私は覚えやすい自分の誕生日が大好きである。 24÷2÷2・・
朝一番、京都の姉からお祝いのメールが入った。
長い文章の中に『元気で今日のこの日を迎えられたと言う事はええ事やで、頑張ろうで~』
誰かさんの言葉を借りました。 と書いてあった。 ふふふ・・その誰かさんは母。
決して欠かしたことの無い、母から5人の子供たちへの誕生日や結婚記念日の日のおめでとうの電話の言葉。
40代の頃、「もう祝ってもらうような年ではないわ」等と世間的な言葉を使ったことがあった。
母から一撃、「年をとるほどに、誕生日が迎えられると言うのはどれだけ幸せなことか分からんよ」
申し訳なかった本当にそう、以来素直に有難うと喜んでお礼を言うようになったし、私と同じような事を
言う人には、母からの一撃を伝えるようになった。 年を重ねるほどに母の言葉の重みをしみじみと感じている。
生きたくとも55歳で他界した祖母、還暦も待たず他界した父、そんな年齢を越える事の出来た私は、
まさに『元気で今日のこの日を迎えられたと言う事はなんと幸せなことか・・』を実感している。
次女が孫2人を保育園へ送る時、生協さんの注文書を持って来た。
自転車に乗った孫たちが「ばぁばおめでとう」可愛い笑顔で言ってくれた。 かんたのお絵かきをもらった。
ゆいちゃんが来て間もなく、宅配便で花が届いた。 香港の長女夫婦からだった。
開けて見て写メしてお礼のメールをしている時に、長女からメールが入った。 返事を送ろうと書いていたら
その旦那さんセイ君からもメールが入った。 今年も一緒にお祝い出来なくて・・の始まりで。
花の中のメッセージの中に、香港より感謝の気持ちを込めて・・の言葉を見た途端熱いものが込み上げた。
ブリザード&光触媒の薔薇、部屋の空気を浄化する作用があるらしい。
お店のメッセージの中、『ウサギは「春」の象徴です♪ ここで言う「春」とは、「事の始まり」や「開花」の意味を表しています
またウサギは跳ねる動物なので「運気上昇↑」をもたらします happyアイテムとして身近にお飾り下さい』と書いてあった。
だから良く何でもうさぎが使われているのだなぁ。
「僕は死にまっしぇーん」位な指輪は夫に昨日。
61も2も何ら変わり映えはないが、自分自身一番思うことは・・やはり健康の事である。
子供や孫たちの為にも、健康に気をつけなくては! 何も考えなくて食べたいものを食べ、ただ日々を生きてきた。
健康の事などメタボや高脂血症や病気の合併症など、様々な病気の要因を作っていたなんて余りにも疎かで無知だった。
母が自分が病気になったら兄夫婦に迷惑をかけるから、せめてもの子孝行にと自分の身体には人一倍心していた。
時々そんな心がけを聞きながらそれをいつも合言葉のように聞いて来たが、私の方が病名があるんだからやはりすごいわ・・母。
今年米寿を迎えた母に兄が旅行の為初めて車椅子を買った。 そして兄夫婦、私たち夫婦、千葉夫婦、長女の8名で不思議なほど
満開の桜の中を大阪、奈良吉野、京都と三都の旅をした。 後で思えば世界遺産の場所を敢えて選んだ旅のように。
京都の姉家族にも会い母は泊まり終戦前に生まれた姉と夜遅くまで語らうと言うそんな素晴らしい旅が実現したのである。
兄がお礼の便りに、子孝行の為に身体に気をつけていると言う母の言葉を長年何気に聞いてきたが、吉野の桜を見せてやりたいと、
その願いが春叶った。 今年はしみじみと母の言葉の重みを感じていると書いてあった。
胃を全摘してまだ五ヶ月に満たない全体的に細くなった兄が、初めて車椅子を押す姿に私は尊いものを見ているようだった。
母のその言葉・・私も心がけなければ・・こんな身近で形見本を示してもらっているのだから。
ゆいちゃんがお昼寝している時、知っているように母から電話があった。 昨夜みかんのお礼で誕生日言ってもらったのに。
誕生日は祝ってももらうが、産んでくれた親に感謝する日でもある。 私の人生のすべてをくれたのだから。
「本当に誕生日を元気で迎えられると言う事は、どれだけ幸せなことか分からんよ。 感謝せんとね」 はい、あなたのそれはおはこ。
支えてくれた全ての人に・・感謝よね。
「朝からお母さんのがんばろうで~をお姉さんと言い合ったのよ」 少し反応は遅くなったが、笑っていた母。
