愛ちゃんが仕事なので朝ひろとを迎えに行く。
先週までは”なっちゃん 来たよ”が”なつめちゃん 来たよ”に変わっているではないの。
日に日に増えていく二人の言葉とその会話が、実に面白くて楽しい。
昼前少し雪が舞った。 ちょうど1週間前にひろとが来たときも雪、思わぬ積雪で孫たちは初体験、
雪のかたまりを投げたり雪だるまで遊んだことを覚えていて「ゆきゆき」と大喜び。
雪が不思議なくらいの晴天、残念ながらすぐにやんだ。
午後夫の会社で牧師様のお話を聞く日だったので12時過ぎ出かけた。
人間なら100歳を越えられていた、牧師様の家のワンちゃんが亡くなられたその時の事を話された。
ワンちゃんに死を感じる頃は、目も見えなくなり立ち上がり歩くことさえままならなくなっていったそうだ。
家族が死を愛しむ気持ちの中、葬儀屋さんはお決まりの声、形で儀式を進行することの虚しさを。
私たちもいつか必ず迎える人生の終わりはお世話になるが、聞くと虚しい。
しかし迎え・・それはもう生きてきた年数よりもずっと・・短い、ずっと。
話を聞きながら(私が80歳くらいまで生きたとしたら、あと・・20年あまり?)と思ってしまった。
『命と言うのは 自分が持っている 自分が使うことのできる時間 その命を輝かせて生きるには・・』
「生かされ命ある今 自分の体を無駄にせず、精一杯使っていますか・・」と問われた。
寒いので、家電量販店で・・3ヶ月違いだけど年子みたいな二人。