懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

茅葺民家  島根県伯太町

2021年06月29日 | 茅葺き民家
今は合併して安来市になっいる。
島根県の民家は反り棟が多いが、鳥取県に隣接した地域は寄棟が多い。
茅葺職人も鳥取県からきているのかと思う。


屋根の茅も傷んでいる。もう次に来た時にはトタンを掛けているように思う。

茅葺民家を探すのが面白いのは
弥生時代と基本的に同じ民家が残っている事。
簡単に探せない事。本気にならないと難しい事
各地で形が違う事、気候や産業、産業,暮しにより形が違う。
映像で残さないと消える運命にある事
茅葺撮影の傍ら各地の暮らしや地形の違いを見られた事



茅葺民家 兵庫県三田市

2021年06月06日 | 茅葺き民家
三田市は神戸、大阪のベッドタウンとして団地が出来て居る。
しかし、山間地に入ると農村風景が残り茅葺民家も点々とあった。
三田市の北に永沢寺がある。その前に大きな花菖蒲園があり今頃が見ごろだ。

この周辺にこの民家はあった。
大きな木がある。榎か椋であろうか。関西以西は欅は植えない。
生垣や板塀に囲まれた日本の農家である。

こんな茅葺民家もあと10年、15年もすると、消えるのかと思うといたたまれず休みにカメラを持ち記録した。

人間はひたすら夢中になっている時が一番楽しい。
しかし、ひたすら仕事に打ち込んだり、遊びに夢中になり奥さんに逃げられた者もいたな。

茅葺民家  京都府旧京北町の民家

2021年05月13日 | 茅葺き民家
京北町は現在は京都市に編入れている。
入母屋造りで凛として建っているのが美しい。

熊も生息している。檻を各所に仕掛けている。
川原で家族がキャンプしていた。子熊が檻に掛かった。
キャンプの家族も子熊をみにきていた。檻の管理している人が動物保護センターへ持って行った。親熊が子熊を探しにくるかもと言った。
帰ったらキャンプの家族は片付け消えていた。担当の人は笑っていた。

過疎化が進み動物は確実に増えている。
人が住み暮らしている茅葺民家に出会えるのは嬉しい。京都府や兵庫県は特に多い。
東京でも大阪でも茅葺民家に暮らしている家は何十軒もあった。
人が暮らしている内に撮影できたのはラッキーだった。

茅葺民家 佐賀県多久市の鍵造り民家

2021年04月24日 | 茅葺き民家
90度に折れ曲がる民家を鍵(鉤)造りという。
直角に曲がる民家には曲屋、角屋造り、クド造りなどがある。

多久市に20軒ほど茅葺民家があった。多久市には三回訪れたが、行くたびに茅葺は減った。
北九州以外の人で、多久市を知っている人は、地図に精通している。

大きな特徴のある町ではない。サザエさんの長谷川町子さんの出身地だそうだ。
かっては炭鉱もあったそうで立坑の後ものこっている。
九州の炭鉱は筑豊、田川の北九州、大牟田、長崎軍艦島しかないのかと思ったら佐賀県も炭鉱は点々とあったようだ。

多久市には江戸時代に建てられた孔子廟がある。
岡山にも藩校として閑谷校(国宝)がある。論語を教えていたのであろう。
孔子廟もある。

多久市には17時に放送で論語が流れる。論語カルタがありカルタ大会もある。ナニコレ珍百景に夕方に論語の放送があと言われた。それだけでは珍百景には弱い。
町の人たちは論語が言えるという。小学高学年に上の言葉言うと下の言葉がつづける。バイクで暴走しそうなに兄ちゃんに聞いても、若いネェチャンに聞いても答えるのだ。これには珍百景登録でゲストも感心していた。

孔子廟の近くの敷地は100坪くらいに区画され石垣で囲む。武家屋敷の跡に見えた。
九州の武家屋敷は石垣で囲み、100坪くらいいの区割りが見られる。長崎の島原の武家屋敷、国見町の武家屋敷、熊本の出水の武家屋敷、鹿児島の知覧の武家屋敷、宮崎,飫肥の武家屋敷 よく残っているものだ。


茅葺民家 鳥取県日南町

2021年04月09日 | 茅葺き民家
鳥取県から広島県に抜ける、国道沿いに茅葺民家があった。
国道沿いには茅葺き民家などないだろう、そんな先入観があった。
それも二軒続いた茅葺民家だ。
茅葺民家発見が嬉しくて30年近く続いた。発見した感動が無ければ続かない。人生は感動の貯金だ。数多く感動した者が勝ちだ。

