懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

茅葺き民家 セキュリティ

2020年08月08日 | 茅葺き民家
撮影場所 島根県旧大東町
玄関が障子戸だ。障子を手で破れば閂(かんぬき)は開けられる。
昔の民家は田舎には、泥棒や悪い人はいないが前提で生活が成り立っている。 
おお、忘れていた。玄関に凄いガードマンがいるじゃないか。
番犬の君の存在を忘れていたよ。
しかし、君の顔は優しそうだ。頭を撫でたら尻尾を振るのだろう。

田舎の家は門扉などないし、玄関まで挨拶に行きやすい。
都会のようにチャイムを鳴らして、顔を見られて訪問るのは嫌だなあ。





茅葺き民家 京都府旧美山町の民家

2020年07月23日 | 茅葺き民家
美山町の西側の地域、大野ダム周辺には母屋の横に老人隠居部屋か便所か別棟がある。4軒ほどこんな民家を見た。
東北ならば曲がり屋構造だし関西地区ならL字型の角屋づくり、東海地方の二棟が造りが関連がある。
私は民俗学の調査のような、民家の研究には余り興味がなかった。
だだ、消え去りゆくであろう、茅葺民家を探し歩き、老後のライフワークにしたかった。
それでも途中で知識を増やすため、民家や民俗学の本を100冊書いている先生宅に葡萄を持ちお邪魔して三時間話を聞いたことがある。郷土食や作業着や着物の本も農具民具の本も書いているので私立大学で教えていた。
そうしたら本を四冊くれた。今からでも民俗学会に入会したらと案内をもらう。60歳が近かった。しかし、歩行の障害が手始めていて参加は見合わせた。
案の定、フィルドワーク出来る身体でなくなった。
化学工場で働いて60歳の人間が、民俗学会に入っていいのですかと聞いたら、大事なのは興味と情熱だと言われた。あの時にに民俗学会に入っていれば
若い人たちから刺激を受けていたであろう。

茅葺き民家 山際の民家

2020年06月30日 | 茅葺き民家
撮影場所 京都府旧美山町

山際に茅葺民家が建つ。田は棚田になっているのか。石垣を積み土を運び平たい田圃を確保している。親子が何代にわたり、土地を広げている。
親子が何代も茅葺民家、田圃、農作業を維持してきたのだろう。
こんな昔ながらの光景に出会えたのは良かったと思う。
何も行動もせず撮影にも行かなかったら、寂しい人生になっていたであろう。

過疎、高齢化、収入面で故郷を捨てる。
これから日本の農業はどうなるのか、主食のコメはどうするのか
土地の集約化をして会社組織の農業をするしかないだろう。

茅葺き民家 焚火

2020年06月20日 | 茅葺き民家
撮影場所 京都府旧美山町

昔は稲刈り終わった後や草の野焼きが行われていた。
畑の脇でのゴミ焼き以外に、家庭の風呂や竈も薪を燃やしていたのは煙で文句を言う人はいなかった。
ゴミは燃やせば体積、重量は5%に減らせる。95%はどこに消えた。炭酸ガスなどになり空中に拡散する。それを植物や海の海藻やサンゴが吸収し成長する。
地球は何億年と資源を減らす事なく循環してきた。

青森など東北は稲刈り後は出稼ぎに出るため切株や藁、もみ殻を焼いた。
交通障害を起こすほどの煙りが漂よった。
しかし、家庭のゴミも塩ビ製品を燃やすと、ダイオキシンを発生すると言われゴミ焼きは禁止された。
塩化ビニールは安くて強くてよく使われていたが燃やすとダイオキシンを発生するので需要が急減した。塩素の需要が落ちた事がある。
マスコミも電線などの野焼きを厳しく批判した。
しかし、ダイオキシンは発ガン性に大きな影響はないと、いう研究もありそんな話はみんなの話題にしなくなる。
コロナの話しもワクチン、治療薬ができたら人の記憶から消え去るのか。

茅葺き民家 京都府京北町の民家

2020年06月08日 | 茅葺き民家
京北町は現在、京都市に編入された。
平成の大合併で、京都市と言っても福井県近くまで隣接している。
茅葺き民家の家は敷地も広い。田舎でないと土地の広さは得られない。

