中国地方の平野は人が作った。
中国地方は鉄の生産が盛んで江戸時代に全国の7割を生産していた。
火山活動で深成岩の花崗岩が多い。風化すると真砂と呼ばれ掘り易い。
その砂の中から鉄の原料の砂鉄を採った。
鉄穴流し(カンナ流し)と呼ばれ水と共に砂を流し比重の重い砂鉄を採取した。
これを弥生時代から昭和まで繰り返した。谷を埋め下流に砂を流した。
特に島根県は盛んで斐伊川は出雲平野、斐川平野を作り、島であった島根半島と陸繋ぎになり河口は鳥取県流れでる。弓ケ浜いう砂州を作った。この砂州には飛行場も自衛隊空軍基地もあり水木しげるロードの境港市もある。
この砂州は天橋立の巨大版である。余談だが天橋立も雪舟の描いた頃(600年前)より300メートル長くなっているとブラタモリで言っていた。
広島市の洪積地帯、岡山の洪積地帯、児島湖の干拓地、児島は源平合戦の頃は島であった。今は陸続きになっている。鳥取砂丘の巨大な砂山も人が山を崩し流した痕跡である。
鉄で財を成した島根の絲原家、田部家、広島の加計家が有名だ。
安倍前首相とも懇意で話題になった加計学園とも繋がりがあるのだろう。あれもうやむやなまま幕切れになった。
広島には安芸の十利の言葉がある。鉄の加工品で最後にリのつく物の生産が盛んであつた。
針、キリ、やすり、錘おもり、錨いかり、ちきり(秤はかり)、ノコギリ、かみそり、鎖、まさかり