撮影場所 鹿児島機関区
鹿児島機関区にC57型の蒸気機関車が二台並んでいる。
鹿児島機関区には一度行ったきりだ。休みはとれないし何度も行ける時間がなかった。
日豊線や肥薩線を走っている機関車か。
鹿児島には九州に住んでいる時に何度が行った。
子供が成人してから車で二度鹿児島に行った。高速道も完備されて走り易くなっていた。
車でないと好きな所は回れないし自由がきく。
老後は九州の温泉巡りをしたかったが自分が入れなくなり意欲がなくなった。
撮影場所 長野県 長野機関区
長野機関区のC56型 ナンバープレートに型式が入っている。
こんなのは正面からプレートを撮っておきたかった。
この機関車は飯山線で運行されたのか。
写真に残っていればその当時の状況を断片的に覚えている。
写真が無ければ忘れ去ったものが多いとおもう。
写真は第二の脳ともいえる。写真が残っていればその時の行動や食べた物の記憶が残る。
日記に書き留めるスケッチや絵手紙にする。スクラップに思い出を張り付ける。
絵葉書やコレクションも思い出を残すアイテムであろう。
我々が生きた昭和の時代は大きくの変貌した。特に都市圏は大きく変った。
変貌する土地開発や交通網に目を向け撮影しておけばいい老後のライフワークになっていた。我々年代には撮影するチャンスがあったが多くの人はそれに関心もなく気付いていない。
せめて自分の住む県や市の変貌を記録していく事が必要だ。人間は死ぬ前になってそれに気づくからたちが悪い。
撮影場所 大阪駅
ブルートレインの彗星が大阪駅のホームに入る。
新大阪まで行き新幹線に乗り換えるのか
ホームから降りて線路脇で撮影する。このころは結婚していて鉄道の写真を撮る環境ではなかった。
電車や電気機関車はカラーで撮らないと意味がない。それでもモノクロで撮る。
ブルートレイン寝台特急に家内と旅行に使った。しかし揺れるし走行の音はするしカーテン一枚で寝られず年寄は4時半ころから寝られんと話しをするしウロウロする。
家内は寝台車は絶対いやといいだした。
私は線路の走行音を聞けばすぐに寝てしまう。
EF651000番台は今何台くらい残っているか製造して40年以上にはなる。
電気機関車は履歴をまとめたサイトはないようだ。本にはなっているようだ。
撮影場所 宮崎県 南延岡機関区
雨が降る天気 c6128を撮影する。
撮影旅行で雨に降られる事はよくある。
雨が降るのは想定内で考えるべきだ。夜中に雨が降り朝にはあがってくれるのが一番よい。
蒸気機関車を撮っていた頃は天気予報の精度も悪く半分当たればの状態であった。
南九州で集中豪雨に遭い列車が不通になり出勤できないのではと気を揉んだ事もあった。
撮影旅行に行ったからには雨であろうと撮影する。傘カッパにポリ袋は必需品 ポリ袋とゴムバンドで水滴防止
気象衛星のおかげで著しく精度が上がった。我々の頃は梅雨は北の冷たい 空気と南の温かい空気が日本列島の上で梅雨前線が出来て曇り空や雨が降ると習った。
気象衛星だね。インド洋や東シナ海で海水の温度上昇で湿った水蒸気が大量に発生してインド山岳地は2万ミリの大雨を降らせそれがヒマラヤを越えて中国から日本に運ばれ大量の雨を降らせる。今までの定説がウソであるのが分かった。一週間前にできの大量の雨雲が雲が消えず日本に来たら大雨である。
撮影場所 鹿児島県 肥薩線吉松
給水や給炭、掃除や検査を終えた機関車が並ぶ
こんなに何台も現役の機関車が煙を出し並ぶ光景は懐かしさがこみあげてくる。
長い間、繰り返し行われた光景であったが気付かず去ってしまった時代の風景は沢山あったと思う。
歳をとり初めて気づく昭和という時代を無駄に生きたなあと思う。
なぜもっと昭和を撮らなかったか、昭和を記録しなかったのか(新聞のスクラップや広告、パンフレットや映画のポスター絵葉書、切手や切符、スタンプを集める)
特に高校生から独身世代に一杯思い出を作った人はその後の人生も豊かに生きているように思う。
それとなんにでも挑戦と体験をしてみたり達人に学んだ人は応用も利くしアイデアも湧いてくる。電動大工道具を一式買い小屋を作った人や溶接機をリースで借りガレージを作った人などの話しは面白かった。
定年になっていざやろうとしても難しい。出遅れた人はカルチャーセンター通いやスポーツクラブで仲間と一緒に楽しく時間を過ごせばよい。人生に勝ち組負け組はない 思い立ったら吉日だ。
播但線の生野へ行く途中か生野で降りた時に撮ったのか記録がないので不明点
生野越えの写真を撮りに何度か行った。
夜中なの2時頃に寝台特急に特急券だけ買って乗せてもらった。岡山から姫路は二時間、横になり寝てしまったら神戸や大阪まで行ってしまう。寝ないように頑張った。
播但線の始発で生野を目指した。まだ立喰いソバも開いて無かったのに何を食べたのであろうか。
途中の風景を見た記憶もあまりないただ寝ていたのであろう。鉄道のウオッチングや人のウオッチングをしておけばよかったいのに
勾配のきつい山越えの路線に動輪径の大きいC57型は厳しい。それも貨物牽引である。
撮影場所 福岡県 後藤寺機関区
機関車に煤けた木造の機関庫
黒い風景だ色彩がない。モノトーンの世界だ。
今の街並みはけばけばしい色彩の世界だ。
日本の昔の風景は黒と白のモノトーンであったのではと思う。
黒い屋根瓦に白い漆喰や土壁に焼き板、木はペンキは塗らず木地のまま。
何も色付けしないのが日本の風景で落ち着きであった。
こんな落ち着いた風景が私にとっては懐かしく感じる。
撮影場所不明 機関車から函館本線の長万部か倶知安あたりか
D51が客車を引くのは函館本線だった。SLも末期でC62型も消えていた。
室蘭本線はC57型が引いていた。
建物も板張りが多く昭和の風景である。今ならばスレートや新建材、鉄板張りにするだろう。
駅に停車の機関車、客車も姿を消した。客車や貨物列車が姿を消すとは思ってもいなかった。
分かっていれば多少は撮影するのだが
You Tubeで昭和の鉄道風景を見る事があるがいろんな場面を誰かが撮影しているものだ。駅の風景や乗客の風景に撮影していた頃がよみがえる。
山口線のSL撮影で地元と鉄道ファンが仲たがいしていたが和解し交流している記事があった。
鉄道ファンもマナーの悪いのがいるがファン同士で注意し地元も注意事項を書きPRし直していく。
車で撮影に来るファンが多いがSLは観光資源である。地元で金を落してもらう憩いの場を作ったり農産物や食品を売ることである。過疎化が進んでいる田舎は人がくるだけでも活気づく。
私もデジカメ時代になり一度だけ山口線に撮影に行った事がある。沿線に点々とカメラを構えた人がいる。
土日休日に走っているのにSLが走ると人が集まっているようだ。毎週行く人もいるのだろう。