撮るときは気づかなかったが、両側から山が迫っている。
谷間の僅かな平地に人は家を建て暮らしている。
この頃は健康で山の斜面を登り撮影した。
歩けなくなったらすべてを諦めた。
動けるうちに撮った、膨大なネガが残っていた。、
それをスキャンしてデジタル化するのは、歩けない方が有利だった。
なまじっか歩けると遊びに出掛け、整理はおろそかになる。

人間どんな身体になっても、環境になってもやれる事はある。
捨てる神あり 拾う神ありだ。

それでも健康であれば、全国各地を歩き見て回り地元の人に話を聞きたかった。そんな自分勝手に遊んでいたら家内に捨てられていたかもしれない。



茅葺民家 早朝の民家風景

2021年03月04日 | 茅葺き民家
撮影場所 京都府旧美山町


美山町の民宿に泊まり早朝起きて朝霧が上がる前に撮影。
5時 6時からカメラを持ち、民家の周りをウロウロ。
住む人にとっては迷惑な人たちである。
家まで行き話までする迷惑な存在である。

20年後には多くの茅葺民家が、消えると思うといたたまれなかった。
生きていた証に映像で残したい想いがあった。
定年後を待っては茅葺民家が残ってくれない。

人生で夢中になるのは必要である。
死ぬ時に自分の人生は楽しかったと思えるかどうかでる。

不倫で夢中になり人生が狂う人もいるが、双方の家族や仕事財産を失う。


茅葺民家 広島県旧高野町

2021年01月19日 | 茅葺き民家
高野町はよく雪の降るとこころだ。中国山地に隣接している。
今年も一メートルの積雪と言っていた。

雪の多い所は丸太を壁や大木に立ててある。
新潟や東北でよく見る光景だ。

雪の重みで軒が折れるので下からの支えに使う。植木の雪囲いに使う。
自分の住む所から一般道で五時間掛けて通った。

今は高速道路も出来、高野にはインターもある。
山陽の尾道から山陰の宍道まで無料で走れる。









茅葺き民家 京都府旧京北町

2020年11月23日 | 茅葺き民家
茅葺き民家を撮影して27年
全国各地の山間、過疎地をただひたすら回り4500軒に3出会えた。
13年前から歩けず、車イス生活。家内に運転してもらい全国の高速道路も95パーセントは走った。
写真を沢山撮っていなかったら、老後は寂しいものだった。
しかし、写真は整理しないまま人生終わりそうだ。
POWER POINTでプレゼンが、出来るような作品にして子や孫に残してやりたいが腰が重い。
いつの時代も何か楽しい物を追い求めて楽しい人生だった。
地元のケーブルテレビに、昔の写真を提供するので放送してほしいと交渉してみよう。

茅葺き民家 京都府旧京北町

2020年09月20日 | 茅葺き民家
もう、すっかり茅葺き民家も少なくなった。
こんな風景は写真や絵、映像の中しか残らないかもしれない。
自分が動けず家内も歩行に、障害がでて撮影旅行はもうやめだ。
過去に撮影した写真からブログに投稿するだけだ。

茅葺き民家の撮影も、住民の方や地域の人と話をしなかったのが、残念なところだ。沢山回り茅葺き民家の写真を沢山残すのが主眼だった。
田舎の人は話を始めると、30分から一時間は掛かる。
それが無駄と思い、地元の人との会話は避けてきた。
今思うとブログのネタを、豊富に提供してくれたと思う。
話のネタのキーワードをExcel表に書き込み検索できるようにすべきだった。
健康であれば各地を歩き、見る、聞く、調べるを出来たものだ。

茅葺き民家 山際の民家

2020年08月30日 | 茅葺き民家
撮影場所 兵庫県丹波篠山市

背後に山があり日本むかし話に出てくる光景だ。
山際に家を建てるメリットは山が北風を押さえてくれる。昔であれば薪も裏山で得やすい。山裾は井戸を掘れば水が出る公算が大きい。
デメリット、蛇やムカデ、カメムシが頻繁にくる。猪や猿が頻繁にくる。豪雨で土砂崩れ、山火事があると類焼する。
昔の地割を見ると民家は山裾や斜面に建てる。米を作る田に家は建てない不文律があったのか。

会社勤めの時に山際に住む人がいた。三回もムカデに噛まれた。
マムシやムカデ、蜂は抗体ができるので2度目 3度目は命が危険と言われている。彼は一度目の被害は紫色に大きく腫れていた。
しかし、2度目3度目は咬まれたところが赤くなる程度だった。
ムカデは布団の中に潜り込んでくるので動くと噛まれる。
私が冗談でムカデでなくてカムデと名前変えないと言った。
彼は結局、造成団地に家を建てた。