夫はいつもの打ちっぱなし、飲み、麻雀の日曜フルコースで1日家にいなかった。
本当なら1日いっぱいの自由時間、それこそ写真撮りに行こうがどうしようが珍しい1人時間。
しかし今日はそんな気持ちにはならず、1日家で過ごそうと思っていた。
TVでは1年前の今日の映像に関わりながら、当時の様子や復興の歩み、それを阻んでいる事がらなどを映していた。
用事をしながら部屋に入ってはちらちらそんな画像を目にしながらお昼過ぎまで、休むことな時間を費やしていた。
3時前やっと一段落して、こたつに。
震災関連の番組の中で、画面の下に送られたメールがテロップの早い速度で流れていた。
「”がんばって”とか”繋がろう”などの安っぽい言葉はもういらない。私たちはがんばっている」
その方の事情は見えないが、大きな悲しみや苦しみ辛さを抱えながら歩み迎えた1年であろう。
昨日もイベントに参加したが、募金や販売で東北の方に接しながら、頑張って下さいねと言うのにも戸惑う。
実際TVを見ていても、日々”心は繋がっている”とか、”絆”と言う言葉が氾濫している。
今、復興を大きく阻む問題、多大な大震災による瓦礫の処理がまだ10%にも満たない。
放射能汚染に対して、危惧の念をいだいているのではあるが、各地の受け入れの有無を思う時、
”繋がろう”とか”心はひとつ”とか・・そう言う言葉と瓦礫の問題を思う時、被災地の方々の今を思うと、
言葉と実際のギャップに心が重い。 黙とうをしながら申し訳ないと思う、がなぜか・・。
一番に受け入れを実行された東京都知事の決断はすごい。 瓦礫の処理なくしては復興は無いと思うから。
この問題を解決してこそ、”絆” ”繋がっている”と言えるのではないだろうか。
結果瓦礫に関しての特別措置法が昨年成立し、首相はそれを踏まえ協力を要請されることとなる。
汚染瓦礫の絶対安全処理を徹底して、復興2年目国がそれこそひとつになって動きだすのを望む。
天皇陛下が追悼式典で、術後まだご静養であるべきお身体を屈しておっしゃられた、
「復興の道のりには多くの困難があることと予想されます。 国民皆が被災者に心を寄せ、状況が改善されていくよう
たゆみなく努力を続けて行くよう期待しています」
お言葉の重みを感じながら、この場にご出席をあわせられての手術、ご回復へ向かうご努力は尊い。
そばで支えられるように添うように、お身体をも気遣われるようにたたずまれる皇后陛下のお姿もまた。