茅葺き民家は家の、混みあったところは似合わない。山があり田があるところが似合う。人は少なく店はなく静寂である。
人の生活の音がすくない。都会の人はさぞかし寂しく感じるであろう。
カエルや虫の声、鳥の声がやたら大きく聞こえる。
都会の人は車や電車の音、店のある賑わいが無いと寂しくて暮らしていけないだろう。

山の中の静かな集落に住む人から、ここは住みやすいよと聞く。
ここはいいところよと、勧められた事が何度かある。
しかし、どこも住めば都である。土地での楽しみがあるはずだ。
我々からすれば都会は住みにくいと思うが、高校を卒業しても地元に残るのは35%が現実だ。

茅葺き民家 兵庫県丹波篠山市

2020年05月23日 | 茅葺き民家
平成になっても篠山市には茅葺民家が残っていた。
昭和の時代ならさぞかし残っていたであろう。
私が若い頃に、これから何が無くなりどう変わるか、リストアップして毎年書き残していく。
毎年、技術進歩で進化したところも書く。
人生は世の中がどう変化して自分もどう成長していったか、まつたく順応しなかったかを記録する事だと思う。
私の人生は最新技術に付いてゆけず諦めたように思う。

茅葺民家 徳島市の民家

2020年05月12日 | 茅葺き民家
昔ながらの障子の民家
茅葺民家は昼間は鍵など掛けず障子だしセキュリティは低い。
世の中には悪い人はいないが前提の暮らしである。

農家の人は広い庭が空いていれば、道具や物を置いてあるものだが整理されている。
几帳面な人が暮らしているのであろう。
道具など使ったらすぐに元に戻す習慣の人であろう。

職場では整理整頓の活動に3S 5S活動というのがある。道具などは棚に影絵を書き置く場所を決めておき、汚れたら洗い所定の場所に収納する。
自分はこの整理整頓が大の苦手だ。整理の上手い人は整理とはいらない物はすぐに捨てる事だという人がいた。

茅葺民家 ダムに消えた風景

2020年02月25日 | 茅葺き民家
撮影場所 島根県旧木次町
斐伊川水系の尾原ダム、治水と発電、灌漑用水や生活用水確保の為に建設された。
ダムは集落の集団移転があり反対運動があり妥協するのに35年も掛かる。
しかし、建設が始まると早いもので8年位で完成した。
ダムは治水の役割は、近年の集中豪雨や台風には余り機能していない。
ダムの貯水量は空でも、150mmの降雨量で満水になる。
洪水で被害の出るのは、250mから450mmの降雨がある。
ダムレベルが80%と高ければ、治水の役割はほとんどない。

ダムの出来るエリアは、水没しない民家も立ち退く。民家は撤去、樹木は伐採される。
コンクリートの役場などは残る。
昭和の時代にはダムの建設で数多くの集落が消えた。


茅葺民家 雪の美山町

2020年02月13日 | 茅葺き民家
雪の降る日に美山町まで一般道で行く。随分時間が掛かる。
幸いに美山町まで雪は降るが積雪は無かった。
美山町でチェーンを着ける。
私の住むところは、雪が降るのが年に1回くらいだ。

雪の風景を見慣れておらず憧れもある。
しかし、雪が降ると茅葺かトタンの区別も、つかず構造も見えない。
手前に釣瓶井戸があった。

茅葺民家 お婆さんは洗濯に

2020年01月29日 | 茅葺き民家
撮影場所 島根県旧三刀屋町

茅葺民家、母屋と納屋
昔ながら風景だ、周囲360度撮影させてもらう。
お婆さんが外に出ている。川に洗濯に行きそうだ。
川に桃が流れてきてという物語になりそうだ。
懐かしい風景だが住む人には厳しい民家だ。暖房は効かないし虫や蛇は入ってくるし。
それでもプロパンに水道は来ている。山間部は中都市より下水道が発達している。

本来は地元の人と話をしながら、旅を続け聞く知識も増やすのが楽しいが、話し始めたら30分、一時間は経過する。
撮影優先のため会話は抑えて移動。

今にして思えば全国の過疎地を、カメラを持ち車で走っていた頃は楽しかった。多分、脳には快楽物質が充満していたであろう。