お正月帰らないので、連休に帰る事を告げて、夫の実家の事へと話が変わった。 兄嫁さんとの会話の事を話した。
「長男のお嫁さんと言うのは、本当にどれだけ大変なことか分からん、感謝せんといかんよ」 はい・・いつもそう思っているよ。
母は義母とは3つ下、衰えてきたもののまだ兄夫婦や孫ひ孫と桜やなんやと出かけ楽しめる、歩くこともできる、手厚くしてもらっていて
心配はない。 お世話する兄嫁さんの事がいつも頭から離れないのよと言うと、「本当に大変なんじゃから、(自分も含めて)同居夫婦の
気苦労までも本当に感謝しないと・・」と。
お嫁さんの愚痴も泣き言も言わないで来た母、何もないことはなかっただろうけれど(お互いに)母が言うと、帰省する私たちの先入観や
兄嫁さんにしてもらうことにも気兼ねが増すことになる。 褒めることしか言わない母だった、そして今も。
結構細かい事に厳しい兄に仕えてきた兄嫁さんである、それはそれは母は大事にしてもらっている。
母と話しながら涙がとめどなく流れた。 どんなに大変な365日か夫の兄嫁さんには本当に申し訳なさと感謝にいつも思っているよと。
母と電話するといつも励ましをもらう。 逆じゃない、こちらが親を励ますそんな年なのに。 色んな言葉を子供たちに残している母。
これが家の流れ、心の流れを作って行くのだろうなぁ・・母はいつも「子供には苦労ばかりをさせてきたのに、こんなに幸せでいいのか」良く言う。
思い出して苦労こそが貴重ないい思い出であり、自分たちを少なからず作ってもらった財産だったのではないだろうかと思う。
若い時苦労していても老いるほど幸せになるなんて、最高ではないだろうか。 いい人生だったと終われるように思う。
パートで働く愛ちゃんと次女が今夜誕生日のお祝いに招いてくれた。 次女宅で。 だから夫が帰宅するまで一日ゆいちゃんと遊んでいた。
6時過ぎゆいちゃんを連れて次女夫婦宅へ行く、自転車で5分のなんとも心地いい距離は嬉しい。 愛ちゃんとひろとも来ていた。
孫たちがわいわいと遊んだ後食事にした。 お寿司をとっていた他にほたてのサラダやチリチキン、から揚げやマカロニサラダ、
仕事から帰って掃除や準備やばたばたしたようだ。 展君はまだ仕事・・
みんなでおめでとうを言ってくれて乾杯した。 夫はこのときどさくさ紛れにおめでとうを言ったのではないだろうか。
香港の長女夫婦とスカイプ、おめでとうの言葉ももらった。 今はアイフォンで映像を見ながらのスカイプが出来る、ほんといい時代。
展君が帰って来て、愛ちゃんが用意してくれたケーキで歌を歌いろうそくに火を灯しおめでとうのふ~・・
私が消す前に孫たちがふ~!! 二度目もそう、子供はほんとにふ~が好き。 お祝いは9時前まで続いた。
明日はママたち仕事、孫も保育園、ウィークデーに申し訳なかったけど、嬉しいお祝いの夜だった。
息子夫婦からはメッセージとひろとの手紙、ダウンのルームシューズとネックウォーマー。
次女夫婦からは、なっちゃんのメッセージ額と部屋着、毛糸のベスト。 展君が試着してワンサイズ上だって(^^ゞ 間違いない!
みんな寒くなるのでパソコンするときに・・なんて、私の一番を知ってくれていてメッチャ嬉しい。
毎年迷うだろうが、本当にいつも気の効いたものを考えてくれて、品物をもらった以上にその気持ちが嬉しい。
皆に祝ってもらって何と幸せな事だろう。 それは母のお陰でもある。 心がけて、役に立つ可愛いばっちゃまにならなくては!
ダウンの温かシューズを履いて、ネックウォーマーをして、部屋着を着て書いている。
と~っても温かい、皆の思いが詰まっていて。
私、ひとつ年をとりました。
お祝いの最中に、因島の妹から誕生日おめでとうのメールが入った。
今頃みく家は又みんなで集まってお祝いでしょうかと。
仕事先のプレゼント応募で日帰り京都旅行が当たった人と、その友達が行けなくなって急きょ妹が行くことに。
宇治の平等院、東山、産寧坂などの散策、かなりハードスケジュールだったけど、久々の関西旅行だったよと。
例年よりも遅い紅葉で今が見頃で京都のお店も素敵で可愛くてと喜んでいた。
一瞬だけどみく姉ちゃんの近くへ行けました・・と。 まぁ・・こんなに近くへ!!
家に着いたのは10時、「ただいま~」「お帰り~」30分ほどメール交換。 朝早くから夜遅くまでおめでとうの中。
誕生日記念に”今日の日めくり”