の乗り入れもあった。
扇形の機関庫があった。今も残れば鉄道遺産と喜ばれる。
そんな見る目が備わっていたら色々撮っていたのだ。
 雪が降る、風景が寂しい。こんな体験を一人でしながら少しづつ大人になっていくのだ。

人生は時代が過ぎれは、ああだったと気付くことが多い。
それが分れば成長し100万円が何億にもなった株を買っておく。



私の昭和鉄道遺産 その111 米子機関区のC57型 (鳥取県)

2019年12月12日 | 私の昭和鉄道遺産
撮影当時は許可をもらえば機関区や線路脇にも立ち入りが可能だった。
今の都会の駅の周辺は高いフェンスがあり有刺鉄線が張られている。
この前、列車の中で痴漢行為をした男が、駅構内から逃げ出し逃げようとしたが、金網と有刺鉄線で逃げ切れず御用となった。

都会は列車本数が多く、線路に入り人身事故を起こすダイヤの乱れになるし、信用を失うので管理が厳しい。

それにしても男は何歳になっても性欲が消えないものだ。高齢者の事件も多い。痴漢、セクハラ、盗撮等で捕まると職場も夫婦も親子関係も、今までの人生も否定される。

蒸気機関車が何台もいる。こんな時代があったのだ。電化ももちろんされていない。

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私の昭和鉄道遺産 その110 宮崎機関区のC57型

2019年11月20日 | 私の昭和鉄道遺産
撮影場所 宮崎県 日豊線宮崎機関区

機関庫の中で三脚を使いバルブで撮影している。
今のカメラなら、自動で絞りに合わせてシャッター速度を決めてくれる。
2秒、3秒掛かる撮影でもきれいに撮影できる。
この当時は全くの山カンだ。5枚ほど時間を変えて撮影し、いいのがあれば儲けもの。

こんな鉄の塊の鈍い輝きに惚れ込んだ男どもが機関車を求めて各地へ出向いた。
女性にモテルひとは機関車には恋しないだろう。
機関車に惚れた連中は女にモテなかったということか?

私の昭和鉄道遺産 その109 D51型ナメクジ

2019年10月24日 | 私の昭和鉄道遺産
撮影場所 福岡県 筑豊線直方駅
D51型蒸気機関車は1115台製造され1桁と2桁の機番の95台がナメクジ型である。
横から見るとナメクジに似ているのに由来する。
全国のナメクジ型を撮り歩くのも面白かったかも、廃止のスピードが速く時間が切れだった。

北九州へは山陽線、鹿児島本線経由で向かった。
山陽新幹線もなく九州へは九州直行の急行列車を利用した。
朝でて14時頃に着いた。途中の風景の記憶は余りない。
列車に乗れば寝ていたと思う。
列車からの風景をよく見ていれば、後に撮影した茅葺民家や古い町並みの撮影に応用できたのだが。
民俗学者の宮本常一氏の本を読むと列車からの撮影が多く、地割や地形の特徴、集落の形成、産物を観察している。
旅行の途中はボケーと寝ていてはいけないのだ。昭和30年代は高感度フィルムはなかったのによく撮影している。あの頃の列車は撮影するのに窓が開けられた。



私の昭和鉄道遺産 NO,108 小さな駅の物語

2019年09月22日 | 私の昭和鉄道遺産
昨日、ローカルの民放で小さな駅の物語というのをやっていた。
2012年頃から2013年頃に、撮影し毎月放送していたものだ。
瀬戸内海テレビで制作した。乗降客50人以下のローカル駅で木造駅舎が多い。
依託受けて地域のお婆さんが改札をやっているものや、2匹の猫を飼っている駅もある。
小学生が通学に使っているところもある。しかし、どこも高齢化で子供や若者はすくない。
駅は地域の中心地だったが駅周辺の商店も廃業。
衰退していく田舎の風景だけが映像に流れた。
you tubeでも見られる。 健康ならばこんなローカルな写真も撮りに行けるのだが。