たまに遅くまで起きているときは、NHKのラジオ深夜便を聞いている。
慣れ親しんだ60年代の曲、フォークでも演歌でも、カントリーなども聞いているともうその時代に引き戻される。
アナウンサーが夜から朝へと何度も、今日は秋の行楽日和ですと言う。
次女夫婦は珍しく展君の野球がなく、急きょお弁当を作って親子4人で大阪城公園へ出かけて行った。
長女夫婦は豊能郡のコスモス畑へ、長男夫婦は堺のハーベストの丘へ行ったようだ。
屋上でカーテンを干しながら、(うん、お洗濯日和だよ今日は)暖かい陽射しを浴びながらうきうきしている。
母が毎日欠かさず朝に夕に、5人の子供達の家族のことを思いながら手を併せてくれていること、
みんなが今日も幸せで暮らせますように・・今日もありがとうございました・・それが母の幸せでもあるように。
晴天行楽日和に、私も!なんて思わないで、3人の子供達がそれぞれにいい時間を過ごしていること、
それを想像しているだけで、充分に嬉しい。
ゴルフの打ちっぱなし・・とか言っていた夫も、タイミングがずれ夫婦して晴天を家でのんどりと過ごす日曜。
「USJ何かひとつ行って、散髪に行こうか」「そうやね」と言いながら、夫の背でうとうとと寝てしまった。
(とど・・って言われているから、ドテ!っと巨体がそばで寝ていても可愛くもなんともないやろうなぁ)
4時此花区の天然温泉一休へ散髪、カットに出かけた。 1000円と言う安さ、不況?次々と人が来ていっぱいだ。
帰りに夫が車を走らせたのは、北港ヨットハーバー。
「うん、いいね」 何年か前に一度来てヨットと夕日に感激したし、食事したことがあった。
公園もあって家族連れも来ていた。
「孫たちを遊ばせるのにいいね」 あちこちへ行くと、やはりそんなことを思ってしまう
何人かのおじさまが、三脚をたて日没の瞬間を待っている。 。
「秋の日はつるべ落とし、夕日は落ちるの早いよ」話し好きそうなご年配のおじさまが色々話しかけてきた。
時間をつぶすにはいいんだけど、私は人見知りするし会話が苦手。 (夕日・・早く落ちて・・)
こんなつもりがなかったから・・でもコンデジはかばんにちゃんと入っていたから。
マストやロープを避けるところに夕日が欲しいところだけど、直線の中の夕日の曲線も好きだ。
やっぱり海はいい。 夕日はいい。 渋滞するでもなし、人ごみもなく、ゆったりとしたひとときだ。
充分・・これでいいのだ。 子供達が楽しく一日が過ごせているだろうから、それで。
1時間ほどの寄り道。 帰りの空には満月が煌々と輝いていた。 昨日が十五夜で、今夜は十六夜。
車の中で「中秋ってね、人偏の仲秋と違うって知ってた?」 「知らん」 昨日、検索して得たばかりの知識、
自慢げに延々と夫に話した。 決して中秋の名月が満月でないことも。
「だから昨日は旧暦の8月15日で中秋の名月、今日は満月で仲秋の名月、分かった?」
今朝、兄から電話があり低い声だったので一瞬ピクっとした。
5人兄弟の父の妹、叔母の訃報だった。 叔父が昨年同じ10月に他界した。
夫婦とも入院生活を送っていたので、叔母には叔父の死が告げられていなかったと思う。
満月を仰ぎながら、仲の良かった叔父と叔母が寄り添っている姿が見えるような気がする美しい月だった。
母には義妹、やさしく思いやりのある可愛い妹・・田舎にいた頃、いつもそう思いながら見ていた。
父の実の兄弟は誰もいなくなった。 母もまた寂しさが増すことだろう。