土曜日に、神戸の一人暮らしの婦人に贈る為に、次女と花キューピットのお店に行った。
「カーネーションどれにしようかな」 赤やピンクや迷った。
店頭には母の日にと薔薇や紫陽花等、最近はカーネーションにこだわらないようだ。
小学生の女の子二人が、小さな籠や缶にコーディネートされたカーネーションを選んでいた。
「これがいい?」 「こっちがいいかな・・」 とっても可愛いお財布を持っていて
花の値段とお財布の中味と照らしあわせながら、少女たちは一生懸命に選んでいた。
「可愛いなぁ、お母さんにカーネーション選ぶ目って。 お財布見ながら可愛いな」 次女が言う。
本当に目がやさしくて輝いていた。 「これにしよ!」
お母さんありがとうのメッセージのついた780円也のカーネーションの花かごを買った。
偶然にも帰り道で、風をきり走る少女の自転車に出会った、笑顔いっぱい嬉しそうだ、とっても。
プレゼントされたお母さん、どんなに嬉しいだろうなぁ。
「私らのあのくらいの時はどうやった? もう何贈ったか忘れた」
「小さい時は肩たたき券とか、お手伝い、ノートとか色々やね、カーネーションだったり必ずしてくれたよ」
子供からプレゼントするのに、その日のカーネーションは普段の何倍もの値段、それでも母の日は
カーネーション。 小さい子供たちには可愛そうだといつも思う。
娘たちから100本のカーネーションが贈られたこともあって驚いた。
ある時、子供たちからプレゼントはもらったけれど、誰からもカーネーションは無かったことがあって、
贅沢にも申し訳なくも、なんだか複雑な寂しい気持ちだった。 もちろん言わないけれど。
私にはどんなプレゼントも嬉しいのだけれど、一本でもカーネーションが一番嬉しい。
それはどれほどの役目もしていないけれど、母の日の私の最高の特権だから。
最愛の恋人が戦死で結婚をされなかった神戸の婦人、私はその日娘になって赤いカーネーションを贈る。